25年目の道楽 ~ 秋の北アルプス満喫
2001/10/3-6

アフガニスタン空爆が始まった日に、こんな暢気な文章を書いていて、いいのかなという気もするが…
 北アルプス山中で三泊、しかも三連休の初日に下山という贅沢な山登りをしてきた。これは、勤続25年の特別休暇5日間を取得したもの。この休暇を使って海外旅行に出かける人も多いのだが、何しろ昨今の情勢、昔に戻って一人の山旅も一興と考えた。

10月の第一週を休みにして、10/1の夜に出発の予定だった。ところが休暇前の帰省中、次男の運動会が雨で火曜日に延期となり、私の出発も順延。今回は色々と事情もあり、一人で山ごもりすることを許してもらったが、子供の運動会をパスして出かけるとなると、おかあちゃんの逆鱗に触れそうだったし…

ダム湖を船で対岸に渡る 烏帽子岳、遠景は立山連邦

有名な山々だから、ガイドブックに載っているようなことは省くとして、行程ぐらいは書いておかないと。単独行でもあるし、届けも必要だ。計画はいちおう作ったが、山に入れば成り行き次第というもの。以下は、予定と(実際)。

【10/3】
 前夜、京都から寝台急行「きたぐに」を利用し糸魚川経由で信濃大町(南小谷以北の大糸線の列車の遅いこと)。信濃大町から高瀬ダムサイトまでタクシー(登山者の姿なく、相乗り出来ず、7840円也)。高瀬ダム~ブナ立尾根~烏帽子小屋(船でダム湖を渡って登りは休憩含め5時間弱で小屋に到着、トレーニングの成果)。
 なお、天候・体調次第で烏帽子岳を往復(もちろん登った。快晴無風、半袖の稜線歩き。山は名前を挙げるのも面倒なほど一杯見えた)。

【10/4】
 烏帽子小屋~野口五郎岳~水晶小屋~水晶岳往復~鷲羽岳~三俣山荘(またも快晴だが鷲羽岳に向かうころから崩れだした)。

【10/5】
 三俣山荘~双六岳~樅沢岳~槍岳山荘(午前中は前線の通過待ちで停滞、日程短縮し午後に鏡平まで下りるつもりで出発したが、双六小屋まで)。

【10/6】
 槍岳山荘~西岳~大天井岳~常念小屋(常念岳まで足を伸ばすことは止め、新穂高温泉へゆっくり下山、平湯で高速バスに乗り換え新宿へ)。

【10/7】
 常念小屋~常念岳~蝶ヶ岳~徳沢~上高地(元々の予定どおり、東京でイタリア語検定受検、三連休を迎え人も増えるし、パスしたら受験料もったいないもの…受けなければ絶対合格しないし)。

さて、ここからは印象記。概して好天に恵まれ、広がる大展望を堪能できた。行程の説明はほとんど省略して、山で出会った人、山小屋、グッズの三つのテーマで印象記を書いてみたい。

鷲羽岳方面の眺め

【山で出会った人】

サラリーマンになってからは、山に行くとしても週末なので、この時期の平日の山がこれほど空いているとは…

烏帽子小屋も三俣山荘も、泊まり客は私を含め3人、小屋関係者の数のほうが多い。烏帽子小屋で一緒だったのは、AさんとBさん。

Aさんは30代の男性、前日湯俣温泉から水晶岳を目指したが強風で断念、稜線でテントを張って大変な思いをしたので、この日は小屋泊まりで翌日下山ということ。私の出発が一日遅れたのは案外正解かも。訥々としたしゃべりの純朴そうな人、東京の人ではないようだ。

Bさんは、私より少し年上の50代前半の男性。東京からなので早朝に信濃大町着、私と同じコースを登り、翌日は三俣山荘というのも同じ。連休の終わりまで山にいる予定とのこと。仕事の関係でなかなか取れなかった休みをまとめてとった由。途中から年下の私のことを、「先輩」と呼び出したのには困ってしまった。

S君とのトレーニング登山の成果で快調な歩行ペース、視界に入る北アルプスの山々の同定、放送5分後には出来上がっている天気図と前線通過時刻の予想(大当たり)、そんなことで一目置かれてしまったのかな。

水晶岳から黒部湖方面を望む

水晶小屋(既に営業終了)にザックを置いて山頂往復から戻ると、野口五郎岳で追い抜いたBさんが到着していた。聞けば、「思った以上に登りがきつくて、ここで泊まろうかと考えている」と言う。時刻は2時前、装備は充分のようだし、水晶小屋も扉の内側に6人テント分ぐらいのスペースがあるから、それも可能だが。

「これから明日にかけて、天気は崩れるし、ここは風が強いし、夜中が寒くて大変ですよ。三俣山荘で布団で寝たほうが快適ですよ」
 あとは、本人の選択の問題、どの程度の消耗度かは本人でないと判らないし、私は2時間で行けるが、Bさんだと日が暮れてしまうかも知れないので、余計なお世話は禁物。何てったって、単独行に限らず山屋はオウンリスクで行動するのが鉄則だもの。

三俣山荘でくつろいで、外に雨の様子を見に出たら、ガスの中からBさんの姿が現れた。4時30分だったので、ガスと強風の中、Bさん意外に早く到着。
 「先輩に今晩は布団で寝たほうが正解と言われたので、頑張ってしまいましたよ」との弁。
 烏帽子岳への往復から始まり、三俣山荘への行程と宿泊と停滞、一緒に歩いた訳ではないが、正味二日間顔をあわせていたことになる。

北アルプス南部の大展望
北アルプス南部の大展望 (ダブルクリックすると拡大しスクロール、クリックでもとに戻る)

40代半ばぐらいの男性、東京の人Cさんとも、正味二日間顔を合わせていた。東沢乗越からの足場の悪い道を水晶小屋に登ったら小屋の前に人の姿が…丸二日経って初めて向こうから来た人に出会った、それがCさん。先方も向こうから登って来た人間がいたのでびっくりしたらしい。Cさんは空身で水晶岳往復に出発、ややあって私も後を追う。このあたりから天候が急に怪しくなり、水晶小屋に戻るころにはガスに包まれた。三俣山荘に着いて、「泊まります」と小屋の人に声をかけたつもりが、Cさんだった。朝に双六小屋を出て、三俣山荘に荷物を置き、雲ノ平祖父岳から水晶岳、鷲羽岳を回ったとのこと。

かくして、先のBさんと、このCさんと私が、この日の三俣山荘の泊まり客。私は日程変更を決めていたので、ゆっくり出発のつもりだったが、それでも10時ぐらいには出ようと思っていた。出発前に9時10分からの気象通報を聴いたら、低気圧の進み方が遅く、前線はまだ通過していない模様。案の定、あがったと思った雨がまた強くなってきた。12時出発と私が決めたら、BさんもCさんも追随、展望のない展望食堂でコーヒーを飲んで時間つぶし(私は一応受験勉強も)。Cさんは新穂高温泉に車を置いているらしく、鏡平経由で下山とのこと。

槍ヶ岳に続く後立山連邦の山並み

三俣蓮華岳への登りは、10mぐらい後からCさんが続く。Cさんは沢登り山登りを相当しているようなので、普通なら他の登山者をごぼう抜きなんだろうが、ここは同じペースで登る方が楽との判断みたいだ。双六小屋への下りからは、二人連れ登山者のごとく一緒。

双六小屋はひっそりとしていて、人の姿も見えない。何やら食べながら、Cさんと小屋の前のテーブルで大休止。
「この天気だから登る人はせいぜい鏡平泊まりかな」と言っていると、ひとり登ってきた人がDさん。Dさんは50代の女性で高崎の人、恐るべしおばさんパワー(失礼)。
「いやあ、雨の中、ご苦労さんでした。どちらから」
「新穂高温泉からです。そんなにひどい雨じゃなかったです」
「そうですか、たくさん登っていましたか。鏡平山荘は混んでいそうですか」
「60人の予約が入っていると小屋で聞きました。NHKが生中継するらしくて、その関係の人も沢山いましたよ」
 これを聞くなり、Cさんと私、「やめた。ここで、泊まり」。
 三人揃って双六小屋にチェックイン。そんなことで、食堂や談話室でも、この三人で言葉を交わすことが多かった。

天候が回復するにつれて、小屋に到着する人も増えて最終的には30人ぐらいになった。Cさんが二日前に泊まったときは7人だったらしいから、さすがに三連休直前だ。この時期の北アルプス、この山域だと、さすがに中高年の団体はいない。週末登山でない単独行の我々に共通するところは、マイペースで気負いもなく、日程も融通無碍というところか。

三俣山荘で別れたBさんは黒部五郎岳に向かい、冬季小屋に泊まるつもりと言っていた。Cさんは双六小屋から、天気と気分次第で笠ヶ岳を回って下山ということ。Dさんは天気がよいので槍ヶ岳を登って下山することにしたと言う。

鏡平での筆者

そして私、景色を眺めながら出来るだけゆっくり下山、新穂高温泉で汗を流して、平湯で夕方の新宿行高速バスに乗り、ビールを飲んで寝て帰ろうという算段。

EさんはNHKの(たぶん)ディレクター。50代のひげ面のオヤジ。鏡平に下りたら、ちょうど小屋の前でNHKのスタッフが機材を撤収中。5日夜(東海ローカル)と6日朝(全国ネット)に、鏡平から生中継したそうだ。キャスターのおねえさん(たしか川手飛鳥さんとか言っていたような)は、快晴の下山に備えて壁塗りに余念がない(真っ黒になってテレビに出るわけにもいかないしねえ)。

最近、大学のワンダーフォーゲル部OB会のメーリングリストで、剱岳からのテレビ中継のためのボッカ募集というのがあったが、スタッフの中にもボッカバイトのような人がいる。Eさんは名古屋放送局の人らしいが、高山や富山の地方局との混成チームのようだ。リーダーがEさんということのようで、山にいるとディレクターというよりも現役の山行に同行した恐いOB風。

小池新道の秩父沢の橋のところで休憩が一緒になり、ちょっと話したが、剱岳の取材は東京の製作らしく、地方局としては「あっちは全国版だものなあ」と、ややひがみもあるようだ。

彼らは、わさび平まで車を入れてそこから登ったらしく、新穂高温泉への林道歩きで抜かれてしまった。一般車乗入禁止だが公共放送ということで、営林署に特別許可をもらったんだろう。下山する登山者の脇を抜けるとき、当たり前だが充分に減速していたし、Eさんだけでなくキャスターのおねえさんはじめ同乗のスタッフがきちんと黙礼していた。さすがNHKと言うべきか、私の見るところでは、これはEさんの躾だろう。秩父沢でもちゃんと携帯用灰皿を使っていたし、もとは山屋のディレクターなんだろう。

【三俣山荘と双六小屋】

営業している山小屋に泊まるのは20年ぶりぐらいか。ワンダーフォーゲル部現役のころは、山はテントを持って行くのが当たり前だったし、社会人になって数年間に何度か利用しただけ。昔とあまり変わっていないようでもあるし、大きく変わったところもあるし。

三俣山荘と双六小屋、その間の行程にすれば二時間、悪天候でもなければ連泊することはないが、今回たまたま続けて泊まったため、両者の違いが印象に残った。三俣山荘は伝統的な山小屋タイプ、双六小屋は新しいタイプの山小屋とでも言おうか。

まず、驚くのが双六小屋の綺麗さ。今回、客室が畳敷きだったのはここだけ。烏帽子小屋は板の間にゴザ敷きだったし、三俣山荘は暗い蚕棚にマットレスが敷きっぱなし。三俣山荘の寝具は都会ならホームレスでも、もう少しマシと思うほど汚い。
 双六小屋の二階客室の窓は大きく、私の泊まった部屋からは朝日でバラ色に染まる鷲羽岳が正面に見えた。三俣山荘は二階の展望食堂に行けばいいのだろうが、寝場所の窓は小さいし眺めもない。そして、双六小屋のトイレは何と水洗。これには、えーっと驚いた。

朝の双六小屋 双六池から笠ヶ岳方面を望む

次に、感心したのは、双六小屋のお客に対する姿勢。受付のおにいさんが言葉も丁寧で、テキパキとしていて好感が持てる。これは彼一人だけでなく、食事の世話をしていたおにいさんも、おねえさんも同じ。みんなよく動いているし、登山者をお客様として応対している。登山者の出発時には、ちゃんと「お気をつけて、行ってらっしゃい」と声かけをしていた。夕食後の時間にNHKの鏡平中継を談話室のテレビで見たが、従業員は後ろのほうで遠慮しながら見ていた。

この談話室は食堂の向かい側にあって、6畳程度の部屋が二間続き。みんなで酒を飲みながら、ついくつろいでしまう。ビールなどを頼むと、この部屋まで運んでくれる。

三俣山荘は、これが山小屋では普通だが、到着しても受付には誰もいない。後で判ったのだが、客も少ないので従業員は大体は二階の展望食堂にいて時間をつぶしている。受付に出てきたおにいさんは、単に口下手なのだろうが、愛想がない。三人しか客がいないのに、食事券など渡す必要があるのか、しかもご丁寧に蚕棚の位置まで書き込まれている。もちろん、三人は勝手に広々と寝た訳だが…

夕食になって二階の展望食堂に上がったが、客室から鉄の階段で繋がっており、行くのがおっくうだ。中には主とおぼしき人と写真家の卵(たぶん居候か)が何やら熱心に話しているが、お客が三人入ってきても無視している。くたびれていたこともあって、食事後早々に引き上げたが、何となく居心地が悪い。この食堂は、外から直接入れるようになっていて、どちらかと言えば、宿泊客というよりも外からの休憩客を意識した作り方だ。

翌日はさすがに半日停滞で、展望食堂に居座った。コーヒー500円。サイフォンでいれてなかなかいいが、フレッシュが古くて分離している(ちなみに双六小屋は400円で、こちらはペーパーフィルター)。

食事の内容は三俣山荘も悪くないが、双六小屋を知ってしまうと色あせる。三俣山荘では、大きめの一皿に10品ぐらいが並べられており、皿の上の幕の内という感じ。メインの位置には肉のタタキ、ワカサギのフライ、かまぼこのようなものの天ぷら、マカロニサラダ、煮豆等々。双六小屋は鳥の笹身のカツ、野菜の天ぷら、ツナサラダ、細切りキャベツ…が中くらいの皿に山盛り、別の小鉢に小粒ジャガイモの煮物(これ結構いける)、山小屋の食事としては破格の立派さ。昔、鏡平山荘に泊まったときも、揚げたての天ぷらがたっぷり出て驚いたことがあるが、同じ経営者だからかなあ。何となく、オーナーの姿勢が随所に表れているような気がしてならない。

三俣山荘の伊藤氏は信州の人、双六小屋の小池氏は飛騨の人。
 そう言えば、山小屋も然りだが、信州の宿で私はあまりいいサービスに出会ったことがない。ホスピタリティに欠ける訳ではないんだろうが、信州人の不器用さと言うか、真面目さと裏腹の愛想の無さか。なまじ観光資源に恵まれ過ぎているために、お客は放って置いても来るということも背景にあると思う。

三俣山荘の伊藤氏が係争中の林野庁相手の地代問題にしても、何となく信州人の不器用さ(悪くいえば独善)という根が繋がっている気がする。役所の対応は確かに問題が多いと思うが、伊藤氏の理屈にも諸手をあげては賛同しかねる。収益基準で地代を徴収するという役所の方針変更に対し戦っているらしく、登山者にも理解を求めているわけだ。山小屋の文化性や公共性を主張するのも結構だが、収益事業であることは否定できないし、プライバシーの観点で経営内容の開示を断固拒否するという姿勢も納得がいかない。何てったって、客としての登山者の立場からすれば、対価(一泊二食8500円)に見合うサービスを期待したいし、お客第一という接客業の基本をおろそかにしながら建前論議をしても、広汎な支持は得られないだろう。

後半日程が重なったCさんは、新穂高温泉から登り、そこに下りることが多いらしい。信州側は近いが不便、温泉も少ないし、サービスも悪いというのが理由とのこと。確かに新穂高温泉バス停横には無料のアルペン浴場があるし、観光案内所や売店のおばさんの愛想が良くて親切なこと。

売店の店先にあった温泉卵を食べようかと手を伸ばした途端に、横にあった塩のビンを落として割ってしまった。おばさんがすぐに飛んできて、「ああ、そのままにしておいて下さい」。つい卵を買ってしまった。卵の横には、売店の人が新聞チラシで作ったとおぼしき折紙のゴミ箱まで沢山置かれている。

国道158号の安房峠トンネルが開通した今、東京方面からのアクセスも良くなったし、飛騨側に回る登山者が増えそうだ。上高地へは、車なら沢渡でバスに乗換、そうでなければ新島々で電車とバスを乗継というのが永らく続いているが、これもお客第一の姿勢とは言い難い。バスを松本まで走らせるとか、いっそ新島々から横尾あたりまで登山電車を伸ばすという発想はないのだろうか(この登山電車構想は宮脇俊三氏の著書にも書かれている)。

お役立ちグッズ

【お役立ちグッズ三点】

だいぶ前に買ったカシオのプロトレックという腕時計。高度計がついているのに使ったことがなかったが、結構役立つことが判った。気圧計が内蔵されているので、それから逆算して高度を表示する仕組み。標高が判る地点で基準高度を設定すれば、大体5~10m程度の誤差で現在高度が判る。気圧の急激な変化があると誤差が拡大するので、三角点や独立標高点でこまめに補正しておけばよい。今回のブナ立尾根のような長いひたすらの登りには励みになるものだ。

黒っぽいサングラスは陰に入ると暗くなりすぎるので、今回イエローのレンズのサングラスを買った。これが、なかなかいい。曇っているとき、ガスがかかっているときに、とても見やすい。車のフォグランプと同じ理屈だろう。裸眼でははっきりしない山の襞がよく見える。薄暗いときの足許が見やすい。だから、ほとんどずっとかけっぱなし。お陰で、ときならぬパンダ焼け状態。

携帯電話がどこまで繋がるかがちょっと心配だった。北アルプスの山小屋には大概電話があるが、こちら中年の単独行なので、なるべく頻繁に連絡を入れておきたい。結果、今回のコースでは主稜線上からだと、大体電波は届く。烏帽子小屋までの登りもOK、新穂高温泉への下りもOK。逆に山小屋では山の陰に入ったり、主稜線を少し離れるのでダメだった。勝手に遭難対策本部にしたS君に、ポイント、ポイントでメールを飛ばす。S君からは、気象情報の返信が帰ってくる。事前に打ち合わせた訳ではないが、これがなかなかいい感じ。天気図は低気圧接近の時には書いたものの、適宜マクロの気象情報が入ってくるので、判断が的確になった。

なお、Bさんも携帯電話を使おうとしていたが、野口五郎岳頂上では私のTuKaは楽勝なのに、BさんのJ-Phoneアウトだった。DoCoMoでないと無理かなと思っていたが、TuKaもなかなかやるじゃない。

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