️大峰山脈・釈迦ヶ岳 ~ 「奥駆みち」と「萌の朱雀」と
2003/11/2

連休がたんさんある秋なのに、しばらく山登りに行けず、そろそろ虫が騒いできたところだった。出かけたのは8月に登った弥山から南に望んだ釈迦ヶ岳。ガイドブックによれば、大峰山脈随一の眺望という話だ。

この山は大峰奥駆みちの核心部分の南端にある山、山上ヶ岳から大普賢岳、弥山を経て、釈迦ヶ岳から前鬼(ぜんき)に下るコースは平安時代から踏まれている道らしい。

この大峰奥駆みちの本来の終点は、遙か南の熊野本宮、彼の地の熊野古道とセットでユネスコの世界遺産になるとかの話が聞こえてくる。富士山が山麓も含めた人とゴミの多さ、その自然破壊が理由で却下されつつけているのと対照的だ。昔からの姿を変えていない山や谷、それを伝う古い道、手つかずの自然が残っていることでは、こちらのほうが世界遺産の資格がありそうだ。

林道の終点近くに車を置いて山頂を往復、錦秋を愛でるには最適の秋の連休なのに、頂上には20人程度、すれ違った登山者の数からして、100人も入山していない感じだ。釈迦ヶ岳の頂上からは、ほんと、山しか見えない。紀伊山地のど真ん中と言ってもいい位置だから当然のこと。北アルプスあたりでは稜線ならほぼ使える携帯電話も完璧に圏外、山梨の茅ヶ岳に登っているはずのS君親子にメールをしてやろうと思っても、全く駄目。

東に大台ヶ原山系、北に弥山から吉野に繋がる大峰山脈、西に奥高野の峯々、南は熊野の山なみ。特徴のある山が少ないので地図を見ながらの山名同定は大変だ。雨も近そうだし、長居はしない。釈迦ヶ岳(1799m)の頂上には、名前のとおり、釈迦如来像があった。こんな重いものをどうやって運び上げたんだろう。

山頂に至る尾根道は、大峰山脈北部の岩稜や深い森とは趣きを異にする。足許は笹が多く、尾根道は明るくて展望が開けている。この登山道には、地元の十津川村立上野地中学の全校登山を記念する立派な道標があちこちにある。今でもそんな学校行事があるんだ。

向こうの奥駆みち主稜線上、大日岳の鋭鋒がひときわ目を引く。釈迦ヶ岳と大日岳との鞍部には深山山小屋、遠目には、なかなか気持ちの良さそうな場所だ。あちらの稜線もいつか歩いてみよう。

林道からは山頂まで3時間弱の行程、電車とバスを乗り継いだら優に二日がかりだろう。ほとんどがマイカー利用の登山者だ。私は自宅を5時出発、8時前には登山口に。まだ車は数台だったが、午後1時頃に下山したらかなりの台数が駐車していた。歩いているうちは薄曇り、どこまで行っても雨男の本領発揮で、登山口に下り立つ30分ほど前には、きっちり降り出した。

国道169号線で分水嶺を越え、十津川支流の旭川を遡ったところが登山口になる。雨の中、車で下ると滝が連続する谷が眼下に。登るときには気づかなかった紅葉は、なかなかのものだ。かといって、ガードレールもなく時折ダートになる林道なので、よそ見運転は禁物。

国道との分岐点が旭橋、そこから2kmほど新宮方面に向かうと、谷瀬の吊橋。以前、大塔村の「星のくに」に家族で出かけたときにも立ち寄ったところ。さすがに、雨で濡れた吊橋はスリリング、幅20cmぐらいの板が4枚縦に並べているから幅は充分にあるし、両サイドはネットでガードされているから、落ちる心配はない。それでも、揺れるのと滑るので、固まってしまっている人も。
 川の水面から50mあまり、全長が300mを越す。歩行者用では日本一の吊橋です。ここからダイブすれば間違いなくお陀仏、道頓堀川とは訳が違う。それでも、地元の人たちはここを自転車やバイクで渡るのだから、すごい。ご丁寧に、吊橋のたもとにある注意書には、「観光客が二輪車で橋を渡ることは禁止します」とある。この橋は今では十津川村の観光資源、吊橋を渡らなくても川面に近い位置に車道橋が出来ているから、渡るのは観光客と地元の人の自転車ぐらいか。ここを訪れるのが二度目の私は、国道沿いのレストハウスではなく、今回は車で対岸に回ってみた。

帰り道の温泉は、大塔村の「夢の湯」、800円の入浴料が600円に値下げ(村民は300円)、デフレは山村にも浸透しているぞ。それも結構なこと。村内の「星のくに」は、これからがシーズン、もっとも、夜中の付属天文台での観測会はちょっと寒いが。

もう一つの寄り道は、写真の皇居。国道を飛ばしていると、まず見落としてしまう。西吉野村の賀名生(あのう)という場所、五條に出るまで車で30分ぐらいのところ。
 皇居と言っても、延元元年(1336年)に京都を逃れた後醍醐天皇の仮住まい、それでも"皇居"と大きな木の看板、いちおう重要文化財となっている。堀さんという人が現に住んでいるらしく、木戸口には小さな表札がかかっている。藁葺き屋根の皇居、住み心地って、どんなものなんだろう。

"皇居"のすぐ裏手は吉野川支流の丹生川の流れ、そこに不思議な橋が架かっている。裏山の方に回ると、この橋に繋がる真っ直ぐな道が。橋の先はトンネル、反対側もトンネルだ。そして、ぽつんと、「賀名生」のバス停が。
 そう、これは「萌の朱雀」こと、旧国鉄五新線の軌道跡だ。カンヌ映画祭でグランプリを獲った河瀬直美さんが監督した作品のタイトルは、都を南北に走る朱雀大路の暗喩ではないかと思う。
 五條から新宮まで、紀伊半島中央部を南北に貫く鉄道の工事が、西吉野村までで打ち切られたのは、20年ぐらい前になる。今は日に何本かの特急バスの専用道路として使われている。

奈良県には五新線の他にも、繋がらなかった鉄道、名松線がある。こちらは名前のとおり、三重県の松坂と名張を結ぶ軌道だ。松坂側からは伊勢奥津(おきつ)まで達しているが、一方の名張からはバスが走るのみ。名張も三重県だが途中に奈良県の御杖(みつえ)村を通る。沿線(?)には奇異な山容の曽爾(そに)火山群、ここは高校生のころによく登った山々だ。
 五新線といい、名松線といい、いずれも開通したところで大赤字必至のローカル線だが、登山者には有り難い鉄道になったはずだ。

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