️10000アクセス ~ 予想外のスピード
2003/11/20

このホームページを「幡ヶ谷短信」というタイトルで開設したのが2002年の8月、1年あまりで10000アクセスに到達するとは思ってもいなかった。何しろ最も身近な会社関係者には、ごく一部の例外を除き、ホームページの存在を知らせていないし…
 ここは、あくまでもプライベートの世界、仕事そのものとは一線を画すつもりで製作しているが、どこまで達成出来ているやら…

   

「幡ヶ谷短信」改め「富雄だより」

東京に単身赴任となったのが2001年の初め、カミサンと二人の息子と離れるのは淋しいけれど、ほんとうに久しぶりに一人の時間が潤沢に持てるということでもあった(留守宅を守ってくれたカミサンには、満腔の感謝…今も、好きなことばかりして、カミサンには迷惑をかけてばかりだが)。

そのまま自然体で過ごすと、どんどん家族との距離が広がる危機を予感した訳ではないが、ともかくこちらの様子を発信しなくてはと、こまめにメール。さらにはカミサンのともだちサークルの機関誌にエッセイ風の雑文を寄稿。そんな断片が形をなしているのが、このコーナーということ。さらに、大半が東京在住のクラブ同期への同報メールで発信した大阪人の生態解説シリーズも母体になっている。

「da Giacomo」

東京に単身赴任、時あたかも「キレる49才」「第二の思春期…思秋期?」、嫌なことが多い日常とのバランスをとるためには、オフタイムの充実が肝心。東京、しかも、幡ヶ谷に住むということは、私にとってはこの上ない僥倖だった。何てったって、新国立劇場まで徒歩圏だから。あきれるほどの劇場・ホール通い、1980年代後半のNY以来、黄金の日々の再来だった。

回数をこなすためには少しでも安いチケットをと、暁の出撃も辞さず、ネット上の「チケット掲示板」にもお世話になった。そちらで、「死の都」のチケットを譲っていただいたことを機にメル友となったNさんと、オペラやコンサートの感想をメールしあっていたのが、「クラシック招き猫」というBBSに移行。恥ずかしながらブライベートからパブリックなものに。果ては、それをリライトして(と言っても、ほとんど修正しないが)、ホームページに載せているのが現在の姿ということ。ことのついでに、時間を遡って記憶に残る古いものまで…

「再開!中年登山」

学生時代に一緒に山登りをした友だちも、みんな立派なオヤジ、体力には自信のあった面々なのに、健康が気になる歳になった。単身赴任したら、デスクワークの毎日の運動不足とストレス解消のためにも、月に一度は登り残した関東の山々に出かけてみようと思っていた。

そんなとき、まだ青春の尻尾を残している(と思われる)S君やM君やK君が、私に付き合ってくれて、単独行ばかりでなくなったのは嬉しいことだった。昔と違って、車という機動力を使うことで、行動範囲が飛躍的に広がった。長野や福島あたりなら、日帰りでも行ってしまうという自分の歳を考えぬ過激さ。その余波で、奈良に戻っても、紀伊半島の山々に分け入るという始末。でも、息子たちが山登りに全く興味を示さないのが、淋しいところ。

LINK & MAIL

当初、リンクは設けていなかった。掲示板で知り合った岩手在住のSさんが、ご自身のホームページから私のところにリンクを張っていただいたのがきっかけだった。最近はサボってメンテナンスをしていないし、このLINKにあるところもあまり訪問していないのは気がひける。

ホームページ内に掲示板を設けていないのは、その管理が大変だと思うことと、コロコロと話題が移り、ときに逸脱もあるチャット式のBBSが好みでないことが理由。それもあってか、ホームページからMAILを経由してご連絡いただくことは、あまり多くない。でも、突然に、熱心な読者の方からメールをいただいたり、著名な演奏家からお便りいただくこともあり、これは廃止するわけにはいかない。

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