️新年、日だまりハイク ~ ポンポン山から天王山まで
2004/1/4

年末年始のお休み、食べ過ぎ飲み過ぎはいつものことで、体をもとに戻すつもりで出かけた久しぶり山登り。ところが、ちょっと行程が長かったかな。最後になって、どうも膝の調子が悪い。歳かなあ。

2か月ぶりの山登りなので、足慣らし程度の近場の山に電車で。向かったのは京都西山と言うか北摂の山と言うか、ポンポン山という冗談のような名前の山。そこから、知名度ではとてもメジャーな天王山まで歩こうという目論見。休憩を含めて6時間程度のつもりが、途中のルートファインディングやら膝の痛みやらで、もう少しかかったかな。

スタートはJR高槻駅からバスで30分ほど北上した出灰というところ。「ではい」や「でばい」ではなく、読みは、「いずりは」。大阪府内もちょっと山に入れば山村の趣きだ。椎茸の榾木(ほたぎ)などが道ばたに置かれていたりする。それにしても、2時間に一本ぐらいのバス便をつかまえないといけないので、公共交通機関利用の山登りは大変。自分のペースで動けるマイカーとは大違い。おかげで、歩き出してしばらくすると、催してくるものが…。そこは山峡のいいところ、ちょっと道ばたの林に入って枯れ葉を除けて…

一休禅師の創建になる尸陀(しだ)寺跡から登るポンポン山は1時間程度で到着、標高678.9mだから、低山も低山。でも、京都市内からなら西に目立つ山かも知れない。頂上からの眺めの逆を考えると、そうなる。本来の名前は加茂勢山らしいが、誰もそんな名前では呼ばない。頂上にあった説明書きには、「この山は正しくは加茂勢山といいますが…」と書いてあるのに、それを消して「もともとポンポン山といいます」と落書きをする人間がいるのも大阪の山らしい。よく見れば、標高はストレートフラッシュ。六甲にはゴロゴロ岳という標高565.6mの山もあるし、選挙でお笑い基礎票が100万もあるという大阪ならではか。

それにしても、一月だというのに暖かな日、遮るもののない頂上でゆっくりとくつろげるのも、この時期とは思えない。しかし、まあ、山登りにしちゃ、年甲斐もなく派手な格好だ。

あっさり登ったポンポン山から天王山までは結構長い道のりとなる。最高点からほぼ下り一方の道とは言え、最近運動不足の身にとっては、全体の疲労よりも個別の筋力の問題がありそう。下りの道で膝が痛くなるのはついぞ経験したことがないこと。それも、途中の車道歩きのせいか。そんなに長くはなかったんだが、道に迷うと余計に疲れも増すようで…

ポンポン山からすぐ隣の釈迦岳を経て、いったん車道に下る。山の中の、車もほとんど通らない道なのに、ゴルフ場、NTTの無線中継基地、そして造成中の霊園と、人工的な施設がいっぱい。大阪府高槻市と島本町、京都府長岡京市の境となっているこの辺りは、車道の幅も突然変わったり、新しい道に付け替えの途中だったりする。登山道と言うかハイキングコースも突然消失。あれあれという状態だ。

道に迷うのは、山の中ではなくて、山と里の中間というのが私のこれまでの経験則だが、図らずもそれを実証することに。輻輳する新道から旧道に車道の法面を駆け下りるなんて、アホらしいことこの上ない。行政区の境の林道にありがちな廃棄物の不法投棄も酷い状態だ。

楊谷寺、名刹らしいが、この辺りを聖域(早い話が私有地)と称し、汚すべからずというような看板をあちこちに立てているのは笑止。この地域は島本町の水源涵養地とのことで、車道沿いには金網も張り巡らされているものの、粗大ゴミの投棄とイタチごっこのもよう。いっそ、山を切り開いた宗教法人やゴルフ場から目的税(環境税)を徴収して撤収作業に当てればいいのにと、つまらない車道歩きの腹立ちから過激なことを考えてしまう。
 そんなことを思ってアスファルトの道を辿ること暫し、やっと車道脇にハイキングコースの入口を見つけて地道に。ここでホッとするのは不思議。
 このほか、里山らしい生臭さを感じるのは、天王山に向かうハイキングコース脇の竹林や畑に、やたら「立入禁止」の看板の多いこと。竹林の筍などの盗掘に悩まされているよう。

途中で道を失ったとき、あっさり水無瀬渓谷に下山するという選択もあったのだが、天王山を目指したのは、予定コースだったことに加え、車道歩きを最小限にしたいという気持ちから。京都西山の尾根が南に延びて淀川に落ち込む末端のピークが天王山。標高わずか270m、しかし、JR山崎駅、阪急大山崎駅まで一気の下り、急傾斜の登山道の終わりが鉄道の踏切というのは、他に例があまりない。途中の展望台から見下ろすと、狭いところに東海道新幹線、JR東海道線、阪急京都線、名神高速道路と最近延伸されて繋がった京滋バイパスの大山崎ジャンクション、国道171号線などが密集、これらのスペース以外の土地は、淀川と天王山の間にほとんどないほどだ。

天王山のピークはちょっとした広場になっていて、日中はハイカーで賑わっていたことだろうが、私がポンポン山から到着した頃には人影もまばら。例によって雨がぱらつくのは、どこまで行っても雨男。幕末、禁門の変の際にここで自刃した真木和泉らの十七烈士の墓を経て下山。左膝の変調は、この天王山の下りから始まる。里山をなめた訳ではないけれど、やはり、ブランクの後の山登りにしちゃ行程がちょっと長かったかな。

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