️京都、新撰組ハイキング ~ 花粉にもめげず…
2004/2/28

とうとう私も花粉症か。この歳になって、アレルギー発症に至る閾値を超えてしまったのかしら。木曜日から鼻水が止まらず、金曜日に会社の診療所へ。採血して10種類のアレルギー項目をチェックなんてことに。スギ花粉に始まり、ブタクサやら、果ては猫までリクエスト、色々な検査項目があるものだ。ただの風邪だといいのだが、喉の状態は何ともないから、いよいよ…

そんなことなら、この季節、休日はうちで大人しくしておればいいのに、ちょっと京都まで。近鉄電車の駅に置いている「ハイキング情報」なる冊子、毎週末、沿線のあちこちで企画がある。
 28日開催には、京都駅出発の「新撰組の本拠地壬生周辺を訪ねて」という駅長お薦めフリーハイキングのことが掲載されていて、幕末マニアのカミサンに話したところ乗り気、しばらく前から予定をしていた。
 ところが、数日来の花粉飛散増で病歴10年のカミサンはあっさりリタイア、一人で出かけることに。花粉が怖くて山登りなんて行けるとか言いながら、アレルギーなのか皮膚も荒れるし、あちこちが痒い。最近、体の変調が気になる。

さて、スタートは京都駅八条口、近鉄、JRのガードを潜って線路の北側に出たところはリーガロイヤルホテル、新撰組の不動堂村屯所跡を示す石碑が、ホテルの名の表示と並んでいるところが、何となくおかしい。この場所の用途は昔も今も変わっていないということだろう。近藤勇の歌が刻まれた石碑は新しそうだったから、最近のブームで作られたものかも知れない。

このフリーハイキングは、駅でモデルコースの地図をくれるだけ、集合時間や出発時間が決められている訳ではないので、午前中、電車が到着するたびに三々五々歩き出す。同じ地図を持った人を前方にも後方にも見かける。堀川通を北上し西本願寺を過ぎ西へ、花屋町通を行くと、島原大門。そこから先が島原遊郭、今も残る歴史的建造物が置屋の輪違屋(わちがいや)、揚屋の角屋(すみや)など。

京都では南北だけでなく、東西も「通」と言うので、南北を「筋」、東西を「通」と呼ぶことに慣れた大阪人としては違和感がある。マンハッタンに住んでいたとき、Av.とSt.は大阪と同じ方式だから、とても親近感があったものだ。

角屋は「京の冬の旅」キャンペーン中の公開のよう。600円払って内部を見学する。厨房から入って座敷と庭を見て回るガイドツアー。大宴会をするにしては厨房のスペースはそんなに広くない。配膳をする板の間は段差が全くないバリアフリーで床下収納庫まであるのは合理的。奥の大座敷からが臥龍松の庭越しにオープンな構造の茶室が見通せる配置はユニーク、あちらで茶を入れたり、歌舞音曲を奏でる太夫を眺めたのだろうか。

この角屋には西郷隆盛が使った行水に使った盥(たらい)が残っている。説明によれば、太平洋戦争末期、空襲に備えて軍事施設に隣接する建物は取り壊しを命じられ、山陰線に近い角屋も取り壊しの予定だったらしい。しかし、この西郷の盥はじめ、明治の元勲ゆかりの建物であるため、しばらく延期してもよかろうとなり、そのうちに終戦、取り壊しを免れ今に至ったとのことだ。

島原を抜け、壬生へ。壬生寺あたりは、NHKテレビの影響か、高い見物料、つまらない土産物など、便乗商法が目につく。八木邸、前川邸などを素通り、四条大宮へ。六角通を西に折れて六角獄舎跡に寄り道、マンション入り口横の目立たないスペースだ。目立たないことで言えば、二条城の北側、丸太町通にある京都所司代屋敷跡の石碑はもっとすごい。小学校のコンクリート塀がわずか20cmほど三角にへこんで、そこにひっそりとある。

ハイキングコースもそろそろ終盤、京都御苑の梅も咲きかけだ。まだ二月、人出も少なくちょうどいい感じ。蛤御門を抜けたら、地下鉄今出川駅はすぐそこ。

約10kmのハイキング、ときどき鼻水を垂れながら、ゆっくりとした町歩きを楽しんだ。奈良もそうだけど、京都もタイムスリップしたような場所がいっぱいある。

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