️奈良、遙か南へ ~ 大峰山脈・玉置山
2004/6/5

梅雨入り間近、これが最後の晴天の週末になる気がして、遠出の日帰り登山を敢行。車の走行距離が長くて、半ばドライブに近いものがある。山道を走るのも大好きなもので…

行き先は大峰奥駆(おくがけ)道の南端、玉置山(たまきさん)だ。これで大峰山脈の名の通った山には、この一年で登ったことになる。もっとも、まだまだたくさんの山や谷があるが。

国道168号をどんどん南下、奈良県十津川村折立から玉置山へ登る林道が分かれる。登山道なら3時間半、林道は頂上直下の玉置神社の参道入口まで繋がっている。山の中にしては立派な道、木材搬出のトラックともすれ違ったので、信仰と林業のための道なのだろう。もちろん、私のような登山と観光の目的も。

玉置神社の参道大鳥居前が駐車場、朝の8時に到着したら、車の姿はは1台もなし。同じ県内からとは言え、県の北端からここまで3時間、無理もない。

玉置神社、こんな山の中なのに立派なお社だ。境内の看板によれば、昨年秋には創建2050年の記念の大祭が行われたようで、第十代、崇神天皇のころが起源のとのこと。
 玉置神社にお詣りをして、裏手の道を登ると15分ぐらいで1076mの山頂、大峰山脈もこのあたりまで南下すると、標高も低くなる。しかしながら相変わらずの山また山の連なり。十津川を挟んだ奥高野の山が近い。南の方向には熊野灘も望めるらしいが、遠く霞んでいる。頂上にコンクリート製の祠があって、沖見地蔵尊が祀られているから、やはり海が見える山なんだろう。玉置山には、舟見岳という別名もあるようだし。

これだけだと歩き足りないので、頂上から東に派生した尾根を小一時間辿る。宝冠の森という名が付いた大峰山脈には数多い行場の一つ。北山川に向かって張り出した岩峰だ。そこに至る尾根には鎖場もあって、私以外は誰ひとり登山者のいない場所なので、いつになく慎重に。ここから見下ろすと、見事に蛇行する北山川が光っている。

ここに至って、ようやく携帯電話の通信エリアに入って、メールが着信。「帰りに病院に寄って、洗い物など持ち帰ってね」、「ははっ、了解しました」、休日にひとりで車を専用したものだから頭が上がらない。たぶん、最南端の山ともなれば、新宮方面から電波が来ているのだろう。これまで登った大峰山脈の核心部は、どこも携帯の圏外だった。

昭文社から出ている登山地図、2003年版を持って行きたが、家には昔買った1979年版がある。二つを比較してみると面白い。昔の地図だと、玉置山への林道は西の奈良県十津川村と東の和歌山県熊野川町から登っているが、途中で行き止まり。二つは繋がっていないし、いずれも玉置神社に至っていない。
 そもそも、昭文社の地図自体、昔は大峰北部・南部と別売りだったのが、今は一つで全域をカバー。お得なのはいいが、大峰南部は地図裏面、表がレリーフ多色刷りなのに、裏面は二色刷という扱いだ。大峰南部を代表する玉置山が(走行距離はともかく)車で手軽に行ける山になって、本格的な登山の対象にはなりにくいこともあるが、大峰南部には百名山にリストアップされた山がなく、昨今の登山者を想定したら、コマーシャルベースには乗らないというのも大きな理由だろう。

その古い地図のタイトルが「大峰山脈(2)玉置山・瀞八丁」だから、これはついでに行かねばならぬ天下の景勝地。この林道には、「あっち折立、こっち瀞峡」という道標も立っていた。山登りを終えて駐車場に戻ったのはお昼前、時間もあるし、帰りは大峰山脈の東側、国道169号ルート、午後は登山者から観光客に突如変身だ。
 まあタイミングのよいこと、12:40の観光船の出発5分前に瀞八丁田戸の船着場に到着。お客はわずか5人。茶店のおばさんによれば、夏の観光シーズンには賑わうよう。時節柄、水量は豊富、大台ヶ原や大峰山脈という名うての降水量の山々が流域なので、谷も川も深い。ウォータージェット船で25分ほど、上瀞・下瀞を廻る。いろいろな名前が付いた奇岩があるが、私は岩よりも、深い碧の水面と、谷で切り取られた空を見ていた。
 船内のアナウンスで気がついた。ここは奈良県、三重県、和歌山県の境だ。ところが、和歌山県と言っても、ここは熊野川町の飛び地。そして瀞八丁の少し上流は和歌山県北山村、「全国唯一の飛び地の村」という地名表示の洒落た看板が、道路沿いに出ている。普通に考えると、奈良・三重の南部県境に、和歌山県が二か所割って入った変な形だ。昔は筏流しで木材搬出をしていた訳なので、その出発点も終点も紀州ということだろうか。徳川御三家の御威光もあるのか。

奈良県の南北の分水嶺は県の中央部を横切っている。今回、奈良県最南端の地を訪れて、実感として判ったのは、南に熊野灘に注ぐ十津川・北山川の水系でありながら、ここが奈良県である理由だ。つまり、東の北山川は北山峡・瀞八丁という険阻な谷で陸上交通が途絶するし、西の十津川にしても奈良・和歌山県境の果無(はてなし)山脈を横切るところは峡谷となる。一方で、吉野から続く大峰奥駆という修行の道を通じた往来は千古の歴史がある。文献を漁って確認してはいないが、歩いてみて、車で走ってみて感じたこと。

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