️御神体に登る ~ 巻向山・三輪山から山辺の道へ
2005/1/9

やっぱりカミサンに言われた。
 「とうちゃんが出かけると、天気が悪くなるんだから…」

午後には雪空になった。雪がちらついてきたので、天理の石上神宮まで歩くつもりを、山辺の道の途中で切り上げて、長岳寺からJR柳本駅へ。寒い一日、乗り換えの天理駅には、奈良健康ランドの送迎バスが待機しているではないか。と言うことで、お風呂につかって帰宅。
 「1000円もするのは高い!」とカミサンに言われたが、「この八朔3個100円は安い!」と、大好物のおみやげにはご機嫌。ただ、「このブロッコリーはちょっと開きかけてるなあ」だって。これは山辺の道の途中にいっぱいある無人販売所で購入したもの。「八朔もっと買ってきても、くるしゅうない」 とか。でも、重いしなあ。

三連休の中日、今回の奈良の低山歩きは万葉集でおなじみの巻向山(まきむくやま、567m)と三輪山(みわやま、467m)。それだけじゃ、物足りないので、山辺の道を時間と体力との相談で、適当なところまで北上という計画。計画と言えば聞こえはいいが、昨夜寝る前に5分で考えただけのこと。

ひとつ懸念事項があり、それは三輪山は御神体になっているので、はたして登れるのだろうかというもの。むかし読んだ三島由紀夫の小説に、主人公がこの山に登る場面があったし、たぶん大丈夫だろう、それに地図には何本もの道が描かれているし。

スタートは近鉄長谷寺駅、桜や牡丹の季節には賑わうところだけど、この時季、朝も早いし降り立つ人は数えるほど。ましてや登山者など皆無。結局、巻向山を経て三輪山に辿り着くまで、山登りの人の姿は全くなし。

大和川(初瀬川)を渡り、国道165号線を横切り町中の道を抜ける。小学校の裏手から白河川左岸の車道を辿り白河(しらが)の集落に至る。

こういう登山の対象になりにくい低山では、25000分の1の地図上に道があっても、そのとおり進めることは稀。ご多分に漏れず、巻向山も白河の集落に入ると、民家の脇を抜ける車道だか山道だか判らないような通路を、たぶんこの方向で行けばという勘と読図で進む。道標など期待できない里山では、取付き地点を見つけるのが大変。

下手をすれば、少し薮こぎをする羽目になるかと思っていましたが、無事山道に移行しました。でも、これはどうも地図上のルートではない。山仕事の道がたくさんあって、単純に山頂に向かうのではなく、水平の捲き道がいくつも分岐する。概して捲き道のほうがよく踏まれているので、意識して上に向かう踏み跡のほうを選択する。

頂上近くになって、ようやく地図に示された尾根道に南側から合流、そこからは地図どおり三角点の北側を通り、山頂には少し戻る感じで到達。ルートファインディングが上々で、回り道は一切なし。

三等三角点頂上はあるものの、見通しはない。少し下からだと大和盆地とその西、金剛山から二上山あたりが見渡せる。手前は、これから向かう三輪山になるが、巻向山から眺めると西に派生する尾根上のなだらかなピークに過ぎない。標高も100m低い。桜井あたりからだと三輪山は御神体らしく立派な山容だけど。

不思議なことに、山頂への道を分けた頂上直下の分岐から、足許の落ち葉の下はコンクリートの道になるが、車が通る形跡はない。途中、コンクリートの下の土砂が流出し、道が崩壊した場所があったから、納得。この道は木材の搬出のためのもののよう。

20分ほど下ると、地図には鳥居マークで神社のはずが、お寺、本堂には"真言律宗巻向山奥不動寺"とある。それもそのはず、私の地図は昭和50年のもの、国土地理院の閲覧サービスで見ると、マークが卍に変わっている。あの頃は、25000分の1の地図で日本全土がカバーされておらず、細かいところの現地調査(踏査)よりも、図葉の製作・発行を優先させたせいではなかろうか。

この不動さんから南に、桜井市黒崎方面へ向かう山道を辿ると、すぐに尾根に到達。これを西に行けば三輪山なのだが…

おっと、"三輪山は境内地に付 入山及び狩猟は禁止されています 桜井警察署大神神社(おおみわじんじゃ)"、との立て札。

ひょっとして、とは思っていたが、やっぱりそうか、ま、気にしないこと。何てったって、立派な尾根道がずっと繋がっているではないか。狩猟はともかく、入山禁止なら、こんな道の状態であるはずがない。

この前の御破裂山と全く同じ、三輪山のてっぺんに着いたとたん、突然人だらけ。何だこりゃ。山頂そのものは立ち入り禁止で、岩に注連縄が巻かれている。後で知ったが、どうも写真撮影も禁止されているもよう。私は裏手から到達したのでそんなことは知る由もない。したがって、御法度の写真が存在することに。

麓の狭井(さい)神社が参拝登山の入山口になっているようで、境内の看板によれば、初穂料300円を払い襷を付けて登るようだ。でも、大勢の登山者なのに、襷を付けている人はわずかだったが…

下山路はすぐに登拝道を離れ、ひとつ北側の尾根筋を辿る。誰も通っていないから、落ち葉のクッションが快適、ぬかるんだ地面で滑って尻餅をつくこともない。

狭井神社の境内には"清明"と記した三島由紀夫の石碑があった。説明書きによれば、昭和41年にドナルド・キーンとここを訪れ、社務所に三泊、その間に御神体にも登ったということだ。

この時の体験が小説の中に取り入れられているようで、それが、「豊饒の海」第二巻「奔馬」だということ、説明書きを読んで思い出した。その本は読んだけど、私は主人公が三輪山に登ったことしか覚えていない。この四部作は、晦渋な、あるいは作家の創作力の減退すら感じさせる文章だったような…

8時から歩き出して、まだお昼前、さて山辺の道はどこまで行こう。小学生か中学生のときの遠足で歩いたことがあるが、もう遠い記憶。あのころは地道が多かったように思う。その後、ずいぶん整備されたようだ。その分、鄙びた雰囲気も薄らいだとも言える。

玄賓庵(げんぴあん)のボロボロの山門、瓦が崩れ草むしている。拝観料代わりか、山門におかれた賽銭箱。なかなかいい雰囲気だ。これは京都の金儲け寺では味わえない、大和ならではの風情。

桧原神社は明るく開けた境内。鳥居越しに二上山の姿が絵になる。盆地の山裾を辿る道なので、どこからでも展望は効く。それだけ、開発の手が入っていない田舎ということでもあるが。

このあたり、日本のみかん栽培の発祥の地だとか、道理で無人販売の多いこと。振り返ると果樹園の向こうにはたおやかな三輪山の姿があった。

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