懐かしの屯鶴峯 ~ いま、遠足の定番は…
2005/2/13

小学生のころ、兎狩りをしたことがある。寒い季節だったから、遠足じゃなかったかも。たんに"兎狩り"という学校行事だったかな。

近鉄大阪線の電車で、確か二上駅で降りて、近くの丘陵地帯へ。麓から冬枯れの疎林の中、落ち葉をカサコソと踏みしめ、学年の生徒が散らばって、丘というか山を登っていく。どこが兎狩りなのか、わけもわからずワイワイと登っていくうち、やがて尾根筋に出る。広場のようになった山のてっぺんでは、地元の猟師のおじさんの手中に兎が何匹か。どうやって捕まえたのか、鉄砲を撃った音もなかったから、罠を仕掛けて捕獲したということだろう。要するに、子供らは勢子の役回り。頂上には大鍋が用意されていて、そこで兎汁が振る舞われるという寸法。

狩られた兎にすれば災難だけど、ずいぶんとのどかな学校行事だった。今どき、都市近郊で兎狩りなどできる山もないし、「動物愛護の精神に悖る、教育上いかがなものか」とか、「道もない山林をこどもに歩かせるなんて、怪我でもしたらどうする」なんて、間違いなく父母から声が上がりそうだし、学校側もそんなリスクを冒さないだろう。

「兎追いし彼の山…」という歌詞など、もはや小学唱歌の中だけのものになってしまったが、昭和30年代前半には、まだそんな光景があった。子供が何でも欲しいものを買ってもらえるような時代じゃなかったけど、原っぱや野山での遊びの楽しい想い出は、いっぱい残っている。

七つ年下のカミサンの世代になると、さすがに兎狩りという経験はないようだ。街の小学校だったからか、それとも、ああいうのは男子だけの行事だったのか。でも、私が兎狩りをしたあたり、屯鶴峯(どんづるぼう)には、子供のころに親と一緒に出かけたことがあるそうだ。

私も屯鶴峯には、それこそ小学校の遠足で行ったことがある。兎狩りの山とは線路を挟んで反対側だ。今はどんなふうになっているのか、興味と懐かしさ半々で、カミサン・子供と出かけた。

大阪府と奈良県の境、近鉄の大阪線と南大阪線が接近して並走するあたり、二つの路線に挟まれた国道165号沿いの丘陵地帯に屯鶴峯はある。この一帯では凝灰岩の白い地層が露出し、たぶん鶴が羽を休めている姿に擬えた命名なのだろう。天然記念物に指定されているようだ。

国道165号を柏原方面から香芝方面に走る。ところが、このあたりとおぼしき峠には、つぶれた食堂と駐車場があるものの、屯鶴峯への入口は見あたらない。それでは、裏手に回ろうと、奈良県側の穴虫から折り返し、県道703号・香芝太子線の狭い車道を西に向かう。1kmも走らないうち、右手に屯鶴峯への入口を発見。国道165号側は採石場や宅地開発などで道が消えてしまっているようだ。

入口には車が2台駐められる。先客のワンボックスカーからちょうど家族連れが降り立つところ。ひっそりとした石段を家族連れが二組登って行く。距離にして100mほど、標高差でも30m程度かな。すぐに屯鶴峯の最高点に到着。そこから北側は昔見たとおりの白い凝灰岩層が連なっている。ああ、こんなところだった、もう40年以上も前のこと。すぐそばの国道や近鉄はいつも利用していても、わざわざここに来ることもない。

北から東にかけて、近鉄大阪線沿いの奈良県側は最近宅地開発が行われていて、昔の面影はない。たぶん、あっちが、"彼の山"の方向だろう。西の山肌は大阪府側の葡萄畑、ビニールハウスが並んでいる。南の方向だけが、変わらない山の連なり、二上山から大和葛城山方面だ。

遠足で来たときには、お弁当を食べるだけじゃなく、きっと、屯鶴峯のなかを登ったり下ったり、走り回ったに違いない。斜めの地層、どこでも歩けるかわりに滑りやすい。最近のリスク回避第一の小学校なら、児童を連れて来そうもない。先生の目が行き届かないだろうし、子供同士でふざけて転ぶのは当たり前、100人もおれば必ず一人や二人の怪我人は出る。子供の擦り傷ぐらい大したことはないのに…。

今日にしたって、父親は谷筋に降りたり向こうのピークまで往復したり、あっちこっち歩き回っているあいだ、母親と子供は山頂で野草観察。おっと、ザラザラの凝灰岩に手をついて、「指すりむいたよ。かあちゃん、バンドエイド、ない?」なんて、とんだオヤジのご愛敬。

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