「夜回り先生」  ~ 優しさと、怖さと
2005/4/16

春から次男は中学生。私立に合格したのはいいが、ちょっと遠いので通学が大変。放課後のバスの本数が少なくて、学校の図書館で時間待ちしているらしい。これまで、家ではもっぱらマンガだったのに、普通の本を借りてきたみたいだ。

「とうちゃん、この人、知ってる?読む?」と手渡されたのが、水谷修「夜回り先生」という本。
 「あっ、知ってる。そう、この人、"水谷先生"っていうのか。前にテレビで見たよ」

少し前のこと、CMはなかったと思うのでNHKだったか、途中から何気なく見た番組は、講演内容を収録したもののようだった。そこで話をしていたのが、この水谷先生だった。

尋常ならざる番組だった。ブラウン管からこちらを見る眼差しの真摯さ、発せられる言葉の重量感。どこか宗教者のような風貌、会場からはしわぶき一つ聞こえないが、その空気が画面からひしひしと伝わってくる。飾らない肉声で語る言葉の迫力、読書の比ではない。

私は何人もの子供を殺してしまった、救えなかったというような直截な言葉が、水谷先生の口から飛び出します。もちろん、救った子供の数はずっと多いはずだが…

この人は横浜の定時制高校の教師。授業を終えたあと、夜の街に出て非行少年少女たちと向き合うことを日常としているとのこと。それは、生活指導というような生やさしいものではありません。薬物中毒の子供を時間をかけて脱却させる、ヤクザや暴走族、さらには家庭内暴力から子供を救出する、徒手空拳、まさに体当たり、休みはなし。そこまでやるんですか。あまりに真剣すぎるし、危険。警察は「日本で最も死に近い教師」と呼ぶとか。水谷先生の指は、一人の子供と引換に、一本ないらしい。

この本は次のように始まり、そして、終わる。

「おれ、窃盗やってた」 いいんだよ。
 「わたし、援助交際やってた」 いいんだよ。
 「おれ、イジメやってた」 いいんだよ。
 「わたし、シンナーやってた」 いいんだよ。
 「おれ、暴走族やってた」 いいんだよ。
 「わたし、リストカットやってた」 いいんだよ。
 「おれ、カツアゲやってた」 いいんだよ。
 「わたし、家に引きこもってた」 いいんだよ。
  昨日までのことは、みんないいんだよ。
 「おれ、死にたい」「わたし、死にたい」
  でも、それだけはダメだよ。
  まずは今日から、水谷と一緒に考えよう。

本に登場する何人かの少年少女は、いずれも不幸な家庭環境という点で共通する。貧困、性的虐待…。水谷先生の献身により立ち直った子供もおれば、甲斐なく死に至った子供も。

「この世に生まれたくて生まれる人間はいない。私たちは暴力的に投げ出されるようにこの世に誕生する」
 「両親も、生まれ育つ環境も、容姿も、能力も、みずから選ぶことはできない」

横浜で働く母親と離れ、山形での祖父母と貧しい生活、そしてイジメ。長じて横浜の母のもとでの非行と更正、大学在学中のヨーロッパ放浪。教師となり、養護学校、進学校を経て、夜間高校に。自身の生い立ちが強烈な原体験となって、水谷先生を突き動かしているのだろうか。

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