二つのミュージアム ~ 何かと対照的
2005/7/14

前の日曜日、大阪市内、中之島の国立国際美術館で開催されている「ゴッホ展」に、そうかと思えば昨日は東大阪、小阪にある司馬遼太郎記念館に。続けて訪れた二つのミュージアム、何かと対照的だ。

雨模様の日曜、もうすぐ終わるのでそれまでに、とのカミサンのリクエスト、家族三人で出かけた。「ゴッホ展」をやっていることは知っていたが、中之島にそんな美術館があったか。地図を見ると、市立科学館のとなり、以前遺跡の発掘調査をしていたあたり。東隣は取り壊しも近い古色蒼然たるダイビル、このあたりが中之島最後の再開発街区だ。

遺跡調査をしていた更地は駐車場になっていて、そこに車を駐めて美術館に向かう。と、何だこりゃ、建物の横にはずうっと長い行列、えっ、75分待ちの最後尾だって。ありゃ。せっかく来たのだから、しかも途中、淀屋橋のチケットショップに寄って前売り団体入場券を買ってきたのだし…

一時間も待たずに入口に到達、ところが、中でまた10分ほどの列が。展覧会の本当の入口に辿り着くまでに、何度か並ばされることに。このあたり、いきなり入れずに、だんだん適当な人の流れに変えていくというノウハウなんだろうか。

会場を巡ること約一時間、見たことのある絵が多いなあと思ったら、それもそのはず、二度訪れたアムステルダム、そこのゴッホ美術館所蔵のものも多い。そんなことを口走ったら、「とうちゃんはいいよねー、私もアムスで見たいわあ」と、薮蛇、やぶへび。

水曜日、近くについでがあったので、司馬遼太郎記念館に。ここは東大阪市というか昔は布施市。通勤経路である近鉄奈良線の沿線で、義弟の実家もあるのに、この記念館を訪れるのは初めてだ。もっとも、こちらも新しい建物ではあるが…

駅から南に10分程度、下町の商店街を抜けて、狭い路地のようなところを迷いながら辿り着いた建物は意外に立派。福田さんの家の敷地内に司馬遼太郎記念館が造られている。見学者はパラパラ状態。

福田さんというのは作家の本名、書斎は当時のままに、庭から覗けるようになっている。莫大な印税が入ったはずなのに、意外に質素、書棚も簡素なものだし、机の横のラジカセなんて、高校生でももう少しマシなものを持っていそうな代物だ。昔、司馬ファンのともだちから聞いた話では、八戸ノ里の団地に住んでいるということだったから、印税で土地を購入して家を建てたのかも知れない。隣が町工場というのもいかにも東大阪らしい。

中小企業の町、東大阪、世界に冠たる技術を持つ町工場もいくつかあるところだ。お世辞にも柄が良いとは言えない土地柄で、本音丸出しのストレートな河内弁が飛び交う中に、独特の歴史観を持つ大作家が住んでいたという事実、万巻の蔵書が展示された記念館を見てそのギャップが何とも面白い。巨大な書庫、10mぐらいの高さの書棚、壮観なのだが位置から考えてどう見ても取り出せない、物理的に手が届かない書物が多数並んでいるのは、いかがなものかな。

地元の作家と言ってもいい司馬遼太郎、ところが私は一冊も読んだことがない。幕末に詳しいうちのカミサンは多数読破しているようなので、おみやげに図録「司馬作品と幕末の出来事」という司馬作品対比、あらすじ付き幕末年表を500円で購入。

そういえば、私が小学生のころに住んでいた八尾市、ここもディープ河内だが、家の前を毎朝通っていく髪の毛ボサボサのヘンなおじさんがいたことを覚えている。のちに聞けば大阪市内の真田山小学校で習字を教えている先生だとか。榊莫山というのがその人の名前と知ったのは、ずっとあとのこと。身近なところに有名人がいるものだ。

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