会津から蔵王、そして、また会津 ~ 夏休み東北旅行
2005/8/14

国内旅行業務取扱主任者と、それに海外業務が加わった一般旅行業務取扱主任者という資格を持っている。子供のころから乗り物が大好きだったし、会社に入ってから何度も海外に出かけたし、この資格だけは受験勉強しなくても楽々合格したのは、そのおかげかな。その資格が仕事に役立つわけでもないけど。

業界サイドの目で見たとき、新聞広告を見て申し込んだこのお盆時期のツアーはなかなかよく出来ている。阪急交通社には知恵者がいるんだろう。「たっぷり会津・磐梯・蔵王レンタカーフリープラン3日間」という企画商品。

まず、大阪からのアクセスを新潟空港にしているところがミソ、往路が8:35発、復路は19:00発という、いい時間帯の便が確保できるのは、マイナー路線、しかもローカルに弱い日本航空便だからこそ。そして、この時期どこも渋滞なのに、磐越道ならスイスイと1時間あまりで会津若松に到着するのだから。

宿泊地が飯坂温泉と蔵王温泉という選択もなかなかのもの。前者は規模は大きいものの斜陽気味の古い温泉地だし、後者はスキーの冬がメインシーズンというところだから、お盆時期と言っても、旅行会社のバーゲニングパワーが発揮できる。飛行機、レンタカー、旅館にとっての集客、お客にとってのリーズナブルな価格、それをアレンジしてきっちり利益を確保する旅行会社、三者ともハッピーということかな。

あっ、でも、いつものとおり。雨男の面目躍如、東北地方は警報まで出る雨模様。蔵王では山登りの時間が取れるかなと思っていたら、それどころじゃない。車とリフトで稜線まで上がってみたが、やっぱりお釜は霧の中、「ほら、あそこに、こんなふうに蔵王のシンボルのお釜が…」なんて、言ったところでガスがはれるわけでなし。

結局、旅行中、1000m以上の山は、てっぺんなど一度も見えず。蔵王からの帰路も白布峠を越えて檜原湖・五色沼経由で会津入りと考えたが、いつ大雨が来るかも知れない空模様。前日、飯坂温泉から置賜へ抜ける399号線での大雨の具合だと、土砂崩れなんてこともない話ではないし、安全ルートに変更。米沢から121号線八谷街道を会津若松へ。

山登りのもくろみが挫折した埋め合わせは温泉ということに。旅館にもお風呂はあるが、それはごく普通、今回は外湯を楽しんだ。これは、どちらも普通じゃない。

一泊目の飯坂温泉の鯖湖湯、こんなに熱い湯に浸かっている人を見たのは初めてだ。ぬるめのほうが好きな私には、とても入れるような温度じゃない。それでも地の人か、ときどき浸かっている人がいるのだから驚き、源泉が51℃らしいから、ほぼそのままなのかも知れない。最古の共同浴場の姿を復元したという木造の建物はなかなか趣があるが、中に入れば脱衣場と浴室が隔てられていない。浴槽の周りの床にみんなが座っているのは奇妙な光景だ。掛かり湯をして温度がわかって納得。「観光で外湯めぐりをされる人もおられるので、水を入れて41℃程度にしてください」とかの張り紙があっても、誰もそんなことをしちゃいない。これが地元の入浴スタイルなんだろうか。湯に入らず、掛かるだけでも暖まること間違いないが…

二泊目は夏期だけオープンという大露天風呂に。駐車場に着くともう硫黄のにおいが鼻を突く。入口から沢筋に少し下ると、ありゃありゃ、裸のオヤジたちが丸見えだ。沢に沿って五つの露天風呂が作られているようで、下流の二つが男湯、女湯は上流の三つということかな。したがって、通路との間には目隠しがあるものの、そこに来るまでは遠目に丸見えとなる。まあ、見られて減るもんじゃなし、気にするものでもなかろう。

それで、カミサンのリクエストに沿って今回の旅行のメインは会津。幕末史に関しては詳しいので、書物で知ったことの現地を訪れて感慨深げ。定番の鶴ヶ城に加え、会津藩校日新館、会津武家屋敷、滝沢陣屋、飯盛山など。1日目と3日目、往復で、会津若松で過ごした時間が一番長かったかな。天気が悪かったから、街中の観光でちょうどよかったかも。

戊辰戦争で焼失した旧藩校「日新館」を復元した施設が会津若松市内から少し離れた場所にある。かなり大きな規模で、教室だけでなく、武道の練習場、天文台なども含む総合教育施設という趣き。各建物の展示などを見て回ると1時間はゆうにかかる。

往時の建物を復元したものでは、ここと会津武家屋敷というのがあり、両施設をセットにしたの割引入場券が売られている。大人1390円、中高生890円というのはちょっと高いなあという感じ。どうもこれは公共の博物館というのではなく、営利目的の民間施設のもよう。

帰り道、会津若松市内で昼食をとったとき、店に置かれていた「福島民友」という地方紙に、目をひく記事を見つけた。

「日新館」に俳優学校
 親会社の分社譲渡などで今後の利活用が注目を集める河東町の社会教育施設「会津藩校日新館」を俳優の千葉真一さん(66)と会津の地元経済界が協力して有効利用する構想が浮上した。12日、千葉さんが民放テレビ局の生放送に出演し、日新館をニート受け入れの俳優学校として活用する考えを語った。千葉さんは以前から会津の経済人と交流を持ち、武士道などを語り継ぐ構想を温めていた。実現すれば、新しい運営主体のもとで新「日新館」として再出発することになり、今後の構想の行方が注目される。(「福島民友新聞」2005/8/13)

自宅に戻ってから、いろいろ調べてみると、この両施設は地元企業若松ガスが観光事業として行っていたものらしい。本業と無関係な巨額投資が経営の足を引っぱり、145億円に上る債務を抱え事実上の倒産、最近、企業本体は昭和シェル石油に身売りとなったようだ。それで宙に浮いてしまったのが日新館、自治体が尻ぬぐいするかしないかという問題も起きているらしい。そこでキーハンター登場ということなのか。復元された日新館がオープンしたのが昭和62年ということなので、ちょうどバブルの頃、必ずしも負の遺産とは言えないけれど、飯盛山に眠る白虎隊士たちはどんな気持ちだろう。

日新館の中には日本初のプールと言われる水練水馬池まであり、そこで甲冑に身を包んで実践訓練なども行われたとか。千葉真一・ジャパンアクションクラブの面々によるショーなんてのが企画されたりして。この池の横には2000円で5本の矢を射る体験コーナーがあり、子供と挑戦。的の周りの砂にめり込んだりして、なかなか当たらるものではない。ところが、何となく感覚をつかんだ5本目、見事に的のど真ん中に命中。ここに当たると、トーンといい音がする。側にいた人たちから、「おおーっ」と驚きと賛嘆の声。「ふつう、当たる人は少ないですけどねえ」と、係のおじさん。そうだ、帰ったらサマー・ジャンボのチェックをしなくっちゃ。

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