クアトロ・ラガッツィ ~ 世界帝国との遭遇
2005/8/30

大著だ。二段組500ページを超えるボリューム。あんまり分厚いので通勤のカバンにも入れられず、電車の中でぼちぼち読むということができない。お盆休みに何とかと思っても、アウトドア優先なのではかどらない。結局、図書館の貸出期間を延長してもらって何とか読了。読みごたえ充分だった。

私は歴史小説は嫌いだ。登場人物や事件に作者特有の思い入れが混入して、なんだか歪んだものになるからだ。いつも、本当のところどうだったんだろうという気持ちが残ってしまう。

昔のことだから誰も現場を見ていないし、その人に会ってもいない、事実、真実がどこにあるか、正確なところは判らない。だから、想像力豊かな作家が勝手に人物像を構築してしまうのがどうしても避けられない。史料の中から事実を人間を読み取ることを、読者に代わって作家がやってくれるのはいいが、夾雑物が加わり一定のものの見方を押しつけられてもねえ、という感じ。私、根っからの天の邪鬼。

「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」を書いた若桑みどりという人は西洋美術史学者、作家ではない。この本もフィクションではなく、戦国から徳川に移る時代を、日本と西欧の史料をベースに、カトリックの受容と迫害のありさまを丹念に辿った作品になっている。

日本が初めてグローバルな歴史の舞台に登場したのがこの頃、その後、国際社会の力学から距離を置き鎖国という道に進んだのは歴史が教えるとおり。歴史に「もしも」はないのだが、この本を読むと、信長が本能寺で死んでいなかったら、果たしてどんな展開になっていたかと思い巡らせてしまう。ローマ教皇への献上品として四少年に託された絢爛たる「安土城図」、四少年が帰国したときには、その城の主はすでになく、支配者は秀吉、宣教師追放令が出ており、彼らの運命も暗転することになる。

Quattro ragazzi、イタリア語、意味は四少年、彼らをローマに送り出したイタリア人のイエズス会巡察使ヴァリニャーノは、マカオで日本に戻る途上の彼らと再会したとき、以前のRagazzi(Boys)ではなく、Signori(Gentlemen)と呼びかけているのだから、往復八年という途方もない年月が実感される。

著者がエピローグに書いている次の言葉、読み終えた私にも同様の感慨がある。

天正少年使節をめぐる数々の西欧側の記録を、イエズス会の歴史図書館や古文書保管所、ヴァティカンのアポストリカ図書館、ウルバヌス八世布教図書館などで読んでいると、この四人の少年の使節をとおして日本の歴史が今までとちがったふうに見えてきた。また昔から聞いたり読んだりしてきた天正少年使節のすがたも今までとはちがって見えてきた。日本の歴史も日本一国の歴史資料ではとらえることができない。一国の歴史がもはや一国史では捉えることができなくなった。それが大航海時代以降の世界である。

丹念に史料に当たり、それらを読みこなした上での著作、ヨーロッパの文献に通じた碩学の女性ということでは塩野七生さんと共通するが、若桑さんの場合は、西欧そのものではなく日本を、日本人を見るということに特質がある。歴史に名を残す人物に留まらず、この著作では無名と言っていい多くの日本人・西欧人に言及されており、それぞれの個人として、人間としての等身大の姿が浮かび上がる。

この本、取材8年ということだから、彼らの旅と同じ年月です。8章からなる本のうち、真ん中の第4章、第5章がローマへの旅と彼の地での栄光の日々の記述に充てられているが、彼らの派遣に至る前史、帰国後の日本の情勢に、より多くのページが割かれている。

著者はカトリック信徒ではないようだが、冷静な筆致のなかにも秀吉に対する嫌悪感が見え隠れする。陰湿、酷薄、残忍、漁色…。なかに、六本指という記述もあり、これには驚いた。このことは、西欧側の文献には現れても、日本では言論統制されていたらしい。まるで、レクター博士(トム・ハリス「羊たちの沈黙」、「ハンニバル」など)ではないか。ことほど左様に、一国の史料だけでは見えてこないことが多いということだろう。

秀吉と同様、大航海時代以降、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスと代わる世界帝国の覇者、いわば植民地主義国とその国民を、著者はあまり評価していない。一方で、ヴァリニャーノを筆頭にイタリア人への評価が高い。結局、それぞれの国から、どういうレベルの人が、日本に来たかということに尽きるが、帝国の対極にあるルネサンス都市国家への讃美、個人重視という思想が著者にはあるようだ。

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