ふるさとの山、ふたたび ~ 貝ヶ平山・鳥見山
2006/1/7

私の生まれた奈良県宇陀郡榛原町は、今回の平成の大合併で宇陀市という名前に変わるらしい。大宇陀町、菟田野町、室生村との合併、それぞれに歴史のある地名が消えるのは残念だが、まあこの四町村の繋がりということでは違和感はないし、ありがちな奇天烈な名前の市にならなかっただけでも、よしとするべきか。

新自治体の中心となるのが榛原、ここは伊勢街道の宿場町だったところ。ジャパン・ツーリズムの嚆矢である江戸時代の「おかげまいり」のころには、たいそう賑わったことが偲ばれる。旧街道沿いを歩くと、古い町並みの面影を偲ばせる石灯籠、巨石の道標、何軒かの旧家が残っている。

長谷寺から東に進んだ街道は、ここで現在の近鉄大阪線あるいは国道165号のルートと、国道369号のルートに別れる。後者は最短距離、伊勢まで直線に近い道筋で伊勢本街道、往時の大阪から伊勢へのメインルートだ。「右いせ本かい道、左あを(阿保)こえみち」とビルの脇の古い道標には記されている。左の道は初瀬街道と呼ばれる道になる。

日本海側は大雪という三連休の初日、榛原駅に降り立つと早くも雪が舞ってきた。歩いている間も降ったり止んだり、駅に戻るころにはフードを被らないと頭が真っ白になりそうなほどの降り、二年前に額井岳に登ったときもそうだった。宅地開発されて、大阪に通勤するサラリーマンの家も増えたとはいえ、ここは海抜300mの山間、冬の寒さに音をあげて折角のマイホームを手放す人も多いとか。

貝ヶ平山(822m)は名阪国道針インターから南下する国道269号をはさんで額井岳と正対する位置にある山、地元の人以外にはあまり登山の対象にはならない山だ。南の鳥見山とを結ぶ尾根筋の登山道はあるにしても、貝ヶ平山へ直接登る道は不明瞭。

いや、道がはっきりしないのではなく、たくさんあって、どれを辿ればいいのか、地図と勘で進むしかないということ。山登りの人が多ければ、それなりに道標が整備されていたりするが、街から山へ、ここには国道、旧街道、広域農道、集落の道、林道、東海自然歩道、果ては山仕事の道と、各種入り乱れ、どれが登山に使えるか錯綜している。手許の古い25000分の1の地図と、地勢や開発の現況とを見比べながら推理するという変な楽しみが味わえる。

適当に種々の雪道を辿れば、さほど遠回りすることもなく、貝ヶ平山と鳥見山を結ぶ主稜線の鞍部に出て、ここで初めて登山者に出会う。こんなところに登る物好きが他にもいるとは意外。この人、アイゼンを付けたのはいいが、雪が団子状態になって難渋している様子。登りで無理に付ける必要はないのに。

山頂には二等三角点があるものの視界はなし。このあたりの山はしっかり植林されているので、伐採の周期でもない限り眺めは期待できない。尾根筋を引き返し辿り着いた鳥見山(740m)もその点は同じ。実際のルートは古い地図に記された登山道とは全く違っている。尾根筋を歩く分にはのっぺりしていて、うっかりすると山頂を通り過ぎてしまいそうな感じ。

ここの南麓には鳥見山公園というツツジの名所があるので、そちらから登る人が多いもよう。山中で出会った人もその一人か。植林の中だが、山頂部分はちょっとしたスペースがあり、山名表示の標識と天理教の赤い木の札。そして、側の木の幹には山名プレートがいくつも巻き付けられている。比較的新しいものが多いが、紐や針金がちぎれかけていたり、既に地面に落下しているものありと様々。

山頂にこんなプレートを残す人たちは、いったい何を考えているのかなあ。そんなものがなくても、地図を読めばどこにいるかぐらい判るし、標識なんてしっかりしたものが一つあれば充分。山名・標高は言うに及ばず、登山日・団体名・リーダー名…
 判りにくい登山口、迷いやすい分岐、そんなところに手作りの標識を取り付けるなら話は判るし、次に訪れる人への親切が伝わって来るが、ここで見る山名プレートは登山者の自己満足に過ぎないとともに、その団体や個人の志の低さを感じるばかりだ。早い話が観光地の落書きと大同小異、ここに名前を記した人のほとんどは、二度とこの山に登ってくることもないだろう。

そんなことで、ボランティア精神を発揮し、無用な山名プレートを取り外しにかかる。なんだかんだで、結局スーパーのレジ袋が一杯に。お弁当を食べてスペースができたザックに放り込んで下山。これは燃えるゴミになるのか、燃えないゴミになるのか、微妙なところ。

ちょっとやり過ぎかなあ。言うなれば、グリンピース的な過激な環境保護活動かも知れないが、鳥見山の山頂がすっきりしたのには間違いない。そんなことで、最後はふるさとの山の清掃登山になってしまった。榛原の町に近づくと、雪空に大和富士(額井岳)が。

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