「アメリカ音楽」の誕生 ~ さて、我々はどこに
2006/2/16

どこかの書評に採り上げられていたのを見て、読んでみようかと図書館に予約しておいた。そのことを忘れたころに連絡があり、さっそく借り出してきたが、タイトルから想像する学究的な内容だと、途中で投げ出すかも知れないと思いつつ…

ところが、これは面白い。クラシックやジャズはおろか、先住民の音楽から始めるというご丁寧さで、賛美歌、スピリチュアルズ、フォスター、ブラスバンド、ブルース、ラグタイム、ジャズ、ドヴォルザーク、ミュージカル、アイヴズ、コープランド、カントリー、R&B、ロック、フォーク、クロスオーヴァと何でもござれ。これがてんでバラバラにモザイク様に記述されているかと思えば、さにあらず。歴史の流れに沿って、西欧から移入された音楽(クラシック、オペラなど)と、土着またはアメリカ発祥と言ってもいい音楽(ジャスなど)が、縦糸と横糸をなして紡ぎ上げられている。

筆者はアフリカ系米国人たちが、その困苦な生活の中から生み出し、世界を席巻することとなるジャズの流れを大きく評価する一方で、「ジャズのように、アメリカの特異な歴史-民主主義を標榜する国にとっては残念ながら恥ずべき過去の歴史-ゆえに生まれることができ、結果的には大きな流れとして世界を席巻した音楽」と冷静な分析をしています。確かに、かつては人種同様に被差別の境涯であった音楽が、今はアメリカの代名詞とも言える地位を確立するには、長い時間がかかっているわけだ。

時空を隔てた音楽に対する接し方は、生活に欠かせない娯楽というよりは、文化財に対する接し方に似てくる。例えばわが国における伝統芸能、歌舞伎や浄瑠璃にしても然り、世界遺産になるということ自体がその証左、ジャズを世界遺産に指定することなんて考えられない。それは、まだまだ今を生き、発展しているということだろう。

「21世紀初頭という時点からそれを振り返ってみると、ヨーロッパ諸国や我が国にくらべ、いまだに日も浅いアメリカ史のなかにも、実に多種多様でおびただしい量の音楽が生み出され、鑑賞され、消費され、あるときには無視されてきたことがわかる」と筆者は述べているが、ことクラシック音楽の創造の世界でのアメリカの存在感は希薄だ。

私の好きなバーバーについても触れられているが、もっとも紙幅を費やしているのはアイヴズとコープランド、この二人の作曲家こそ、アメリカ的表現をクラシックの中に確立した功労者であるという評価だ。アイヴズの作品をあまり聴いたことはないが、保険会社の仕事と作曲家としての仕事を生涯にわたり、峻別し両立させて、それぞれに大をなしたというから、興味深い人物であることは間違いない。

もうひとつ興味深かったのは、技術革新がアメリカ音楽の発展に大きく寄与したとの論点だ。古くは大音量を可能とするための鉄製フレームによるピアノの開発、その延長線上に世界中のコンサートホールにはスタインウェイのグランドピアノがあるということだろう。同じくブラスバンドの発展には金属加工業がベースなっているわけだし、何より、アメリカが主導した20世紀の放送・レコード産業の隆盛は音楽の歴史に多大なインパクトとなったことは歴然たる事実だ。

なんだか、このあたりになると、日本はアメリカの軌跡を辿っているような感じもしてくる。こちらは西洋音楽の移入からまだ100年あまりなので、その点では発展途上国か。でも、たかだか500年の歴史のアメリカと違って、遙かに長い自らの歴史があるわけだし、もっと別の展開があるかも知れない。

この本を読んでいたとき、一般には「ゴジラ」の音楽で有名な伊福部昭氏が亡くなったというニュースがあった。日本経済新聞に掲載された指揮者広上淳一氏の追悼文の中に、「日本人が西洋音楽をやるには、我々の民族の根源に立ち返る必要がある」との伊福部氏の言葉が引用されていましたが、至言だと思う。

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