異形の政治家 ~ 「野中広務 差別と権力」
2006/3/28

少し長い引用から…

2003年9月21日、野中は最後の自民党総務会に臨んだ。議題は党三役人事の承認である。楕円形のテーブルに総裁の小泉や幹事長の山崎拓、政調会長の麻生太郎ら約30人が座っていた。
 午前11時からはじまった総務会は淡々と進み、執行部側から総裁選後の党人事に関する報告が行われた。11時15分、会長の堀内光雄が、
「人事権は総裁にありますが、異議はありますか?」
と発言すると、出席者たちは、
「異議なし!」
と応じた。堀内の目の前に座っていた野中が、
「総務会長!」
と甲高い声を上げたのはそのときだった。
立ち上がった野中は、
「総務会長、この発言は、私の最後の発言と肝に銘じて申し上げます」
と断って、山崎拓の女性スキャンダルに触れた後で、政調会長の麻生のほうに顔を向けた。
「総務会長に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。このことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
 野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。

ポスト小泉で何番手か知らないが下馬評にあがっている政治家の名前が、こんなところに、こんなふうに出ているのを見て、「やっぱり」という気持ちと、やりきれなさを感じてしまう。人間としての品格の欠如…

著者の渾身の力作、「渡邊恒雄 メディアと権力」を読んで、大いに感心した覚えがあり、二番煎じという感なきにしもあらずのタイトルの本を手にとった。つい最近まで、"影の総理"とさえ呼ばれていた人物が、被差別部落出身だとは寡聞にして知らなかった。
「この国の歴史で被差別部落出身の事実を隠さずに政治活動を行い、権力の中枢までたどり着いた人間は野中しかいない」という記述が本書の中にある。これは驚くべきことだ。

京都府船井郡園部町の出身、国鉄職員、町議、議長、町長、府議を経て衆議院議員に、長い道程の末に到達した官房長官という地位。時あたかも政変の時代、政敵との合従連衡で示した水際立った手腕、綿密な情報収集に裏付けられた仮借ない恫喝…

一介の風雲児とでもいうべきかも知れない。現総理の前にその地位にあった人たちの存在感のなさと裏腹に、この人のプレゼンスの大きかったこと。それがスパッと第一線から身を退いて消えてしまった。バランス・オブ・パワーの境目に位置し、複数勢力を制御していく老獪な政治家にとって、権力のトップの座は任にあらずという自覚があったのか、それとも冒頭の引用のことが深層意識にあったのか。

「野中さんは無茶を言いません。流れを見て判断する人なんです。政治家は『潮目』を見る人が偉くなる。野中さんはそれがうまいひとでした。偏らず、全体がそういう雰囲気になったときにバンと言うと世の中が付いてくる。そういう能力に長けた人なんです」

一国のトップがそういう資質だけでは不足ということは当然だとしても、それ以上の人材が多いとも思えないのが我が国の不幸か。

この本の前半、京都時代の野中を記述した部分が見事なのに比べ、野中が国政の舞台に登場した後は、政治的事件の大きさの反面で叙述がやや淡々とした趣きだ。まだ、わずかの年数しか経過していないことなので、関係者の取材にも困難があったのかと想像する。もう少し時が経ってこの本が書かれたら、違ったものになったかも知れない。とは言え、これは力作。

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