The Toughest Translation on Earth ~ メットの本、二題
2006/11/18

クラシックというか、オペラが大好き。いつからかと考えると、昔、NHKが招聘していたイタリア・オペラ公演の1967年来日あたりからだと思う。以来、40年、少し遠ざかった時期もあったけど、実際の舞台を観たオペラは優に100作品を超えているだろう。延べ数にしたら、その何倍か、数えたこともないので不明。安いチケット専門とはいえ、累計すれば相当のお金をつぎ込んだことに。

そんな私が、毎晩のように劇場に通ったのが、ニューヨーク勤務のとき、1987-1988シーズンのメトロポリタン歌劇場、当時は立見6ドル、天井桟敷16ドルだったはず。ミュージカルの半額以下、それどころか映画よりも安い。プラシド・ドミンゴやルチャーノ・パヴァロッティのようなスーパースターを筆頭に、客席から見えるだけでも200~300人、裏方を含めると1000人近い人たちがライブで関わる最高に贅沢なパフォーマンスを、低料金で観ることができるのだから、これははまらないほうが不思議。

今でも毎年わずかだが個人寄付をしている、私にとっては特別に愛着のあるオペラハウス、メトロポリタン歌劇場の舞台裏を描いた新しい本が出ている。最近読んだのは、「史上最強のオペラ」と題する前総支配人ジョゼフ・ヴォルピの回想録。この人は、私が足繁く通っていたころの技術面の責任者、この劇場初のたたき上げの総支配人に就任する3年前。この本は、一介の大道具係から巨大組織のトップに上り詰めるアメリカ的なサクセスストーリーとして読むこともできるし、オペラファンが、ナマで、AVで接した名公演の背後で展開されていた人間ドラマを知るという楽しみ方もできる。

今年の春に退任したばかりなのに、早々に回顧録が出版されるというのも、いかにもアメリカ的。在任中からしっかりと準備していたのか、有望なビジネスと目論む出版社や有能なライターが関わってるのかだろう。アメリカで出版されるこの種の本の常として、「俺が、オレが」というトーンが強すぎるというところがあり、(最近はそうでもないが)謙譲を美徳とする日本人から見れば、「ちょっとどうかな」という気がしなくもない。そのあたりは割り引いて読む必要がある。

でも、ちょっとレベルの低い翻訳だ。アメリカでの上梓から日を措かずに邦訳出版なので、充分な校正がされていない。今年6月のメトロポリタン歌劇場来日公演に間に合わせたかったという事情が、なんだか透けて見える。私は図書館の新着図書の棚で見つけ借り出したが、すでに先達がいて本の随所に鉛筆で書き込みがある。公共財を毀損する行為だけど、なるほど、その気持ちはよく判る。私も更に書き加えたので、多少なりとも次に借りる人の理解には役立つかと。意味不明の直訳、固有名詞の誤記や表記の不統一、専門(業界)用語の不知、翻訳チームにオペラマニアを一人でも入れて監修させれば、一晩で100か所ぐらいの朱が入ったと思われるので、残念なことだ。何しろ、邦題そのものが、もし原題を訳したのだとしたら、全く意味が異なる完全な誤訳だから。

さて、もう一冊、こちらはまともな翻訳なので、あら探しの楽しみはないが、面白さにかけてはヴォルピ総支配人の本以上かと。「帝国・メトロポリタン歌劇場」(原題"Molto Agitato")、舞台裏の人間模様を描くという点は共通しているが、ここでは先の本よりも長いスパンでの歴史が語られている。著者は関係者ではあっても、権力闘争の直接の当事者ではなく、書きぶりはオブザーバーとしての視点に近いもの。あんまり面白いものだから、図書館で借りて読んだあと、アマゾンに原書を注文してしまった。

当然、ヴォルピ氏の本とオーバーラップする事件も多く、たとえばウィスキーのCMで日本でも名前が知られたキャスリーン・バトルの解雇騒動の顛末などは両方の本でページが割かれている。事実関係など、両者の記述に齟齬はなく、それが、身から出た錆とはいえ、人気の絶頂から奈落に落ちたこのソプラノ歌手の哀れさを感じさせる。そういえば来年早々の来日公演が予告されていたのに、いつの間にか公演中止とアナウンスされている。また、常軌を逸したわがまま勝手の悪癖が出たのだろうか。

ゴシップが好きな訳じゃないけど、ショウビジネスにはつきもの、それだけに人間的な世界でもあるわけだ。まあ、舞台裏で何が起こっていようが、結局は関係ない、舞台が素晴らしければ、オペラゴーアーたちは一夜の陶酔に時を忘れる。だから劇場通いはやめられない。

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