ジャレド・ダイヤモンド「文明崩壊」
2007/2/18

今年のような暖冬だと、本当にこの本に書いてある通りではないかと思えてくる。人間の営為が地球環境を破壊し、築き上げた文明が崩壊の危機に瀕するということが。それは、森林の伐採であったり、水産資源の乱獲であったり、過剰なエネルギー消費がもたらす地球温暖化であったりと。

折しも、少子化問題が喧しい日本、しかし、高度な現代文明、快適な生存環境の維持という観点では、出生率の低下は歓迎すべきことではないかという逆説が成り立つ。人口問題への取組はお隣の中国で一人っ子政策が採られて久しいし、アフリカの小国で内乱や大量虐殺という過激な調整が行われたのは、つい最近のこと。おしなべて、政治家が出生率を上げよと言うのは、国民の数イコール国力、すなわち軍事力という発想が根底にある。そこには地球上の生存環境の維持という感覚は希薄で、国家間の相対的な優位確保、国益至上で自国のツケを他国に回して何とかしのぐということかも知れない。

かつて危機に瀕した日本の森林が江戸時代の森林保護政策により蘇った反面で、近年は東南アジアの森林資源を伐採輸入しているし、「不都合な真実」というような啓蒙の一方で、京都議定書を無視して二酸化炭素を撒き散らすアメリカのエゴなど、地球上には不条理が満ちている。

この大著、「銃・病原菌・鉄」という私は途中で投げ出してしまった本を書いたジャレド・ダイヤモンドの近著だ。正月に帰省した長男が置いていった本を読了した。

アメリカのモンタナ州、イースター島、マヤ、グリーンランド、ルワンダ、ハイチ、中国、オーストラリアと、過去に環境破壊から崩壊に至った文明、もしくは現在その危機に瀕する地域を採り上げ、その要因分析を踏まえ、いま世界が置かれている状況の解決策を模索するという構成になっている。
 著者は必ずしも悲観論者ではないが、危機の深刻さを思えば、解決に大きな困難が伴うのは否定できない。現在の先進国の生活水準を下げることでしか、著者が言う「世界はひとつの干拓地(ポルダー)」の維持は不可能ではないかと思えてくる。

例えば、中国の人々が日本の生活水準に達したときに起こる悪夢の事態、彼らが車を走らせ、美味いものを食べる、それだけで地球環境に大きなダメージがもたらされるのは事実だ。だからといって、開発途上国に高い生活水準を希求するなとは言えないし、彼らにモノを売ることによって潤う先進国という立場もある。また、多くの途上国が依存する一次産品、しかし、食料安全保障という観点で先進国が行っている補助金等による農業保護行政が途上国を圧迫しているという現実がある。
 環境維持のための道筋を見いだせたとしても、その実現には常に政治がからみ、紆余曲折や逆行も茶飯事だ。となると、どうしても暗い未来像になってしまいそう。
 筆者がわずかに光明を見いだしているのは、人々の意識の高まりによる環境保護活動ということになります。その背景には、情報化の進展により、地球が置かれている現実を多くの人が素早く認識できるようになったことがあり、実際に表れた現象としては、グローバル企業の活動に対する厳しい監視や評価などを指摘している。
 確かに、そういう傾向はあるにしても、崩壊に至る流れを阻止できるだけの力になりうるかは、即断できません。この上下二巻の表紙には、ブリューゲルの三点あったという「バベルの塔」の現存する二つが使われています。こういう大傑作が子供の世代どころかずっと未来にも引き継がれるようにしたいものです。

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