パヴァロッティ、逝く ~ 晩年の難しさ
2007/9/7

昼間に知人からのメールで重態というニュースを知り、その日の夜には死亡という情報がネット上を駆けめぐった。いまどき、71歳ならそんな高齢ということでもないが、この人の場合は健康体からほど遠い肥満、癌手術のあとの病状が悪化すれば回復は難しかったんだろうか。ルチャーノ・パヴァロッティ、世界一有名なオペラ歌手、その人が亡くなった。

昨年のトリノオリンピック開会式に登場し、"Nessun dorma"を歌っているのをテレビで見たのが最後、ナマの演奏だと2002年ワールドカップのときの横浜アリーナ、その前は1993年のニューヨーク・セントラールパーク、さらには1987~8年のニューヨークMETでの二つのオペラ。結局、私は4回のライブを聴いた。もっとも、あとの2回は野外や巨大体育館での拡声器を通じた声だから、正味の声だと20年も遡ることに。

今にして思えば、この20年、彼の芸術家としてのキャリアには大した発展もなく、サーカスまがいの空疎なコンサートに明け暮れたという言い方も出来るかも知れない。
 最近読んだ元マネージャーが書いた本からは、そうした事情が浮かび上がってくる。オペラやクラシック音楽という範疇を超えたスターとなり、人気と富を手に入れていく。敏腕マネージャーとの二人三脚、そこで得られたものの見返りに失ったものも多かったのでは…

天賦の美声を持つテノールの活躍の場を、オペラハウスの外に大きく拡大した優秀なプロモーター、しかし、著者のハーバート・ブレスリンは功罪相半ばするところもありそうだ。"三大テノール"というイベントが社会現象と化し、ずいぶんと楽をして巨額の実入りがあるショー出演を繰り返し、パヴァロッティ自身、拠って立つところを見失ったとは言えないだろうか。私が聴いた三度目のころ、大観衆を前に得意のナンバーを繰り出し熱狂的な歓呼に応える姿と、その直前、新しい役(ドン・カルロ)を覚えきれずにスカラ座でブーイングを浴びたという事件、あのころ彼は芸術家としての瀬戸際に近づいていたようだ。

このマネージャーと袂を分かち、オペラの舞台はキャンセル続き、挙げ句、永年連れ添った伴侶とも別れ、子供ほど歳の離れた女性に奔る。彼の晩年は芸術家としても家庭人としても苦悩の色がにじんでいる。
 でも、それは、傍目だけのことかも。存外、天性の明るさで、この人は人生のそのときその時を味わい尽くしていたのかも知れない。歌い、食べ、愛する、イタリアの基本的生活をまさに体現した存在そのものがパヴァロッティだったのかも。最後に劇場で聴いた彼の最大の当たり役、ロドルフォのCDでもかけてみようか。

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