高取城址で紅葉狩り ~ オヤジ登山は要注意
2007/11/24

三連休は晴天に恵まれ…と言えばありきたり、ところがお山は遭難続き。23日、北海道の上ホロカメットク山では雪崩で4人が死亡、こちら近畿では、あっと驚く嵐山遭難。北は冬山訓練で、南はハイキングで道に迷ってと、かなりの違いがあるものの新聞の社会ダネであることに変わりはない。いずれも中高年、ほんとうに若い人が山登りをしなくなったなあ。若者が山で命を落とすのは痛ましいことだけど、年寄りの場合だと、まあ好きなことをしてだから、それもいいんじゃないと思えるから不思議。私も人のことを言える身ではないが。

連休の中日、お里沢市の壺阪寺から高取城址に登る。もう11月も終わりなのに、夏が長かったせいかく紅葉が遅い。まだ、少し見頃には早いぐらい。それでも、高取山(584m)頂上の城跡には見事に色づいた紅葉が何本か。

初めて訪れた高取城址の規模にはちょっとびっくり。天守閣や櫓はないものの、幾重にも石垣が連なり他所で見る山城の比ではない。こんな場所に、これだけの石を運び上げるのは並大抵のことではないだろう。

麓から壺阪寺を経て高取城址の手前までは車でも辿り着くことができる。今回は私は近鉄電車、したがってバス終点の壺阪寺から五百羅漢山を経る山道を辿る。

紅葉を愛でたあとは、谷沿いのハイキングコースを壷阪山駅に向かうのが近鉄推奨のハイキングコース、駅に置かれたマップには懇切なコースガイドがある。で、私は高取城址から南へ歩を進める。たぶん道がないかと予想した大淀町比曽への探険ルート。藪をこいでもせいぜい1時間で林道には出ると踏んで、家を出るときから決めていた行程。

高取城址には壷阪口から入城したが、そこを出て城の吉野口に回る。城郭の外側を北から南に進み、芋峠に向かう尾根道に入る。あれだけ賑わっていた山頂なのに、もはや人の気配はなし。木の実が落ちる音が響く。稜線には比較的しっかりとした踏み跡があるが、問題は比曽方面に下りる道があるかどうか。25000分の1の地図には記載がない。案の定、それらしき分岐はあったが、けものみちの風情、倒木を横に渡して進入禁止というつもりか。迷わず進入。ダメなら引き返せば済むこと、まだ日は高い。

嵐山じゃないけど、どんな低山でも遭難は起きる。やみくもに沢筋を下ればなおのこと。わずか3mの段差でも行く手を阻まれることもある。やっぱり出てきた3mの崖、ちょぃと高巻きで凌いで、そのまま谷を下る。倒木に足を取られ、デイパックに挿していたストックも藪こぎでいつの間にか行方不明、やれやれ。こんなことじゃ、嵐山の年寄りを嗤っておれない。まあ、ブッシュを想定し厚手の革手袋を着用していたから、何度か転んでも擦り傷掻き傷は一切なし。

道はなかったけど、予定のルートを一度も外さず比曽林道に出る。このあたり、山仕事の人しか入らない道のようだ。これで引き返す必要もなくなり、のんびりと林道を辿る。こんな山のなかにしては立派な世尊寺(旧比曽寺)というお寺がある。回廊を廻らす伽藍の配置、聖徳太子ゆかりの寺とのこと。境内に御手植えという桜の古木、芭蕉の句碑まであるぞ。曰く、「世にさかる花にも念仏まうしけり」。壇上桜というらしい。

予定どおり、帰路は大和上市駅から。スタートの壷阪山駅との間には九つも近鉄の駅がある。歩いたのは直線ルートだが、鉄道は大和川と紀ノ川の分水嶺を越えるのに標高が低く傾斜の緩い西側に大きく迂回しているので、そんなことに。かくして年寄りの冷や水は回避。

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