リング・リザウンディング ~ 働き盛りの仕事
2008/5/25

朝から晩まで、歌舞伎や浄瑠璃の通し狂言なら丸一日がかり、こっちのほうは時間にするとその倍近く、さすがに一日では無理なので、四日に分けて上演するのがワーグナーが作曲した「ニーベルングの指輪」という大作オペラだ。百年前ならともかく、忙しい現代人はそんなものにお付き合いできないかと思うと、そうでもないようで、上演機会は増えている。来年には新国立劇場で評判のキース・ウォーナー演出の再演が始まる。

手許にこの作品のCDがありる。全14枚、これが昔レコードで出たときには19枚38面という、重さだけでも相当のもので、値段も高いし、聴きとおす忍耐力もないし、録音から30年以上経ちお手頃価格となったCDを購入したものだ。録音されたのは1958年から1965年にかけて、初の全曲録音だった。

これを手がけたプロデューサー、ジョン・カルショーの回想録「ニーベルングの指輪 リング・リザウンディング」の新訳(山崎浩太郎訳)が最近出たというので読んでみた。決算時期で仕事も忙しいのに、毎晩蒲団の中で少しずつ、あっという間に読了。内容としては録音裏話ということになるが、それ以上の感銘を受ける著作だ。

これは、商業的に成功するかどうかも疑問な、困難なプロジェクトに全精力を傾けるプロデューサーの苦闘の記録だ。予算・スケジュールなどの制約、不測の事態の発生、そうした中でベストの成果を追求する執念、レコード黄金時代の熱気がひしひしと伝わって来る。当時、壮年だった著者、指揮者はじめ、主役の歌い手たちの多くはすでに鬼籍にあり、懐かしい名前になったが、録音は未だ朽ちずというところ。

改めて半世紀前に収録された第一作「ラインの黄金」を聴いてみた。演奏もさることながら、英国デッカ社の当時の技術水準には脱帽する。現在の最新録音に何ら遜色がない。
 圧倒的な金床の打撃音、子どもたちの叫び声など、通常のオーケストラ演奏にはない特殊効果への徹底的なこだわりは著作の中でも詳らかにされている。劇場での音場を離れて、レコードという全く別の表現形態の模索は、この「ラインの黄金」がパイオニアとしての仕事だろう。

たんに優秀な技術者のヘッドというだけで留まらず、作品に対する深い理解なくしては芸術作品のプロデュースはできないということは明らかだ。例えば、本の中にこんなくだりがある。

「ワルキューレの騎行」の有名な旋律を次のナンセンスな歌詞をつけて歌ってみたとする。「I'm sick on a see-saw / Sick on a see-saw / Sick on a see-saw / Sick on a train」 強いアクセントは常に「Sick」になければならないのだが、間違って「see」に置かれていることがよくある。また、「on」の言葉が置かれた十六分音符は、本当は短くなければならない。これは正確にワーグナーが楽譜に書いた通りのことなのだが、十人の指揮者のうち七人までが間違っている。たくさんのレコードが存在しているが、それらはリズムを正しく把握した指揮者がいかに数少ないかを示している。冒頭でアクセントを置き間違えると、全体がリズミックでなくなってしまうのである。

気になったので、さっそく楽譜がどうなっているのか確認、カルショーの書いているとおり。ワーグナーは小節初めの強拍の上にアクセント記号までご丁寧に付けている。確かに、これを正しく演奏すると、天馬空を行くイメージが明確に伝わる。これは、やっぱり馬の蹄がたてる音、コッポラの「地獄の黙示録」で使われているけど、どう聴いてもヘリコプターのローター音ではない。

いまやCDどころか、舞台芸術たるオペラの記録は映像込みのDVDに移ってきている情勢だが、この本の中でもそれは予言されている。一方で、想像力をかき立てるということでは特定の映像と結びついたDVDよりも音だけのレコード(CD)が永い生命を持つという見方もできるということにも同感。しかし、豪華なキャストを集め、細切れで何回ものテイクを繰り返し、最善のものを編集するというレコード制作の行き方には、その過程で失われるものもあることは事実。それは、ライブでしか感じられない空気のようなものか。家には1000枚ほどのCDがあるけど、最近は車の中でかけるだけ、この十年ぐらいほとんど買っていないなあ。

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