「酷道をゆく」 ~ The other side of "TETSU"
2008/6/1

かねてネット上ではマニアの存在を知っていたが、とうとうこんな本まで出た。書店で立ち読み、やっぱりじっくり読みたいので図書館にリクエスト。てっちゃん相手の本は粗製濫造気味で、最近のブームもあって巷に溢れているが、酷道趣味の本を目にしたのは初めて。

敷かれたレールの上を、決められた時刻で走る鉄道を愛好する人はどちらかと言えば従順な性格のことが多く、自由を求める傾向の強い人はどこにでも車を走らせる。そんなラベリングが適切とも思わないし、そもそも、ひとりの人間には異なる側面があるのが普通。もともと乗り物好きということもあって、かく言う私は両刀遣いかな。

それで、この本。私の記憶に残る"酷道"が何本も堂々のランクイン。「そう、そう、ここや、こんな感じ」と、ムック本の写真と解説を見ながら口元がほころぶ。国の道路建設には風当たりが強い昨今、一方で「えっ、これが本有に国道なのか」という道も全国にはいっぱいある。なかでも、私の住む奈良県は"酷道王国"と言ってもいいぐらいのところ。なにしろ、ベスト(ワースト?)ファイブのうち三つが奈良県がらみという見事さ。

まずは第2位にランクされたR425、キャッチコピーは「つきまとう転落の恐怖」。三重県尾鷲市から奈良県十津川村を経て和歌山県御坊市まで、紀伊山地を東西に横切るルート。ここは三度に分けて走破した。東側は紀伊長島温泉に出かけたときの帰り道、真ん中は大峰山脈の笠捨山に登ったとき、西側は和歌山の竜神温泉への往路。

屋久島か尾鷲かというほど年間降水量の多いところだから、東半分を走った日も雨模様、通行規制寸前。市街地からいきなり裏山の林道に分け入る風情で、倒木や落石が多いワインディングロードが延々と続く。池原ダムでR169に合流したときには、正直ほっとした。その間、家族は後部座席で爆睡。そりゃあ、起きていると車酔い必至。別の夏に西側を走ったときは好天だったけど、いったい何本「落ちたら死ぬぞ」といった看板があったことか。

第5位には、やっぱり、上位にランクされると思ったR308、「古きよき時代の街道を今に伝える石畳酷道」とある。そう、これは浪速の津から平城京へ遣隋使・遣唐使がたどった古道。大阪側、枚岡からの登りはじめは民家すれすれの一方通行のクランク、そこからは一直線の急勾配。対向車との行き違いで道を譲ったら側溝に脱輪、「よっこらしょ」と先方のドライバーと同乗者に押してもらって脱出した思い出がある。酷道ファンは助け合いの精神。石畳が残っているのは暗峠(くらがりとうげ)付近だけだが、なかなかの風情。

第4位には、意外、R25が。名阪国道の脇を走る旧国道、部分部分は車で、徒歩で、通ったことのある道。名阪国道だけでなく、立派な広域農道も併走するところだけに、国道という呼称を残しておく意味はない。旧道を繋いで走ろうという酔狂の域まで達していない私としては、「へえー」というぐらい。

で、残り二つはと言うと、第1位R418と第3位R439。これらにも縁がある。前者は、長野・岐阜・福井を繋ぐルート、酷道として名高いらしい越美国境の温見峠は、学生時代に能郷白山に登ったときに降り立ったところ、当時からダートの林道は走っていたものの、あれが国道だったのか。近くでテントを張って一泊したけど、車なんて一台も通らなかった気がする。

後者はわりと最近のこと。高松の友人と剣山に登ったときに辿ったルート。高知県の大豊インターから東に高速道を下りて剣山まで近そうな気がしたが、走ってみるととんでもない間違い。実際の走行は曲がりくねった道での峠越え。徳島との県境、京柱峠の高度は相当なもの、ここから見下ろす祖谷谷の山深さ、平氏の落人の感慨が偲ばれる。

この本には車は走れない国道、つまり歩くしかない国道や海上の国道も網羅されており、こちらも興味深い。破線で表示される歩く国道は、山登りをやっている私にとっては親しみのあるところで、R401(環境保全のため、もはや開通することはない尾瀬沼区間)、R289(那須の甲子温泉からの峠越え登山道、何と山中に国道標識まで)、R291(谷川岳一ノ倉沢から新潟側の清水までの上越国境の豪雪地帯の山越え)等々、超弩級の酷道が登場する。鉄道、車を乗り継いでも最後は二本の足、それが道の本来の姿かも。

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