伊勢路、鈴鹿を歩く
2008/7/21

引き出しの奥から近鉄電車の優待券が出てきた。「あれっ、こいつは7月末までじゃない!」
 気がついたのが、7月も中旬、もったいない、何とか使わなくっちゃ。全線利用可なんだから、近くに行くのに使うのはつまらない。それで、思いついたのが伊勢若松という、自宅から片道1640円の駅。ほとんど四日市に近いし、レバレッジも申し分ない。
 じゃあ、伊勢若松に何があるのか。そう、ここは大黒屋光太夫の生地、何かゆかりの物があるに違いないと思ってネット探索したら、最近は記念館まで出来ているらしい。よーし、行くぞ。

夏の海辺、暑いだろうなあとは思っていたが、やはり。近鉄で急行を3本乗り継いで伊勢若松に到着。名古屋本線から鈴鹿線が分岐する急行停車駅にしては、真っ昼間に降りる人はほとんどなく閑散の極み。いちおう駅構内には手作りコピーの記念館までの案内図が置かれているので、訪れる人もいるにはいるようだ。駅から徒歩15分。海からの風はあるけど炎天下、すぐに背中はびっしょり。ようやくたどり着いたのは小学校の隣に立つ新しい建物。玄関には光太夫の像が建っている。そう言えば、伊勢若松の駅頭にも同じものが。大黒屋光太夫記念館、おっ、意外、先客が二人いる。

ちょうど小学校の教室一つ分ぐらいのスペース、いま展示されているのは、光太夫の帰国後の聞き書きをもとにした「北槎聞略」に沿って纏められたロシア往還の顛末。それに遺品がいくつか。展示品自体はレプリカが多くて、びっくりするようなこともないけど、何てったって入館無料。小一時間ばかり、展示をじっくり見る。光太夫に関する本は読んでいるので既知の内容がほとんどだが、帰国後の待遇はよく言われる不遇や幽閉といったものから少し遠い印象。住居も月々の生活費も幕府から提供されているうえ、行動の自由もあり、数か月に及ぶ伊勢への里帰りも果たしている。こんな部分を具に小説に書くと、ちっともドラマティックにならないからなあ。

さあて、近くの供養塔でも見て、伊勢湾を眺めて、戻るとするかというとき、記念館のおばさんから、「歩かれるんでしたら、地図をどうぞ」と、白子周辺のウォーキングマップをいただく。光太夫出港の地も見ておきたいが、優に1時間はかかりそう。で、お奨めは二駅電車で戻って伊勢型紙資料館とのセット。まあ、急ぐ訳でもないので、せっかくだから仰せのとおりに。

この伊勢型紙資料館は古い家屋、大店がそのまま資料館になっている。ここも先客が二人だけ。これまた無料。またも、おばさんが色々と説明をしてくれる。初めに展示された型紙を見て、後から制作過程のビデオを見てびっくり、よくまあこんなに細かい仕事をするもんだ。もういちど改めて作品を眺めて感嘆。

御多分に洩れずこういう技術も伝承の危機にあるとのこと。中庭の木にはたくさんの蝉が止まっていて、盛夏の声をあげている。浜風が家の中を通り抜けるので思いの外涼しい。「徒然草」ではないけど、「家の作りようは夏を旨とすべし」とはよく言ったもの。子供の頃のおじいちゃんの家はこんなだった。外は暑くても、屋根の下はどこか涼気があったもの。ずいぶん久しぶりに日本の夏を感じた。

海に出る。光太夫出航の地には井上靖の碑文がある。記念館では最近の吉村昭の本を置いていたけど、やはり光太夫と言えば井上靖のほうが認知度が高い模様。
 海水浴シーズンにしては波が荒い。この先、鼓ヶ浦は有名な海水浴場だけど、泳いでいる人は少ない。また、汗びっしょりになって帰途につく。鍔広の帽子をかぶっていたせいか、熱中症にもならず。しかし、再び急行3本の帰路は居眠りの連続。交通費・入館料など一切なしとは言いながら、全くもって酔狂な伊勢観光だ。

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