湖北に遊ぶ ~ 食前・食後の賤ヶ岳
2008/8/3

夏休みの旅行、ガソリン代が高くて世間では安・近・短の傾向 とか。我が家もご多分に漏れず、近場で一泊。出かけたのは琵琶湖の北、木之本、古戦場で名高い賤ヶ岳の麓。ちょっと古そうな宿だけど、食事は期待できるのではないかと、予約したのは「想古亭源内」というところ。
 着いてびっくり、これは想像以上。泊まった部屋は別館、それを三人で貸切。お風呂は藁葺き屋根の別棟、普通の浴槽に五右衛門風呂つき。同じ建物の一角には繭の糸取り道具が展示されている。今も絹の三味線糸の生産がされているようで、この地のシェアは8割とのこと。

周りに何もないのは判っていたし、それは宿のページにもしつこく書かれていたので、今が満開の醒ヶ井の梅花藻を観て、長浜の黒壁スクエアに寄ってから、湖岸を北に向かった。

高校生の次男が一緒なので、選んだのは「近江牛食べ尽しプラ ン」、刺身、にぎり、サラダ、ステーキと、こんなにお肉がいっぱい出てくると尿酸値が上がりそう。琵琶湖の小エビのかき揚げが乗っかったにゅうめ ん、イチジクやセリの酢のもの、うな川、トマトのにぎり、どれも美味しくて、今日は大目に見てもらって、生ビールに冷酒。オマケに甘いものが苦手の私でも大丈夫なワインの香りが効いたムース。

すこし山の斜面に懸かっているので夕食を摂った座敷からは暮れゆく田圃の風景、のどかなもの。ここから雪見障子ごしに見る冬の景色も素晴らしいだろう。この 部屋の襖、女将さんに尋ねると、この料理旅館を始めた曾祖父に宛てた文人墨客からの絵手紙を拡大して襖の図柄にしたそうな。具に料理への賞賛が書かれている脇の絵は、亭主源内が語る賤ヶ岳戦記というところか。ずいぶんユーモラスなものである。千成瓢箪と猿面で秀吉と知れるし、隣の七本槍をバックにする猫面は加藤清正ということだろう。

賤ヶ岳に登り、麓の源内で食事というのは今で言うグルメツアーのはしりかも。何せ、本館の座敷は200年経つということだ。泊まった部屋には、水上勉の「湖の琴」という作品の映画のロケ写真があったが、余呉を舞台としたお話のようで、この想古亭が撮影場所に選ばれたらしい。
 食後は彦根地方で盛んなカロムが宿にあるというので、ゲーム盤を借りて試して見る。ビリヤードのような、野球盤のような、おはじきのような、オセロの駒より厚手の木の駒を指ではじくので、慣れないとけっこう痛い。

朝御飯の前に賤ヶ岳に登ろうと提案したが、予想どおり、即却下される。女将さんに、「隣の神社の裏から登ったら、とれぐらいかかりますかね」と、夕食の時に尋ねたら、そんな道はないというような答。まあ、そんなものか、いちおう伊香具神社の前の案内図にも、地図の上でも尾根に至る道は表示されているんだけどなあ。これ以上聞いても無駄、朝目が覚めた時刻と天候次第、食前の散歩と言うにはちょっと重いけど…

最近は早寝早起なものだから、旅先でも5時に目が覚める。ひと汗かいて朝風呂、お腹も空いてご飯もお代わり、なんて算段で朝の空気の中をいきなり山道へ。奥ノ宮というか上之大宮というのか、そこを目指しての急登。ここまで来ると、麓の大音の集落、湖岸の田園風景が見渡せる。しかし、道がはっきりしていたのは、ここまで。間伐の目印なのか、テープの巻かれた木が多く、山仕事の踏み跡が錯綜しているものの明瞭な登山道は見あたらず。ついに、予想どおりの藪漕ぎとなる。尾根まで出たら整備されたハイキングコースなのは判っているので、とにかく進みやすそうなところを、ひたすら高所目指して踏み分ける。麓の神社から40分ほどかかっただろうか、なんとか尾根にたどり着く。立派な余呉湖周遊コースだけど、「出没注意」の看板に迎えられる。そう言えば、二・三年前に湖西の山では何度か熊騒動が起きていた。

登山リフトが動き出すのは午前9時、7時前の賤ヶ岳山頂は静かなもの。琵琶湖と余呉湖を振り分けに見る絶景であるものの、朝靄で霞んでいる。侍の像が置かれているが、名のある武将を模したものでもなさそう。戦に疲れ果てた趣きである。こういう像を史跡に置くことは極めてユニークかと。ここの登山リフトは比較的新しい。以前はリフト沿いの登山道が長く使われていたのだろう。傾斜が一定になるように山肌を刻んでいて、大変に歩きやすい。あっという間に麓の乗り場に到着。宿まで一投足。集落の中には賤ヶ岳で戦功を収めた末裔の住まいも現存する。想古亭の部屋にも、真贋のほど定かでないが、「天正十一年、秀吉、花押」と記された感状の写しが無造作に飾られていた。

それで、しっかり朝飯を食べた後は、今度は家族揃ってリフトで頂上に。ちらほら登って来る観光客もいる。日に2回、食前・食後の賤ヶ岳とは。

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