KOBEセンチメンタルジャーニー ~ METライブビューイング「ボエーム」
2008/8/13

新聞のプレゼント欄に応募したら、珍しく"当たり"。でも、よく見ると平日の午後4時。なあんだ、てっきり休日だと思っていたのに。でも、ちょうど予定した夏休みを一日だけ変更する必要があったのが幸い、神戸へ。

METライブビューイング、日本でも始まったのは知っていたけど、3000円はいかにも高い。その値段なら新国立劇場でも、二期会でも、本当のライブが観られるじゃないと思って無視していたが、ご招待なら喜んでとは現金なもの。おまけに、大好きな「ボエーム」だし。まあ、ずっとMETの会員なんだし、日本で上映するなら本体から招待があっても良さそうなものとも言えるが。

奈良も大阪も暑いが、神戸も負けず劣らず。真っ昼間の外出はたまらない。しかも、大阪~三宮・元町の昼特きっぷを使って節約、元町から神戸まで、ちょっと長い一駅間を歩くというのだから。
 もっとも、それには、ちゃんと理由がある。元町駅を降りたら、そこは南京町、そのど真ん中、チャイナスクエアに面した元祖豚饅の"老祥記"。もう20年前、その後の地震で取り壊しになった芦屋の古い社宅にいたころ、3歳の長男を連れてここに来たことがある。この子、南京町の魚屋の前を動かない。何故こんなに知っているんだろう。店頭に並ぶ魚の名前をああだこうだと、店のオヤジも呆れる"さかなくん"の様相。それが"老祥記"のすぐ近く。
 その時は有名店とは知らず、店頭に長い列ができているので、ものは試しと並んでみた。もうすぐ、私の番、何個買おうかと思っていたら、ありり、すぐ前で売り切れ、すなわち閉店。みんな、30個、40個と買っていくんだから…

喰い物の恨みか、はたまた食い意地が張っているのか、20年ぶりに並ぶ。午後3時過ぎ、表で行列を整理するおじさんに、「どれぐらい待つかなあ」と訪ねると、「ちょうど捌けたところで、今なら5分もあれば」との返事。店内のカウンターから始まり、小さな食卓の間を縫って行列が続いているのだが、表にはみ出しているのは10人もいない。一番暑い時間帯というのがよかったのか、それとも最近の餃子事件が影を落としているのか。ほんとうは、店内で蒸したてをあっちっちと頬張るのがいいのだけど、お土産に20個。551蓬莱は広東地方の豚饅、ここの北方系。ずいぶん形も味も違っていて、さすがに中国は広い。

長い元町商店街を抜けて、神戸駅から湊川神社の坂を登り、約30分、神戸文化ホールに着く頃には汗びっしょり。そして、ライブビューイング。中ホール、招待券が出るぐらいだから、あまり入りは良くなく、半分程度か。でも、なかなか楽しめた。

芦屋に移る直前がニューヨーク、これまた20年前、1988年に現地で観たプロダクションが未だにメットのドル箱であり続けているのですから立派なものだ。再び、私はふた昔前にタイムスリップ。あのときのロドルフォも、あの日がMETデビューだった指揮者も、もう此の世にはいない。

METのバックステージツアーはとうとう行けずじまいだったので、ライブビューイングで映される幕の裏側がとても興味深い。第二幕のセットが、何百人もの登場人物を乗せたまま、舞台中央にスライドしてくる。カルチェ・ラタンの雑踏と奥のカフェ・モミュスが出来上がるまで、わずか数分のこと。ポスターにもなっている「ジョコンダ」のヴェネツィアの光景も凄そうだが、それに匹敵するものではないかな。この幕、そして次のアンフェール門の雪景色に拍手が湧くのも私が観たときと同じ。もう20年以上も懸かっている舞台なのに、未だ色褪せずというところか。ここまで来ると、もはや有形無形の文化財。

ミミ:アンジェラ・ゲオルギウ
 ムゼッタ:アインホア・アルテタ
 ロドルフォ:ラモン・ヴァルガス
 マルチェッロ:ルドビィク・テツィエール
 ショナール:キン・ケルセン
 コルリーネ:オレン・グラドゥス
 ブノア/アルチンドロ:ポール・プリシュカ
 指揮:ニコラ・ルイゾッティ
 演出:フランコ・ゼッフィレッリ
 (収録:2008年4月5日)

何故か、ルネ・フレミングがいきなり登場し、案内役というのも面白い。オペラに詳しくない人なら、ABCかNBSあたりの人気キャスターと言われても納得するだろう。ユーモアを上手く混ぜる、ちょっぴりプライベートな話題にも振る、そんなインタビューの仕方や内容、いかにもアメリカだし、彼女はこの道でも充分やっていける頭の良さがある。舞台主任、児童合唱指導者と子どもたち、カーテンコール直後の主役コンビ、ピット入り直前の指揮者と、インタビューの相手も多彩、オペラ本編以上と言っては何だけど、いたく感心した。

肝心のオペラ、音響はちょっと変な感じで、歌手の声を拾いすぎかと思う。これを観た人が劇場に行ったら、ものすごく違和感を感じるだろう。まあ、私はその逆のケースに当たるんだけど。

いわば、テレビドラマ的な作り方か。客席ではなく舞台上にいるような音場だ。一人ひとりの歌詞がはっきりと聞き取れるのは、どこにマイクロフォンをセットしているんだろう。オーケストラは、ちゃんと聞こえてはいるが、背景に回ってしまっている印象で、ずいぶん影が薄い。オーケストラピットがあって、その向こうに歌手たちがいるというオペラハウスの聞こえ方ではない。

そうだ、劇場にいるときは、舞台の登場人物だけを観ているわけじゃない。そこが根本的に違うんだ。ピットを覗き込むこともあれば、難しいアンサンブルをどう捌くんだろうと指揮棒に注目することもある。常に歌っているソリストを凝視しているわけじゃないし、そのシーンの重要な演技者に着目しているわけでもない。ただ、全体の音楽の流れだけは聴き逃さないつもりでいる。

そういうことで言えば、この映像はよく出来てはいても、当たり前のことながら、観る側の自由がない。劇場にいるということは、そのときそのとき、各人各様の驚きがあるということでもある。優等生的にドラマの流れに沿ってしっかりツボを押さえた映像だけに、逆に押しつけがましさの臭いも漂う。ライブゆえのカメラの配置の制約もあるんだろう。ワンパターンのズームインの多用はちょっとうざいし、舞台全景とクローズアップの落差も大きい。変な話、インターミッションの間に流れる、舞台側から客席を映しただけのベタ映像に妙に臨場感がある。客席の随所で立ち話している人の姿があり、休憩時間も残り少なくなると席がだんだんと埋まっていく。ああ、あそこが私の定位置、遙か彼方、天井桟敷、またの名をファミリーサークル、なんて感慨にふける。当時は16ドル、ソルドアウトが見込まれない演目のときは立見を6ドルで買って、ちゃっかり座って鑑賞したものだ。どこかのホールと違って、劇場係員からも、周りの聴衆からも一切お咎めなし。それどころか、「ここが空いてるよ」と手招きまでしてくれるのだから、これぞアメリカ。METは大好きだ。

ミミのアンジェラ・ゲオルギューも前に聴いたのは1992年のことなので、もうずいぶん前になる。同じ役で、ロイヤルオペラハウスでのデビューの年だった。まさに役柄ぴったりの初々しい姿が印象に残る。相手役のロベルト・アラーニャとは結婚前のこと。この人、それからの年月の割にはアップにも何とか耐えられるのはご立派。やや暗い声の人なので、後半の幕の歌のほうが合っている。他のメンバー、ムゼッタにボヘミアンたち、やや小粒な印象が否めない。ポール・プリシュカ、20年前はバリバリの看板スターだった人が、ブノアとアルチンドロの二役で出ているのも時の流れを感じさせる。

こうしてキャストは替わってもプロダクションは連綿と続いていく。私にとって、20年前の公演は未だ鮮やかに記憶の中にあり、この映像が触媒となって、さらに美しく強化されるのだろう。年寄りにありがちな"昔は良かった"スパイラルのような気もするが、折しも盂蘭盆、あのときのロドルフォと指揮者、いまや幽界の二人の名は、ルチャーノ・パヴァロッティ、カルロス・クライバー。

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