️屏風岩に登る ~ カーナビいじり倒し
2008/11/3

劇場通いが過ぎるわけでもないが、ずいぶん山登りともご無沙汰。きっと週末の仕事が多いせいだろう。三連休の最終日、ちょいと紅葉を眺めにドライブでもと、思い立って出かけたのは曽爾村。10万km近く走り、7年の車検も近づいたのを機会に、買い換えた新車の足慣らしでもある。2000ccから1300ccにダウンサイジング、ガソリンがこう高くてはやってられない。プリウスを凌ぐとさえ言われるデミオ13-CV、コンパクトカーなら、存在感のある目立つ色でなくっちゃと、鮮やかなグリーン。

仕事のカミサンを送った後、出発は10時。初めて装備したカーナビに目的地をセット。屏風岩の麓の林道が尽きる辺りをゴールに設定。早速、幾通りものルートを提示するので、一般道・最短距離でスタート。「到着予定時刻は…」と、ご親切にアナウンスまでしてくれる。でも、なんかヘン。2時間以上かかるとは思えないけど。どういうつもりなんだろう。連休の行楽渋滞まで織り込んでいるんだろうか。

さて、カーナビのお手並み拝見。富雄川沿いの枚方大和郡山線を南下し、大和郡山環状線に入る。天理王寺線に突き当たったら東に折れ、結崎を経て国道24号に入る。私のいつもの近道をしっかりカーナビもフォローしている。なかなか。ただ、その先が違う。国道を走るのは500mほど、すぐに脇道に入り、国道と平行する畦道を南へ。ナビ君もこうなると、代替ルートの提示に大わらわ。ははは。次は桜井田原本王寺線を辿る。所期のルートに戻って、カーナビも一安心かな。桜井の手前で国道169号に合流し、近鉄とJRの線路を潜る。

ナビ君、この後は左折と国道165号を案内するが、あっさり無視して交差点を直進、安部文殊院のところまで行って左折、結局ここでも国道は500mほど走っただけ。小さな峠の清掃工場の脇の抜け道で国道166号に達する。もう、最初のルートからは大きく逸脱、しかし、すでに到着予定時刻は30分ほど前倒しである。しばらくは大人しく国道を5kmほど辿る。宇陀市に入ればナビ君はお呼びでない、こちらの独壇場、マイナーな県道、それ以下の世界、最終の国道369号に出る頃には1時間近くの時短。「でや、ナビも修業が足りんのう」

とまあ、カーナビをおちょくり倒して目的地には1時間も早く着く。チェスの世界ではコンピュータがチャンピオンに勝つレベルまで進化したが、カーナビはまだ発展途上かな。でも、考えようによっては、とっても面白くて役に立つ道具、何しろ老眼で地図の細かな文字が見にくい年頃、縮尺任意のディスプレイは中高年の福音そのもの。

さて、すこぶる順調に目的地に着いたら、そこは屏風岩公苑ということで、きれいに整備されれている。車が到着すると、おじさんがこちらに向かってきて、駐車料金の徴収だ。そりゃあ、この季節の休日、普段はフリーパスでも、しっかり稼がなくっちゃ。500円也。

「最近ですよね、こんな公園は昔はなかったですよね。まあ、私がこの辺の山に登っていたのは30年以上前ですけど」
「そうですねん。今日はちょっと曇ってますけど、200mほど行ったら屏風岩がよう見えます」
「上まで登れるんですか、どれぐらいかかりますかね」
「健脚の人なら1時間ちょっとで往復できるみたいですわ。ぐるっと回ってこれますで」
「じゃ、ちょっと行ってきますわ」

「屏風岩に登る」であって、「屏風岩を登る」ではない。助詞一文字で大違い、見上げれは絶壁の屏風岩にもちゃんと登山道がある。住塚山、国見山のほうに向かう峠道から分かれて少し、屏風岩の一の峰に到達。稜線は樹林だから、全く恐怖感はないものの、ちょっと下を覗くとスパッと落ちる断崖、「足下注意」も、「落ちたら死ぬで」も、無粋な標識は一切なく自己責任の世界。これは、国内ではとても珍しいこと。それだけ、上まで登る人が少ないということだろう。今や絶版になった30年前の曽爾火山群の登山地図、見る影もないボロボロのコート紙を広げてみても、屏風岩稜線上の道の記載はない。わざわざ登る酔狂な人間も、私だけ。垂直の眼下には駐車上の車と紅葉を愛でに訪れる観光客。

降り立ったところは、地図では若宮神社と書かれているが、それは鳥居だけ。少し東に登ったところにもう一つの神社があった。「隼別神社」と鳥居には表記されている。小さな本殿だが人の姿も希な山の中にしては立派なもの。それよりも目を引くのは石像と歌碑の多さ。すべからく石像には若い男女の姿が彫り込まれているので、ここは男女和合の神様を祭っているのかと思ったり。

気になったので、家に帰って調べてみると、読みは隼別(はやぶさわけ)神社、どうも古事記に由来があるらしい。時の仁徳天皇が女鳥王(めとりのおう)を見初め、求婚のため速総別王(はやぶさわけのおう)を使者として派遣する。ところが、女鳥王が選んだのは仁徳天皇ではなく速総別王。使者が戻らず、天皇自ら赴いてみると、仲むつまじい二人の姿に求婚が不調に終わったことを知る。

「雲雀は天に翔る高行くや速総別雀取らさね」というのが、このとき天皇が漏れ聞いた女鳥王の歌。仁徳天皇の和名が大雀命、つまり、「隼別王子よ、雀を捕ってしまえ」との含意がある歌である。これは謀反の教唆と感じた天皇は隼別王子を討つ。その終焉の地がこの曽爾(別表記は蘇邇)の地という伝えのよう。
 この話は、「隼別王子の叛乱」として、この日文化勲章を受賞した田辺聖子の小説、さらには西谷祥子の漫画になっているそうな。

まてよ、この話、何かと似ているなあ。国王が使者を遣わして花嫁を迎えるつもりが、その二人が恋に落ちて破局に突き進む。「トリスタンとイゾルデ」そのものではないか。もう少し身分が低くなって、こちらは喜劇だが「ばらの騎士」、どちらもオペラでお馴染みのものだ。洋の東西、時代の前後はあっても、人の営為は変わらないものだなあ。教訓、「求婚は人に頼むな」。

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