堂山 ~ as you recommended
2008/12/28

休日の出勤が多く振替の休みが残っているので、今年はお役所並みに早々と仕事納め。9連休ならヨーロッパにも行けそうだけど、手許不如意につき自宅でくすぶる。家の用事もあって、下手をすれば普段よりも忙しい。でも、日曜日だし、リフレッシュも必要、二週連続で湖南アルプスへ。笹間ヶ岳で出会ったお兄さんが薦めていた堂山。

もう道も覚えてしまって、カーナビがいらないぐらい。裏道で信号が少ないから1時間ちょっとでもう大津市。これなら、びわ湖ホールに行くときだって、京奈和道も京滋バイパスも名神高速も使う必要ないなあ。
 一週間前のひとつ北側の谷、天神川に沿って車を進める。畑の向こうに住宅地、その裏手が目指す堂山(384m)。高さの割には目立つ山容だ。

林道の終点近く、祠があり、迎不動と言うらしい。そこから飛び石伝いに天神川を渡ったところが、堂山への登山口。あれれ、ここには登山届を入れるポストまであるぞ。アルプスと言うからには、道迷い、転落などが発生するんだろう。最近はスニーカーでお手軽に登っている私も、今回は登山靴、先週半ばの雪は残っていないと思うが、いちおう岩山、それなりの装備。林道脇にカナブン号、またの名をアマガエル号を置き、登山届を書いて登り出す。

行程は1時間と少し。それが三つの部分に分かれていて、変化に富んでいる。鎧堰堤までの沢沿いの急な登り、広い谷を進む林間の道、最後は花崗岩の巨石が目立つ荒々しい稜線の道。先日のお兄さんが薦める理由がよく判る。住宅地の裏山、400mに満たない里山の趣ではない。

国土地理院のホームページから25000分の1の地図をプリントアウトして持参。なかなか複雑な等高線の具合である。歩いたコースを赤で記入したが、ボートで渡った訳じゃない。いつの測量なのか航空写真なのか、ダムの堰止湖なんてなく、完全に砂で埋まっている有様で、先週の大谷河原と同じ。

鎧堰堤は明治22年の建造、国内15番目の砂防堰堤とのこと。少しカーブした様子が鎧帷子を思わせるゆえの命名か、地名ではなさそうだし。
 古い石積の堰堤を包むようにコンクリートの一回り大きな堰堤が創られている。明治政府お抱えのオランダ人技師の設計による古い堰堤は文化財として残されているようだ。近くにあるプレートには昭和初期の鎧堰堤の写真がある。江戸の終わり頃から植林が進められたようだが、この写真では樹木はまだ疎ら。何しろ平城京の大寺院の造営のために一帯の山の木が切り出された頃に始まる環境破壊だと言うから、負の歴史も古い。今は、過去の禿山を連想させるものは稜線上の砂礫帯ぐらいだから、100年の努力の賜と言えるかも。地元の小学校も植林に加わっているようだ。

市販ガイドブックに載るような山ではないが、地元の人には知られた山のようで、鎧堰堤では下山するグループとすれ違う。いくつものピークを10~20mぐらいのアップダウンを繰り返し辿り着いた頂上には先客の高齢登山者が一人。道でないところから突然現れた私に驚いた様子。と言うのも、踏跡があちこちにあって、捲き道を探すのも面倒、最後は一直線に岩をよじったものだから。話してみると、こちらも地元の人らしく、湖南アルプスの山々は登り尽くしている模様。

この日は天候の崩れも心配なく、ゆっくりと眼下にひろがる大津の街から琵琶湖を眺める。なかなかいい山である。地質的には六甲山系やその西の多紀アルプスとも共通するものがある。いずれも中央構造線の北に連なる山塊ということだからだろう。

頂上には三角点ならぬ水準点が埋め込まれている。なかなか珍しい。岩にもたれて自分で作ったお弁当を食べる。ソース焼きそばに薄焼き卵を巻いたオムそば弁当。仕事のカミサンと留守番の坊主の分と朝から3人前の準備。一人で遊びに行くのもなかなか大変。

今月になって3回目の山登り。行程3時間を目処に選定しているのは、膝の痛みが出ないようにとのこともあるが、夕方のカミサンの迎えに間に合わせる必要があるから。おかげで、最近は膝も問題なし。やはり山登りのトレーニングは山登りに勝るものなし。1時間の余裕があったので、汗と一緒に一年の垢落とし。スーパー銭湯はそんなオヤジでいっぱいだ。

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