収集テツもここまで! ~ 曽我誉旨生「時刻表世界史」
2009/1/12

第何次かの鉄道ブームのようで、てっちゃん相手の本はたくさん出ているが、多くはマニア本でその趣味の人以外にとって価値のあるものは稀である。かつての宮脇俊三「時刻表2万キロ」が、マニア本にとどまらず文芸書としても評価されたのが唯一の例外に近い。その伝でいけば、今回出版された曽我誉旨生「時刻表世界史」は近代の歴史書としての価値があると言ってもいい。

大著500ページ、2800円。ちょっと躊躇する値段。でも本屋でパラパラと立ち読みしたうえで、珍しく購入することに決定。面白そうだし、史料的価値も充分で、再読する可能性も大。何より読むに耐える文章であることが、この分野の本にしては極めて珍しい。

それにしても、よくまあこれだけ集めたもんだ。感嘆。これが著者個人所蔵のものだと言うからなおさら。オークションなどを駆使してお金を注ぎ込まないとちょっと難しかろう。

てっちゃんの一般的傾向として、領域限定ということがある。乗り物といっても鉄道にしか興味がない。それも国内、さらにJRだけとか。ところがこの人の場合は何でも来いである。タイトルからして鉄道に限った本ではないことが判るが、船、飛行機、バスは言わずもがな、飛行船、飛行艇、ヘリコプター、果ては台車と称する人力鉄道まで。およそ交通機関と呼べるもので時刻表が存在するものは全て収集の対象となっている。しかも、旅客輸送に限らず、貨物輸送など当たり前、軍用列車や御召列車、さらには御陵行き霊柩列車などの極秘の時刻表があるかと思えば、引揚者輸送のダイヤもある。

章立ては次のようになっている。
 第一章「欧亜連絡とロシア 旅は極寒の凍土を越えて」
 第二章「ヨーロッパ 破壊の暗闇から“対立と絆の時代”の夜明けへ」
 第三章「中近東・アフリカ 民族の闘いに翻弄され続けた現代のキャラバン」
 第四章「新大陸へ 地球を小さくする者が世界を征する」
 第五章「太平洋 希望と涙が渡った遥かなる架け橋」
 第六章「東南アジアとその周辺 植民地からの脱出は勝利なき戦いの幕開けだった」
 第七章「中国と台湾 流転する四千年の空と大地をゆく」
 第八章「朝鮮半島 三千里を駆ける鉄馬の誕生と飛翔」
 第九章「満州の時代 プロパガンダと緊張の狭間に咲いた幻の名優たち」
 第十章「日本 都市と地方・なつかしき「昨日」」

このままの構成で展示しても、すぐに時刻表博物館ができる。著者は真面目にそう考えているのかも知れない。帝国主義の跳梁、植民地経営の野望、度重なる戦乱、東西二極対立を経てグローバリズムの地平へ。そうした国際情勢の変転、社会環境の変化に伴い消長する交通網。地名と数字の羅列でしかない時刻表が語ることは多い。その背景に世界史を読むのは、推理小説のトリック解明以上の面白さがある。

直通列車を走らようとする側と阻止しようとする側が満州で繰り広げらたゲージ(鉄道軌道幅)戦争、最短空路開設の前に立ちはだかる鉄のカーテンを巡る攻防、壁に囲まれたベルリンへの物資の大量空路輸送、環地中海の鉄道路線のイスラエルでの断絶、国際的に孤立した南アフリカと台湾を結ぶ空路、欧米間大西洋横断航路のスピード競争、長距離バスが支えたアメリカの公民権運動、神戸ブレノスアイレス間航路の片道利用、改革開放を先取りするかのような上海都市交通の終夜運転、文化大革命のさなかに西側で初めて定期便を開設したフランスの独自外交、こういった数々の興味深いテーマが近代史の文脈の中で時刻表を通して語られる。

私が初めてヨーロッパに旅行したときのルートは南回り。香港、ボンベイ(ムンバイ)を経由して20時間以上かかったことを思い出す。その後はシベリア上空経由の直行になったが、フィンエアーが安値と欧州各地への接続の良さで健闘していた。この本の中にもアイスランド経由の格安欧米線の話が出てくる。

ニューヨークでしばらく勤務したときに入居していたビルの屋上からJFKへの直行ヘリが出ていたのを、この本で初めて知った。墜落事故があって、その頃には路線は廃止になっていたようだが、ほどなくパンナム自体が経営破綻し、ビルも別の会社の名前に変わっている。

戦後のことになると、自身の体験や記憶にも繋がってくることがあり、興味が尽きない。時刻表が一般的なものになってせいぜい100年あまり。その間の歴史の大きなうねりとともに、ずいぶんと世界も狭くなったものである。

ジャンルのトップメニューに戻る。
inserted by FC2 system