あまりに対照的! ~ 二人の芸術家の生きざま
2009/1/25

たまたま続けて読んだ本、ともに20世紀を生きたヨーロッパの芸術家の伝記、ずいぶん対照的なものだった。ところが、この二人には共通点もとても多い。

どちらも世紀を代表するような芸術家であるのは措くとしても、片やオーストリア、片やハンガリーと、第二次世界大戦の枢軸国にあって、戦争で芸術家としてのキャリアが翻弄されたこと。どちらも離婚歴があり、二つの本ともに最後の夫人からの聞き書きであること。そして、この二人の人物が日本と深く関わっていたこと。それぞれの人物の臨終には日本人が側におり、一方は日本の著名企業の経営者、一方はその妻、それどころか本人自身が帰化日本人、栃木県真岡市にて没。

ワグナー・ナンドールという彫刻家・画家・建築家と、ヘルベルト・フォン・カラヤンという指揮者、後者は知らぬものがないぐらいの名前だが、前者を知るものは極めて少ない。まして、その人が日本人であることも。かく言う私もその一人、カミサンが借りてきた本を又借りで読んで初めて知る名前だった。本の序章にはこうある。

ブダペスト第一の観光スポットである王宮や「漁夫の砦」から、前記のゲレルトの丘の「哲学の庭」は数百メートルしか離れていないにもかかわらず、日本の旅行会社が観光客を案内することはなく、ほとんどの日本人は未だに、この"日本人"がつくり、ハンガリー人が誇る「哲学の庭」を見たことがない。この物語は、これらの彫刻をつくった"日本人"の物語である。

何とも波瀾万丈の人生である。動乱の時代、ハンガリーの生地はルーマニアの領土となり、美術の道半ばで志願して従軍、大戦で戦功を立てるも戦後の共産党政権に追われてスウェーデンに亡命、そこで日本人女性と結ばれ遂には日本に移住、栃木県益子町で製作活動を続ける。

幼い頃、高名な軍人だった祖父から伝え聞いた日本の武士道精神が、その後のナンドールの人生に垣間見える。自らの命さえ省みずに人を救うことから陥る窮地、目先の功利に目もくれず信ずる道を行くことでの貧苦、まったく損得勘定の彼岸にある行動ばかりである。この人は、亡命者として不遇をかこつ中でも矜持を失わず、理不尽や裏切りに遭遇しても人を信じることを止めない。卓越した才能と独立不羈の性格が誤解を生み、敵対者も数多く現れる反面で、国籍や信条の違いを超えた援助者が、その都度彼を救う。まさに、「かくこそありしか おうじのもののふ」。

「ドナウの叫び」の著者は下村湖人の子息である下村徹という人、本の内容は夫人からの聞き書きを元にしたもので、誇大な表現は見られず淡々とした記述が反ってナンドールの人生の重さを感じさせる。
 一方の「カラヤンとともに生きた日々」の著者は夫人の名前になっているが、ライターの手が入っていると想像する。昨年、生年から100年にあたるということで、この稀代の指揮者に関わる本が何点か出た中のひとつ。商魂たくましい人たちが勧めて書かせたタレント本の一種かも。空っぽの中身で何だか気の毒な感じもする反面、きっと本人はそんなことは何とも感じていないだろう脳天気さも窺え、こんな女性を気に入って最後の伴侶としたんだなあと、妙な感慨もある。

カラヤンという指揮者は商業的に大成功したこともあって、生前から毀誉褒貶の激しい人で、戦争中のナチとの関係が問題になったりしたこともある。あれだけ来日していたのに遂に一度も聴かずじまいになったのは、今思うと残念なこと。
 この本に書かれていることは既知のことがほとんどで、身近にいる人ならではのエピソードもあるが、すべからく綺麗事で上滑りした文章になっているのが笑えるところ。ディオールのモデルから楽壇の帝王の妻に、国家元首、宗教界トップ、大富豪、著名な芸術家と、ただその名前を出すためだけのように随所に鏤められた固有名詞によるセレブ生活の披露に至っては、読んでいるのがあほらしいやら微笑ましいやら。

芸術面での成就ということでは通ずるにしても、世俗的な栄達ということではほとんど両極のような人物。この二人、どちらがどうのではないし、ヨーロッパでの大戦争の時代を、自らの才能を頼みに精一杯にくぐり抜けてきた人たち。サンフランシスコ講和条約の年に生まれた平和しか知らない私がとやかく言える筋合いでもなかろう。それにしても、人間はほんとに様々、伝記の面白さ。

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