やっぱり、変人! ~ 小泉純一郎「音楽遍歴」
2009/4/5

近くの図書館の棚に見つけて借りてきた。「回顧録を出すつもりはないが、音楽のことならいくらでも」と快諾して世に出たのがこの新書。やっぱり変人の面目躍如。

ワーグナーなら「リエンツィ」が一番と言ったとか言わなかったとか。映画やマンガにもなっているリング物語などを挙げず、クラシックファンでも滅多に知らない初期作品の名を出すところが、いかにもこの人。その件はこの本には書いていないが、なにしろ取り上げている作品には有名どころのほか、私も名前すら聞いたことのないものがいっぱい。半端じゃない。

アメリカのバーバーや、オーストリアのコルンゴルトあたりなら、私もコンサートホールやオペラハウスで聴いたこともあるが、ポーランドのリピンスキ、ベルギーのド・ベリオやヴュータンに至っては、「誰?、それ」という感じ。とってもマニアックであるが、本人はいささかもそのつもりはない。「音楽でも本でも、自分がいいと思えばそれでいい。それがまた楽しい」、まさに異端の政治家の真骨頂である。

子どもの頃にヴァイオリンをかじって、レコードを聴きまくって半世紀、議員になってからもコンサートやオペラ公演に出没。ながら族というか、執務中にもBGMよろしく音楽を流しているそうな。何度も聴いているうちだんだん良くなるんだとか。この十年ぐらいの間、私は何度も公演会場でライオンヘアの人に遭遇している。

YKKと呼ばれていたヒラの議員時代、サントリーホールで柿澤弘治氏などと一緒に見かけた覚えがある。一般の聴衆同様、ホワイエで普通に話していた。この本で、首相なら御招待があるが、議員時代は自分でチケットを買っていたとあったので、ちょっと驚き。あてがい扶持ならいざ知らず、自分の好きなものを聴くとなると、当然そうなるわけだけど。

さすがに新国立劇場のオペラに現れたときには、客席のライトが落ちるタイミングで一階中央の席に着くというスタイルになり、周囲にSPを配するという首相の待遇だった。さぞ窮屈だったろう。もっとも、この人の場合は、変人、そんなことお構いなしか。3時間ほど訳のわからないものに付き合わされるSP諸氏こそ、仕事とはいえお気の毒に思えたものだ。

ニュースでも報じられた各国での音楽行脚のエピソードも語られている。フィンランドではシベリウスの旧宅を訪ね、チェコではドヴォルザークの墓に詣でる。カナダでのサミットの帰路、ドイツが勝ち残ったワールドカップ決勝に間にあうよう首相特別機にドイツのシュレーダー首相を同乗させたのが縁で、返礼にバイロイト音楽祭に御招待を受ける。クラシックにとどまらず、アメリカではブッシュ大統領とメンフィスまで飛びエルビス・プレスリーの墓参り、ついでにレストランで生バンドをバックに一曲歌ったのだとか。新聞で報じられたのは半ばヤラセの写真、マスコミが帰ったあとに本番があったらしい。

芸は身を助くと言うか、趣味は身を助く。この人の場合、形だけのパフォーマンスじゃなく、ほんとうに音楽が好きということが傍から見ていてもわかる。それは洋の東西を問わないこと、ましてや自国の作曲家やアーティストに向けられた心からの敬意は、まさに相手国の琴線に触れるものであり、外交の手練手管を超越する力を持つ。変人、得な人である。首相の座を退き次の選挙では引退というのに、ミラノ・スカラ座から12月7日のシーズンオープニングの招待状が届いたようだ。「ちょうど、その頃には政局になる」との判断で断念したらしいが、アメリカならスーパーボウルのチケットに匹敵するようなものなんだし、行ってくればよかったのに。ひょっとして、年明けの麻生批判発言の裏には、その怨念もあったりして…

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