CALLAS ASSOLUTA
2009/4/9

職場宛に来た書類の宅配便、差出人に心当たりはない。はて、何だろう。まさか爆弾でもなかろうと開けてみたら、「CALLAS ASSOLUTA マリア・カラスの真実」という映画のチラシと解説資料、そしてサンプルDVDが。
 添付されたメモには、お目にかかったことのあるオペラフリークの方から紹介されてとあって、ようやく合点がいった。そうか、映画のPRで予告編が送られてきたんだな。

家に戻って装置にかけてみたら、何とそれが全編、完全版だった。画面左上にSAMPLEの文字こそ表示されるが、2時間、とうとう最後まで観てしまった。たぶんプレス向けのプロモーションのよう。きっと、私なりの感想をホームページにアップしてくれということかと勝手に解釈。でも、マスコミの影響力とは比べものにはならないのだけど…

エディタ・グルベローヴァ論として読み応えがある「うぐいすとバラ」(ニール・リショイ著、久保敦彦訳)の中に、全く対照的ではあるが、カラスの歌唱についての言及がある。

彼女の自己流解釈への敬意は惜しまないとしても、彼女がその圧倒的成果を達成するのに往々にして技術的には誤った響きの出し方をしていたことを見過ごすわけにはいかない。マリア・カラスの決定的過ちはレパートリー選択に無定見であっただけでなく、正しい歌唱技術の法則をきちんと踏まずに各役を歌ったというそのやり方にある。

稀代のプリマ対し、ずいぶん仮借無い表現という気もするが、私自身もどちらかと言うと、この論に与するほうである。とは言え、近年のベルカントレパートリー復活への道筋は、彼女の功績以外の何物でもない。さりながら、ナマで観たことも聴いたこともないうえに、残された録音も概して音質は悪く、全盛時のものは少ない。そんななかで、伝説のディーヴァの凄さを感じるには自分の想像力は不足している。

それで、この映画。もちろんマリア・カラスの歌は多数挿入されているが、それを聴くというものではなくて、歴史上の人物のドキュメンタリーを観るというほうが当っている。貧しい移民としてNYに渡り、祖国に戻り力を蓄えて捲土重来、NYを制するときたら、何となく「ゴッド・ファーザー」のイメージに重なる。バックに流れるのがイタリア・オペラのアリアだから尚更。

ともあれ、ドラマティック過ぎる人生である。あっと驚くダイエットはともかく、イタリアでの輝かしい成功、これぞプリマ・ドンナという我儘(見方次第では周りが悪いとも)、歌手生命の下り坂と反比例するようなスキャンダルの渦、肉親との確執、晩年(早すぎる歳だが)の孤独…。それらが、編年ふうに淡々としたナレーション(フランス語)で綴られる。絵はあくまでもドキュメンタリー、舞台収録、ニュース、インタビューで構成され、虚構として作られた映像でない、記録映像ならではの真実性・迫力が伝わる。思わぬ夜更かしになってしまったけど、これは見応えがある。

声は"きたない"と言っていいぐらいだが、それは好みの問題。それよりも、ワーグナーとベッリーニとを立て続けに歌うなんて無謀さや、一人のソプラノがカバーするのはどだい無理で首尾一貫しないレパートリー、もし、ベルカントものに徹しておれば、ずっと長いキャリアが、そして別の人生があったのかも知れないと、ふと思う。

断片的な挿入音源のなかでハッとするのは、やはり「ノルマ」である。一世一代の当り役というに相応しい。本人もインタビューに答えてこの役柄への偏愛を語っている。ライブを見損なった今の私たちにしてみれば、ディミトラ・テオドッシュウの歌に微かにマリア・カラスの片鱗を聴くということぐらいしか術がない。きっと、この人は劇場でしか真価が判らないだろうと思うだけに、残念なことである。

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