野球場新線で行く ~ 10対10、36年前の記憶
2009/6/3

その昔の野球少年、いまも年に2~3回は球場に行く。音楽にしてもスポーツにしてもライブに勝るものなし。グラウンド上の攻守の選手の動き、ボールの動きの両方を視野に入れることは、テレビの映像では絶対に不可能、それこそ野球の醍醐味の一つなんだから。

昭和40年代からの中日ドラゴンズファン、大阪で観るのは甲子園だけだったのが、セ・パ交流戦が始まってからは大阪ドームという選択肢もできた。どちらの球場も阪神なんば線開通のおかげで奈良からは直通、ずいぶん便利になった。

そしてこの日が今シーズン初見参。この数年、行くと負け試合というジンクスに祟られている。一年前、目の前で岩瀬投手がカブレラ選手に超特大のサヨナラホームランを喰らった悪夢のようなシーンが蘇る。
 その因縁のブルーウェーブ戦、京セラドームは閑散と言っていいぐらいの入り、だから甲子園と違ってゆったり観戦できる。三塁側ベンチの後ろ、4列目だからグラウンドが近い。人気のドアラも名古屋から遠征していて、スタジアム入口では人だかり。
 どうせ観るなら試合前のバッティング練習からと休日出勤の振り替えの休みにしたことが、終わってみれば結果オーライの大正解。延長戦でもないのに、交流戦史上最長4時間43分のゲームにつきあうことになるとは…

両チーム合わせて35安打24得点、5回終了時に既に3時間経過という凄まじさ。
「こらっ、落合、ええかげんにせんかい。終電なくなるで」と、後ろに陣取るオヤジが弥次る。リードしてもう大丈夫かと思った都度追いつかれる展開にドラゴンズファンのフラストレーションが溜まる。
「おいっ、谷繁、打率が身長を下回っとるぞ、何とかせえ!」と、まるで「あぶさん」のヒトコマを見るよう。ところが、その谷繁捕手が決勝の11点目を叩き出す3安打の猛打賞。試合後のコメントで自身が身長のことに触れていたから、きっとあの弥次が聞こえていたんだ。

試合時間はほぼ2試合分、観るほうも疲れるが、これだけランナーがベースを駆け巡るゲームに遭遇するのは滅多にないことでもある。10対10の同点でいったん落ち着いたとき、ずっと前にこのスコアの試合を観たことがあるのを思い出した。それは、36年前のこと。昭和48年10月11日、ペナントレース最終盤の巨人・阪神戦だった。たぶん大学の授業をサボったんだろう。それは覚えていない。

長く続いたジャイアンツの天下もいよいよ終わることを予感させたシーズン、後楽園での最後の連戦の初戦は田淵の逆転満塁ホームランでタイガースが勝利し厘差の首位に立った。続くこの日の試合、堀内投手をノックアウトし、序盤で7-0の大差をつけた。タイガースのマウンドにはエースの江夏、おまけにサード長嶋がゴロを取り損ねて指を骨折し退場という予期せぬ事態。ジャンボスタンドから見下ろすグランドには異様な雰囲気が漂った。

ところが、長嶋に代わった富田の3ランホームランが飛び出し、死闘とも言えるシーソーゲームの果て、終わってみれば、10対10の引き分け。今から思えば、この試合こそ巨人・阪神の戦いのなかでも、筆頭にあげてよいほどの激戦だった。そのあと、タイガースは甲子園でのシーズン最終戦でジャイアンツ高橋一三投手の前に9-0で完敗し、半分手が届いていたペナントを逃したわけだが、その伏線は間違いなくこのゲームにあった。

その試合のことを思い出し、ネットで記憶のはっきりしない部分を確認していたら、こんな本が出ていたことを知った。山際淳司「男たちのゲームセット 巨人・阪神激闘記 」というのがそれ。すでに絶版、早速図書館の蔵書検索で予約。やはり、あのゲームは両チームのファンにとどまらず、野球好きの心に強く訴えるもののようだ。まして、その場にいた自分にとって、36年も前のこととは思えない。ベンチに下がる長嶋の姿や、富田のホームランの軌跡が脳裏に刻まれている。阪神ファンよ、掛布・バース・岡田のバックスクリーン3連発のDVDなんか観て喜んでいるようでは、常勝チームにはなれんぞ。

大の男が棒振り回して球投げて、たかが野球、休暇を取って一人で球場に向かうなんて、カミサンに呆れられるのは当たり前、自分でもバカだなあと思うが、やっぱり面白い。

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