若杉弘さんを悼む
2009/7/22

新国立劇場2階R1ゾーンのいちばん舞台寄り、オーケストラピットの上手、そこは若杉芸術監督の定位置だった。その席から姿が消えたのは、かなり具合が悪いとしか思えなかった。推測が外れていなかったことを風の便りで知り、間もなく指揮台に立つ予定のキャンセルが続いた。そして、今日の訃報。

舞台に最も近く、歌い手の様子を見るには最適の席、アンダー歌手との交代も含めた決断も迫られる芸術監督はこの位置になるというようなことを、就任時の「タンホイザー」の幕間にお聞きした覚えがある。

一介のオペラファンに過ぎない私だが、何度も公演会場で若杉さんと言葉を交わした。休憩時間に行く場所は喫煙ゾーン、そうすると自然に見知った顔を発見するということになる。珍しい演目がかかるとき、相当な確率でそこには若杉さんの姿があった。自分が振らない公演を、これだけ聴いている指揮者を他に知らない。

豊中のカレッジオペラハウスで観たダッラピッコラの二本立て上演もそうだった。「囚われ人」と「夜間飛行」、何年前だったろう。同じ会場で「ヴォツェック」を聴いたとき、あれは5年前のこと。このときに喫煙コーナーで撮ってもらった写真が残っている。ラフな格好の私が並ぶのが申し訳ないような、きちんとした出で立ち、この人はいつもそうだった。

いつぞやは京都駅の新幹線ホーム、びわ湖ホールでのヴェルディ「エルナーニ」のあとだった。私はオペラを観て単身赴任先に戻るところ、若杉さんは二日間の指揮を終えて東京への帰路、ほんの一瞬の立ち話だったが、濃いベージュのスーツでお洒落な姿が印象に残っている。

ろくに挨拶もせず、いきなり公演の感想や質問をぶつける輩に、椅子から立ち上がり丁寧に受け応えされるので、こちらが冷や汗ものである。育ちの良さというか、これも人柄かと恐縮するのが常だった。ほんとうにオペラが大好きな人だったんだろう。ピットに立つときはもちろん、客席に座るときも、そして見ず知らずのオペラファンと言葉を交わすときも。

新国立劇場の芸術監督の任期半ばで病を得て、指揮することは叶わなかったが3年間のラインアップは残った。いかにも若杉さんらしいと思う内外・新旧のバランス、かつ滅多に上演されない作品を入れ込むひとひねりあるプログラム、死してなお、2009-2010シーズンは若杉監督最後の仕事が具現化するということになる。

びわ湖ホールでの9年間、若杉さんが取り上げたヴェルディの初演作品群、その全てに接することが出来た私は幸せである。ヴェルディの26のオペラのうち、国内未上演作品が「レニャーノの戦い」と「アルツィーラ」だけになったタイミングで新国立劇場のポストへの転身。ご本人の口から、少なくとも「レニャーノの戦い」という名前は出ていただけに、若杉さんの指揮の下でそれが実現しなかったのは返す返すも…

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