「パンドラの匣」を歩く ~ 石切めぐり
2009/10/11

三週間に一度行く大阪府立中央図書館、橋下知事になって蔵書整理の長期休館がなくなり、連休中にも開館するなど、ごく普通のサービス業となったのは喜ばしい。政権が代わったのだから、うちの近所の国立国会図書館分館もそうなってほしいものだ。

9月に東大阪市荒本の図書館に出かけたとき、一階エントランスに妙な展示があり、思わず足を止めた。「太宰治と東大阪」、何だこりゃ。東大阪の作家と言えば司馬遼太郎だし、田辺聖子だろう。彼らはいかにも布施(河内、枚岡との三市合併前)のキャラクターだ。東大阪なんて津軽金木村の御大尽津島家とは何のゆかりもないし、水と油ではないかと展示パネルを眺める。主宰とおぼしき人が近づいてきて、「試写会やりますから、よかったらどうぞ」と、渡されたのが「パンドラの匣」のチラシ。

かつて東大阪石切にあった療養所に暮らした人の日記が太宰の「パンドラの匣」の底本だという。生誕100年で映画化された作品の上演と、監督・出演者をはじめ関係者を招いたフォーラムを10月3日に石切神社境内の施設で開くのだとのこと。狭い場所のようで定員はわずか100名。葉書を出そうかと思ったら、残念、この日は東京で太宰ならぬシェークスピア原作のオペラ(ヴェルディ「オテロ」)を観る予定だ。ならば、カミサンに。

すぐに葉書を書いて投函しようとするカミサンに、「ちょい待ち、なんか書いたか?100人だけやから、必要事項だけやったらあかんで。選ぶ側がこいつを当てたろと思うようなこと書かな」と適切な(?)アドバイス。そして、子どものころに石切さんに参って食べた煎餅のことやら、"まいど1号"のことまで書き足して、めでたく当選となった。その日はフォーラムだけで時間が一杯になり、日を改めて作品の舞台となった石切めぐりということで、快晴の連休中日に改めて出かけることに。

近鉄奈良線石切駅、毎日の通勤途上なのに下車するのは初めて。坂道を下る参道は結構な賑わいだ。狭い道の両側には多数の商店が並ぶ。占い、漢方、漬け物、和菓子、おでん、たこ焼き…。一軒や二軒じゃないおばあちゃん御用達のブティック、ここは巣鴨か!今回のイベントに関わる「まいど東大阪」の物産販売の店も新しく出来ている。布施駅前モモヤの巨大桃饅頭を見つけて購入。一個750円。昔、この店の大栗(こちらも巨大)をよく食べたのを思い出す。そしてつけもの横丁で腹ごしらえ。手打ちうどん300円の東大阪価格。これじゃなかなか神社に辿り着かない。

門前商店街を下ること暫し、ようやく石切劔箭(つるぎや)神社、正面の絵馬殿の上には金色の剣、そして本殿の前は商店街以上の雑踏。10mぐらいの間隔で置かれた百度石をぐるぐる回る人たち、カウントのための紙縒を手にして真剣な表情だ。「でんぼの神さん」ぐらいは知っているが、これは表面の腫れ物ということではないな、自身や身内が癌告知を受けた人がほとんどかと思える。前に大腸ポリープを取った私も百度参りまではしなかったが健康祈願。

神社の脇に立つ古い小学校のようなレトロな建物が石切寮、ここでフォーラム・試写会があったらしい。空調などあるはずもなく、長時間のイベントでカミサンは気分が悪くなったそうな。でも今日は心地よい秋の風が吹いている。もと来た道を戻って、往きに目をつけていた旨そうなひろうす(東京では「がんもどき」)を買う。一個100円で野球のボールほどもある。スパッと半分に切って中身を見せているのも良心的。もっと小さいのを150円で売っていた店もあったから、ひととおり眺めて帰りに買うのが正解。今夜のお酒が美味しそう。

お参りよりも食い物ばかりだが、ここからはハイキングとなる。石切駅を過ぎてさらに坂を登ると、昔の駅跡がある。孔舎衙坂(くさえざか)駅、廃線趣味のてっちゃんなら堪えられないところ。旧い生駒トンネルの大阪側抗口の手前にある。線路こそ撤去されているがプラットホームはそのまま。架線は送電線としてまだ現役のようだ。さらに、山道に入り、ちょっと上の展望台まで。この先ハイキングコースで生駒山の稜線まで繋がっている。しかし、眺めなら駅付近からでも充分、全国の鉄道車窓絶景100選に入るだけのことはある。毎日のことで慣れてしまっているが、台風一過の連休の晴天とくれば、大阪市内の高層ビル群や六甲の山並みはおろか、大阪湾に浮かぶ船、淡路島、明石海峡大橋まで肉眼で確認できる。

ミニハイキングのあとは、本来の目的地、「パンドラの匣」史跡に向かう。旧駅から一投足、曲がり角に「ヒトモトススキ」という案内板があり、何のことかと思いつつ療養所があったという日下新池のほとりに辿り着く。池の側に二段の平坦地があり、そこが太宰の小説の舞台になった孔舎衙健康道場があった場所らしい。"パンドラの丘"なるネーミングもされているようで、地元ボランティアの方々が整備作業をされている。野鳥の巣箱を製作中で、11月には子どもたちを呼んで巣箱取り付けのイベントを開催するのだそうだ。この場所、もともとは遊園地と料理旅館があったらしいが、沿線の菖蒲池遊園地の開場とともに寂れ、旅館が健康道場、つまり結核療養所に変わったとのこと。そこで療養していた木村庄助という人が太宰のファンで、死後、療養日記が太宰に贈られ小説化に至ったのが東大阪と太宰の縁ということだ。

「パンドラの匣」、ずいぶん昔に読んだことがあると思うが、どんな話だったのか思い出せない。太宰のサニーサイドというフレーズが映画のチラシにあったが、明るい太宰で私が真っ先に思い出すのは「富嶽百景」だ。太宰の結婚前の時期、御坂峠の天下茶屋という小さな茶店に滞在したときの見聞がこの小品を生んだのだが、「富士には月見草がよく似合う」という有名なフレーズはもとより、清澄な空気の中で井伏鱒二が豪快に放屁するシーンの大らかさ、シャッターを押すことをアベックに請われファインダー一杯に富士を入れる茶目っ気など、太宰の他作にはない生への意欲がある。

それにしても、「パンドラの匣」に種本があったとは知らなかった。太宰もそのことには言及していないはず。静岡県以西へは一度も訪れたことがないという作家に東大阪を舞台にした作品があるなんて。
 これは浅田高明という人が『探求太宰治「パンドラの匣」のルーツ木村庄助日誌』で最近明らかにしたことだという。図書館の展示パネルでも紹介されていた原作との異同など、この本に詳しく書かれているようだが未読である。まさか「パンドラの匣」が剽窃ということでもないだろう。当然、はっきりと太宰の色がついているはず。私が太宰の最高傑作だと思っている「お伽草子」、オリジナルではない誰でも知っている話を借りて人間性の深淵を覗かせるような芸当をやってのける、太宰はそういう作家だから。

ところで、道案内にあったヒトモトススキ、それが池の中に自生している。ちょうどススキのシーズンだが、こちらはカヤツリグサ科の多年生草本、見かけは似ていてもイネ科のススキとは系統が違う。海辺に広く分布するそうだが、こんな山の麓に生えているのは例がないらしい。このあたりがかつて海岸だった証とのことで東大阪市の天然記念物に指定されている。大阪の沖積平野が形成される前からということかしら。
 孔舎衙健康道場跡はパンドラの丘として整備が進んでいる一方、その前身の料理旅館を廃業に追い込んだ菖蒲池遊園地は、皮肉にもその歴史を終え今は駅前の大規模宅地造成の真っ最中である。人間の営為と自然の遷移、タイムスケールの大いなるギャップということかなあ。

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