愛宕山に登る ~ いつもと勝手が
2009/11/7

大ぜいの山登りはずいぶん久しぶりのこと。しかも15人もの子どもと一緒というのは初めて。自分が子どものときの遠足以来ではなかろうか。しかも、仕事での山登りなんて前代未聞である。これは、子どもとNPOとの出会いを通じて、学校の勉強の枠を超えた体験学習を児童館を舞台に取り組むというプロジェクトだ。仙台、新潟(燕)、金沢、京都、北九州で実施していて、今年が3年目。とても全部には顔を出せないが、京都では昨年の「保存食を学ぼう(豆料理)」に続いての参加となる。

地下鉄烏丸線の北大路駅で職場の同僚と待ち合わせ、NPO関係者の車に拾ってもらう。観光シーズンの京都だが、9時前、人出までには間があり、鹿苑寺、竜安寺、仁和寺、大覚寺とメジャースポットを横目に清滝トンネルを抜けて30分弱。集合場所の清滝バス停に到着。そこで、今回のリーダー、京都愛宕研究会の方と対面。名刺には一等三角点研究會会長、日本山岳会会員などのタイトルが並ぶ大ベテランだ。しばらく山のお話をしているうちに路線バスが到着。児童館の15人の子どもたちが降りてくる。男女の職員と看護師さんも一緒。子ども15人に大人が7人、防災用高性能トランシーバーでトップとラストを固める万全の態勢、宮崎で子どもの遭難事故があったばかりだが、ここまでやれば何が起きても問題はない。何より、快晴の一日である。

紅葉の見頃は少し先かも知れないが、それなりに色づいた表参道を辿る。
「ほら、この大きな溝を見てみ。昔、ここにケーブルカーが走ってたんや。昭和4年に出来て、昭和19年まであったんや。なんで無くなったか、わかるか?」と、リーダー。
 戦時中の物資欠乏に際して鉄の供出なんてこと、今どきの子どもが知るはずもないし、学校で習うこともないだろうが、遺構を見ればそれなりの感慨もあるかも。私が一人で登るなら、まだ残るケーブルのトンネルを通る藪漕ぎというバリエーションルートになりそう。
 ただ歩いて登るだけじゃない体験学習、水尾分かれでは、地図と磁石の使い方を実地に教授、私も同じ京都西北部の25000分の1の地図(昭和48年)だが、リーダーのそれは一世代前の黒一色のバージョンだ。今どき、国土地理院の地図を携帯する登山者はかなりの少数派だが、我々、どうも旧人類に属するようだ。市販登山地図でカバーしない山域、道のないところを登るには、これしかないのだけどなあ。

歩き始めてものの5分も経たずに、「疲れたあ」とか、「足が痛い」とか、言い出す子どもも現れて、前途多難かと思ったが、叱咤激励しつつ、頻繁に短い休憩を取りながら、騙し騙しで参道を進む。「ほら、あんな小さい子も頑張っているよ」とか。お菓子を食べたら元気になるのが、いかにも子ども。
 確かに子連れの多い山である。それも就学前の子どもどころか、抱っこして、担いでという、親子連れもひと組ふた組ではない。「三つまでに愛宕さんに登ると、死ぬまで火事には会わない」と、京都では言うらしく、引率のメンバーも子どもを連れて登ったことがあるそうだ。ここは、火伏せの神様、台所の神様である。ローゲの対抗馬か。

総門前の巨木の大きさを測る。これは算数か理科か。周囲4mあまり。直径なら1.3mというところか。そして、出発から2時間半、愛宕神社境内に到着。待望のお弁当タイム。リーダー持参の優れものコンロで、ココアやスープをいただき、子どもたちは大はしゃぎ。食後、頂上(924m)の神社への階段を駆け上がり、元気のよいこと。リーダーの言うことをよく聴いて、本殿でお祓いを受けるときには、やんちゃものも神妙なこと。

帰りのバスの予定は3時9分とのこと、登りと打って変わって、お腹はふくれて荷物は軽くなったし、子どもたちは元気だ。体重が軽くて、重心が低いとなれば、運動不足の大人は付いて行くのが大変である。最近、下りで膝の調子が良くない私にはきつい。さっと1時間30分で下山。昨年の登山では女の子が下りで捻挫して、交代で担いで降りたとのことで、それもあって、今回は山の経験者2名でエキストラ参加を決めたのだが、備え万全であれば何も起こらない。そういうものである。参加された看護師さん同様、出る幕がないほうが良いのだ。

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