のに 本栖みちを走る

本栖みちを走る
2009/12/6

大学生のころ、甲府に友だちがいたので何度か訪れた。一緒に盆地の周りの山に登ったものだ。彼が住んでいたのは市内の西のほう、湯村温泉を経て昇仙峡行きのバスを途中で降りた。その終点、御岳昇仙峡にはついぞ行ったことがない。八ヶ岳、南アルプス、奥秩父と魅力的な山々に囲まれた土地、都会の延長のような観光地には全く興味がなかった。

それから30年以上が経ち、仕事で甲府に来たついでに足を伸ばす。涼を求めるどころか、紅葉の時期も過ぎ、初冬、とてもシーズンとは言えないのだが、週末ともなれば観光客が来るらしい。仙娥滝のあたりの土産物屋はそれなりに盛況、散策路の人影も少なくない。奇岩、清流、日本の山なら珍しくない風景なのだが、湯村、石和といった収容力のある温泉があり、東京からは一泊旅行にほどよい距離、人が来る条件が揃っているということだろう。

仕事が終わって私が向かった宿泊地は、甲府からは少し離れた下部温泉だ。ここは学生時代に毛無山に登ったときに訪れたことがある。もっとも温泉街はそそくさと通過しただけで、帰りに温泉に浸かってという発想すらない若いころだ。ただ、鄙びた温泉地というイメージは、そのとき山中で遭遇した熊とともに記憶にあり、どうせ泊まるなら下部に行こうということに。

昇仙峡は冬の佇まいだったが、富士川沿いに南に下った下部になると、錦秋の名残りがある。身延線の駅から温泉街までは1kmほど、富士川の支流となる下部川沿いには旅館という呼称がぴったりの宿が並んでいる。信玄の隠し湯というぐらいだから、歴史の古い温泉なのだ。そして、ここは冷たい温泉である。水風呂というほどではなくても、かなり低め、浅い湯船に寝そべってゆっくりと浸からないといけない。12月だからなおのこと。飲んでも薬効があるとのことだ。周りには名所も観光施設も何もない、歓楽地の喧噪とはほど遠いところだ。これぞ正統派の温泉か。

翌日は国道300号、通称本栖みちを辿る。夜に降った雨もあがったが、登るにつれて霧が深くなる。反対側の車線を審判車というゼッケンを付けた車が下っていく。ああ、そうか、昨日読んだ山梨日日新聞に山梨県一周駅伝とか書いていた。土日の二日間の開催で、今日は富士五湖側から富士川方面に下るんだろう。となると、そのうちにランナーたちがやってくる。しばらく進んで路肩に車を駐めて待ち構える。新聞社から小旗をもらっているわけじゃないけど、相当なスピードで駆け下りる走者に「がんばれ」と拍手、後続の車はチームのもののよう、中から監督らしい人が黙礼を返す。そりゃ、こんな山中、道ばたで応援する人など稀だ。

山を登り切って中之倉トンネルを抜けだら、一転、世界が変わった。快晴、一点の曇りなし、目の前には千円札の裏の光景がある。山のあっちとこっちで天気が違うのは、山登りでは普通のことだが、車で走り抜けるスピードは比較にならないので、その変化はより強烈な印象となる。五湖のうち西の二つ、本栖湖と精進湖は訪れたことがなかったので、これで富士五湖完走ということになった。

ここはあの上九一色村、精進湖トンネル、右左口トンネルの二つを抜けたら、甲府盆地へ一瀉の下り。今度は南アルプスの展望が待っている。富士山は登ったことがないので、眺めるだけの山、南アルプスのような思い入れはない。夜叉神峠や櫛形山の向こうに雪をかぶった白根三山、右手に目を遣れば鳳凰三山から甲斐駒ヶ岳、ずいぶん前になるがどの峰にも足跡を残しているだけに、若い日の思い出が蘇り時を忘れそうになる。

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