「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」 ~ それじゃ私は何人
2010/5/14

アポイントまでの待ち時間、書店で目についたのがこの新刊。仕事が終わってから立ち読みで読了。買う必要はなくなった。

「落合こそ混迷日本を救う新時代リーダーだ!」というのが、新書の帯のキャッチコピーである。また大層なという気もするが、情けない宰相の姿を見ていると、あながちオーバーでもない気がする。
 しかしこのタイトル、ドラゴンズファン、落合監督が好きな私は普通の日本人じゃないことになる!どうもカミサンはそう思っているフシもある。

抜群の実力があり、結果で示す。ペラペラと余計なことは言わない。一見異端とも思える言動には、洞察力と合理的な思惟の裏付けがあり揺るがない。その正しさは時間が経って明らかになる。しかし、落合博満の凄さが判るのは少数だ。
 故意に近いデッドボールに対して後の打席で東尾投手直撃のライナーで報復したというロッテ時代の映像を見て唖然としたことがあるが、こんな野球マンガのようなことができたのも落合だ。

この本、「選手としても監督としても実績は抜群なのに、落合博満への評価は低すぎるのではないか。落合流の超合理主義こそ、今日本人が参考にすべきリーダー像ではないか。無類の野球好きのテリー伊藤が鋭く突っ込む」のだそうだ。でも、ファンとしては既知のことがほとんど。とはいえ前夜の結果がわかっていてもスポーツ欄を隅々まで読むのが野球好き。

一昨年の日本シリーズ第5戦、完全試合目前だった山井大介投手から岩瀬仁紀投手への交替が物議を醸したことは記憶に新しいが、あんな采配は落合にしかできない。もちろん、落合を語る上で欠かせないこの事件についても書いてあるが、私の見方はテリー伊藤氏とはちょっと違う。あれは超合理主義の発露とも言えるが、イコール非情というイメージではなく、チームを支えた守護神への温情との交錯ではなかったか、あのとき、私はテレビの前で思わず唸ってしまったものだ。

スカパー!で年間何試合も観ているので落合采配についてはいくらでも語れるが、この本に触発されて、二つの謎についての私なりの解釈を披露したい。

その1、なぜ荒木・井端のコンバートなのか。6年連続のゴールデングラブ賞の二遊間を入れ替える必要がどこにあるとファンだけではなく評論家諸氏もそう思う人が多いはずだ。それを落合は敢行した。今シーズン、5月半ばでショート荒木は既に6失策だ。今シーズンだけを考えるなら愚策でしかないが、2歳年長の井端を守備の負担の軽いセカンドに回して、両人ともあと4年残る長期契約の終わりまで高いパフォーマンスを維持させるという、考えようによっては冷徹な経営判断だろうと思う。今シーズンはファンにとっても辛抱の年だ。

その2、なぜあの韓国人を使い続けたのか。彼が打席に立つたび殺意すら感じた韓国のイチローとかいう選手、こればっかりは筋金入りのファンであっても(ファンだけに)フラストレーションの溜まりっぱなしの昨シーズンだった。彼の地での放映権にからむ球団の意向説などがまことしやかに言われたりもしたが、真偽は不明。推測するに、落合にとって彼は当て馬だったのだと思う。活躍すればよし、不甲斐なければ押しのけて代わりに出てこいと、若手選手を鼓舞したのではないだろうか。レギュラーポジションを奪ったはずの藤井淳志が、ルーキー大島洋平の後塵を拝して今は二軍暮らしだ。この一軍すれすれからレギュラー直前という選手に対して落合は厳しい。毎年、助っ人外人にポジションから押し出されながら這い上がってきた森野将彦は今は4割超えの首位打者、打撃の天才、落合は打つことに関してはそのレベルを期待しているんだろう。その一方で、打撃はダメだがゾクゾクするような守りと走りで、私も大好きな藤井(蔵本)英智を評価し重用するところが、落合らしいところなのだ。

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