「杉野はいずこ」 ~ もしくは、川口浩探検隊
2011/1/19

一昨年の秋に松山に出張したとき、市内のあちこちにNHKで三年かがりで放映するスペシャルドラマ「坂の上の雲」のポスターが目に付いた。松山には坂の上の雲ミュージアムというのもあるぐらいだから、熱の入りようが違う。司馬遼太郎の小説の登場人物、ご当地出身の秋山兄弟や正岡子規に関する資料などを展示しているのだろう。詳細はわからない。というのも、松山城への道すがら前を通ったものの中には入らなかったから。

このテレビドラマも二年目となり、私は毎回見ているわけではないが、昨年の暮れに放映された第9回「広瀬、死す」を食事をしながら横目でちらちらと眺めた。

「ああ、杉野はいずこの話なのね」と、カミサンに言ってもピンとこない様子。
「えっ、杉野はいずこという歌、知らないの?」
そうか、たった7つしか離れていないのに、これが世代ギャップというやつか。
「確か、本当の題名は廣瀬中佐とかのはずだけど、れっきとした文部省唱歌だぞ」

 そんなこと言っても、知らんものは知らん。昔の職場で、先輩にも後輩にも「杉野」氏がいたので、何かというと「杉野はいずこ!」と声が飛んでいたのを思い出す。あの頃はまだそのギャグが通じたのだ。文部省唱歌の「廣瀬中佐」は、こんな歌詞である。

轟く砲音(つつおと) 飛び来る弾丸
 荒波洗(あろ)う デッキの上に
 闇を貫く 中佐の叫び
 杉野は何処(いずこ) 杉野は居(い)ずや

そりゃ、いくら文部省唱歌と言っても、軍国日本の戦意高揚を図る内容だから、戦後世代の記憶にないはずである。そういう私もサンフランシスコ講和条約の年の生まれだが、親の世代からこういう歌を知る機会があったのだろう。

これは、「坂の上の雲」にも取り上げられている日露戦争の際の旅順港閉塞作戦でのエピソードだ。黄海の制海権を得るため、夜闇に紛れてロシアの軍港の湾口に廃船を沈める作戦の途上、敵弾によって戦死した廣瀬少佐(戦死により昇進)と、爆破作業の中で行方不明になった杉野兵曹長が主人公である。廃船内で所在不明となった杉野の捜索を三度行ったことが、廣瀬戦死の一因とも言われている。いずれにせよ、日露戦争への批判もあった国内世論への対策として、この二人を軍神として神格化する動きが高まり、件の唱歌にまでなったわけである。

考えて見れば、閉塞作戦自体は失敗に終わったわけだし、一人は作戦遂行中に所在不明となり、上官とて敵と相まみえて討ち死にしたわけでもないから、赫赫たる戦績とはほど遠い。それが軍神に祭り上げられる過程は国家意思の為すところという見方もできるだろう。

その杉野兵曹長が実は大陸で生きのびていた、満州であの甘粕機関とも関係を持っていたとなれば、穏やかな話ではない。義経が衣川で死なず、北へ逃れ大陸に渡り、成吉思汗となったという話ほどのスケールはないが、その杉野生存説を追うという本を図書館で借りた。

読んでいて思ったのは、これはあれと同じ。そう、歌にまでなった「川口浩探検隊」そのもの。ああだこうだと持って回って最後に謎が解き明かされることは絶対にない。あまりの馬鹿馬鹿しさと、そのパターン化された大真面目さが、ひとつのエンターテインメントとなっていたかつての人気番組だ。もっとも、この本はその域まで行っていないから詰まらない。信頼するに足りない伝聞、中途半端な調査、B級ルポルタージュとしての娯楽性にも欠ける。

先人が鉛筆でいろいろと書き込みをしている。この人はよほど腹に据えかねたのか、記述が不正確すぎるとか何とか、あちこちに訂正のコメントまで入れている。ふーん、そうなのかと、こっちのほうが面白いぐらいだ。公共財を毀損する行為は責められることだが、図書の場合、ただの落書きと一線を画した書き込みをどう見るかは微妙だ。それでこの人も鉛筆書きなのか。私の場合は摩擦熱で消せるボールペンを使用しているのだけど…。おっと。

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