久米の岩橋を探す
2011/4/30

ゴールデンウィークが始まった。真夏の電力事情が逼迫するなら、今年は夏休みに振り替えて、いい時候のときに仕事をするという選択もあったかと思うのだが、せめて1か月前に決断すべきことだろう。すでに遅し、ということで休みに突入。花粉の時期は終わったはずなのに、まだ鼻づまりは解消せず。でも、いつまでも待っておれない。山登り再開だ。連休後半の遠出に備えて足慣らし。近場の山に向かう。

目的地は大和葛城山と二上山の間、大阪と奈良の府県境の岩橋山(658m)だ。ここには行ったことはない。有名な山に挟まれて肩身の狭い思いをしているような山だ。登っても見るべきものはなさそうに思えるが、人も少なく静かなことは間違いない。それと、地図には「∵」を逆さまにした記号に添えて「久米の岩橋」なる記載がある。これは名所のマーク、とすると変わったものが見られるかも知れない。

自宅から車で南下、二上山の麓をかすめ穴虫峠から太子町に入る。おっと、ここで寄り道、道の駅近つ飛鳥の里太子、お弁当とお茶のつもりが朝掘り筍がずらっと並んだのを見ると思わず購入、400円也。そして河南町平石の集落のはずれに車を置いて平石峠への道を辿る。頼みもしないのにどこかの飼い犬が先導してくれる。先に立っては振り返り、横道にそれたかと思うとまた前方に現れる。ちょうどよい遊び相手が来たとでも思っているのか。

いちおう奈良県道・大阪府道704号竹内河南線いう名前があり標識まで立っている。幅員狭小・路肩注意という看板は冗談としか思えない。車の通行はもとより困難、ではライダーかハイカーのためのものか、さて意味不明。まあ、こういう国道はいくつも知っているから驚きはしないのだが…

小さな祠のある平石峠からは府県境の登山道になる。大阪府の南半分、奈良県・和歌山県に接する尾根道は整備されてダイアモンドトレールという名が付けられているが、このあたりでは人影はまばらだ。ハイキングするなら山頂に大津皇子の墓がある二上山か、ツツジの季節の大和葛城山ということになるから当然だろう。

ヒノキの植林の中を進むのだから花粉症が終わっていない人間としてはおっかなびっくりのところ。でも最盛期は過ぎたようでクシャミが出るわけではない。ただ、鼻水は垂れる。1時間ほど登るとぽっかりと山頂広場に出る。予想どおり、たいした展望はない。それでも数人の登山者がいるのは春の連休ならではというところ。暑いときに登るような山じゃない。

ここから尾根伝いに岩橋峠を経て道は大和葛城山・金剛山へと続くのだが、すぐに脇道を西に入る。名石コースという見落としそうな小さな道標がある。さっき山頂で休んでいた人たちは尾根筋をまっすぐ先に進んでいるようだ。ここからは全くの無人の世界、踏む人は少ないようで山道もずいぶんと心細いものになる。少し下ったところに確かに岩はあった。そばに不動明王の石像があるから、これを久米の岩橋というのだろうか。橋というイメージはない。上部に梯子状の加工の跡が見て取れるので、何らかの意図をもって刻んだものだろう。飛鳥にはこういう人工の加わった謎の石が多いから、これもその一つだろう。

役の行者が葛城山から吉野の金峰山まで架け渡そうとしたという伝説上の橋が、久米の岩橋ということ。その工事を請け負ったのが葛城の神、つまり一言主神なのだが、サボって夜間しか働かなかったので完成に至らなかったということのよう。転じて、男女の契りが成就しないことのたとえとか。そういう目で見ると、片方の橋台や橋脚であるかのようだ。橋桁部分は完全に欠落、伝説どおりなら一方の橋台や橋脚は大峰山にあるはずだが、それは知らない。そもそも久米の岩橋の橋桁が伸びるはずの方向は、大峰山の方角ではないように思える。まあ、こんなことを理詰めで詮索するのも詮無いこと。

久米の岩橋の周囲には近くには、鍋釜岩・鉾立岩・胎内くぐり岩など、名前のついた大岩がある。そちらはちらっと眺めただけで微かな踏跡を辿って下山。春が遅かったせいか、あちこちに山桜が残っている。日だまりにはヘビが甲羅干ししていて、こちらが近づくと迷惑そうにゴソゴソと姿を隠す。こんな感じは、まさに春の里山の風情である。眺望に恵まれない山だが、かろうじて送電線の鉄塔の刈り払いの所から大阪平野の眺めが得られる。PL教団の異様な形の塔が屹立している。

帰路、ふたたび道の駅に寄り道、帰りにはなくなると思った朝掘り筍は補充されたのか、まだ残っていた。慌て買うこともなかったかなと思ったが、旬のものは見つけたときに確保するのが鉄則だ。道の駅の裏手を少し行くと太子町立竹内街道歴史資料館がある。帰りに寄ってみようと思っていた場所だ。道の駅の表は国道166号竹内街道、裏が古道竹内街道ということだ。日本最古の国道というキャッチフレーズで、遣隋使が通った道、ここがシルクロードの東端。入館料200円、まだ新しそうな設備だが、わざわざ訪れる人も少ないようだ。立体地図、道しるべ、発掘品と、展示はなかなか面白い。

旧街道沿いの民家は古そうなものが並んでいる。よくよく見れば、ほとんどの家が三浦さんだ。これじゃ村じゅうが三浦かも。このことひとつで集落の古さに思い至る。聖徳太子、推古天皇、小野妹子の墓もこのあたりに点在している。近つ飛鳥、まるで近畿日本ツーリスト飛鳥出張所かと勘違いしそうな呼称だが、難波宮から近くの飛鳥、もちろん遠くの飛鳥は奈良の明日香村だ。恥ずかしながら、これは近つ淡海(琵琶湖)、遠つ淡海(浜名湖)と同じと知ったのはそんなに前のことじゃない。

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