台風一過、お伊勢参りハイキング
2011/9/4

鈍足台風がやっと通過した日曜日、近鉄電車の吊り広告で見たお伊勢参りハイキングに出かけることにした。カミサンを誘ったら、ちょうどバーゲンでウォーキングシューズを買ったばかりとのことで賛同、晴天は期待できそうもないが伊賀神戸駅9:30~10:00の集合に間に合うよう出発だ。

今度の台風は抜けたあとも雨が続く。かえってそちらのほうが酷いぐらいだ。紀伊半島南部ではずいぶんと雨の被害も出ている。と、頭の片隅に無くもなかったが、伊賀神戸駅に降り立ったら、ホームに地元のボランティアガイドの人。
「今日のお伊勢参りハイキングは中止になりました」
「そうですか、でも、自分で歩いたらいいんでしょう」
「延期になりますので地図もお渡しできないんですけど」
「まあ、これ見て歩いてみますわ」

手許には近鉄の駅で手に入れたパンフレット、25000分の1地図ほどには詳細地形が判らないがデフォルメされた地図ではないし、距離・方角は正確、これで充分だ。

お伊勢参りハイキング、これは大阪の玉造神社からスタートし、今も残っている旧街道を飛び飛びに一年がかり10回に分けて歩くというもので、式年遷宮に合わせた企画なんだろう。今回はシリーズの第6回になる。

伊賀神戸には一部の特急も停まるが、ずいぶんと田舎だ。鈍色の空から落ちる雨は強くはないものの止む気配もない。リュックに入れたつもりの折りたたみ傘が見あたらないので、駅前の万屋でビニール傘を買う。同じ電車で到着したハイカーたちは諦めて引き返したのか、あるいは、この駅で分岐する伊賀鉄道に乗り換えて伊賀上野の町歩きにでも切り替えたのかも知れない。ともあれ、結局歩き出したのは我々だけだ。

もと近鉄上野線の伊賀鉄道と、近鉄大阪線の踏切を渡り、木津川沿いを進む。降り続いた雨で水嵩が増している。橋の一つは完全に冠水している。川沿いの道にも流木が打ち上がっているから、前夜あたりの水位は1m近く高かったのだろう。これじゃ中止はやむを得ない。年寄りも子どもも来るだろうし、近鉄が主催するハイキングで事故でもあれは叩かれること必至だろう。自己責任とは言っても、駅や車内で盛んに宣伝していたのだから責任を追及されることにもなる。

簡単な地図でも木津川が北へ鋭角に方向を変えるあたりが危険地帯であることが判る。すぐ上流で二つの川が合流し、両側に山が迫って川幅も狭くなる。だめならいつでも引き返し、国道にエスケープルートをとればいいだけと歩き続けて、危険地帯を無事通過。山間部ではなく平地だから、あとは問題となる箇所はない。私の生地の榛原を流れる宇陀川も同じような地形だ。子どもの頃に川が氾濫して、そのとき二階から眺めた水浸しの町の記憶は今も残っている。雨の恵みと裏腹に水害は昔も今も変わらずに起きる。それが日本の宿命。

随所に石造りの常夜灯が残る初瀬街道、ハイキングマップに示されたスポットを順に辿っていく。安楽寺、息速別命の墳墓、大村神社、旅籠たわらや跡の記念館、本居宣長の菅笠日記文学碑、ゴールは近鉄青山町駅だ。もともとここは阿保(あお)宿、昔は駅名も阿保だったと思う。いつの頃か、歴史のある地名がありふれた新興住宅地のような名称に変わってしまった。誤読されたときの語感が悪すぎるということだろうと推測する。

大村神社は地震除けの神様とか。本殿の脇に岩の穴に潜む鯰が祭られている。要石というらしい。左右には狛犬ならぬ御影石の鯰、張りぼての大小の鯰グッズも社務所に置かれている。「天気の悪いなか、ようお参りくださって」と、とても愛想のいい宮司さんである。鯰だけではなく、虫喰鐘とか宝殿とか、いろいろと見所のある神社のよう。震災の後だからか、喧伝され始めた東南海地震への備えということなのか、不便な場所なのに参拝客はそれなりにあるようだ。外国の取材クルーの姿まで見かけた。

ここまで来て、我々の他にも強行ハイキング組がいたことが判った。ひとつ早い電車で着いたのだろう。一人で歩いていたおじさんと、雨を凌いで休憩所でお弁当を食べていた夫婦、さすがに装備と身のこなしから山登りも場数を踏んでいそうだ。我々も含め、結局5人か。まあ、そういう人たちでなければ、自己責任で豪雨の後のハイキングを貫徹するなんてことにはならないだろう。事故でもあれば世間の笑いものだもの。

江戸時代のおかげまいりの大ブーム、全国から押し寄せたのだから、たわらやに残る講看板の多さからも、伊勢に向かう主要ルートであった初瀬街道阿保宿の殷賑ぶりが偲ばれる。せっかく電車で来たのに、たわらやの向かいの立派な造り酒屋は日曜日で休み。「全国新酒鑑評会金賞受賞」の垂れ幕と、「年はみな人にとらせて若戎」の行灯が恨めしいこと。

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