大佛鐵道遺構めぐり ~ じじばばハイキング
2012/6/10

梅雨入りしたはずだけど本格的な雨はまだ先だろう。予定のない日曜日、最近はどこの鉄道でも企画している沿線ハイキング、JR西日本の大仏鉄道ハイキングに目がとまった。今日である。一度歩いてみようと思っていたので渡りに船、ガイドも付くなら自分で遺構を探し回る手間も省ける。

JRに乗らず集合場所の加茂駅までデミオを走らせる。駅から10分も離れていない加茂文化センターの無料駐車場に車を置く。駅頭には人の姿が少なかったのに、階上の改札口付近には人だかりができている。大阪方面からの列車が着くたびに受付の列が伸びる。いったいどれだけ集まるのか。
 ご多分にもれず平均年齢は優に60歳を超えているだろう。元気で暇な年寄りが多いこと、私もそのはしくれだけど。ガイド役を務めるオレンジ色のシャツを着たウォーキングの団体の人たちも同様だ。当たり前だがウォーキング目的の人がほとんどで、いわゆるテッちゃんは1割ぐらいという感じ。主催者によれば約250人ほどの参加だという。用意した地図が足りなくなったようで、慌ててコピーを追加するという一幕も。

奈良市立図書館で大仏鉄道に関する本を前に借りたことがある。JR関西線が全通する前、加茂駅から奈良駅まで走っていたのが大仏鉄道、現在の関西線が走る木津川沿いのルートではなく、山城・大和の丘陵を抜けていたようだ。しばしば車を走らせる県道44号がそれではないかと私は思っていた。鉄道が辛うじて上れる勾配、もともとはレールがあったのではと思わせる道路のカーブの仕方、車だとあっさり通り抜けてしまうので鉄道遺構探索どころではない。やはり歩くにしくはない。せいぜい自転車のスピードかな。

予想と違っていたのは、加茂駅から現在の関西線と並行して走る区間がかなりあるということ、路線はいきなり奈良を目指すものだとばかり思っていた。したがって、歩き始めは関西線沿いに遺構が連なる。加茂駅の脇の煉瓦造りのランプ小屋、大仏鉄道が発着した4番線、駅近くにあるSLの展示、これらは大仏鉄道のものではないが、テッちゃんとしてはそそられるものがある。

折しも田植えの真っ最中、小学生の遠足ならかわいいものだが、オレンジの旗を先頭に長蛇の列で進む年寄り軍団は傍目には異様に映るだろう。そこは年寄りのこと、委細構わずひたすら進む。私はのんびりと最後尾をたらたら歩いていく。

もちろん、線路など残っているはずもない。わずかの期間の運行で廃線となってから1世紀以上が経過しているのだ。残っているのは主に橋台とトンネルだ。保存するつもりはなくて、取り壊す手間をかけなかったというだけのことだろう。現役の関西線の橋台と並んでいる箇所もある。

大仏鉄道から少し離れて関西線の旧ルート、レールで作った橋を渡る。あたりでは河川の改修工事や宅地造成が始まっている。畑や田圃と交々、街と山との端境という感じだ。開発が進めば辛うじて残るトンネル跡もどうなることかわからない。このあたりのトンネルは道路や水路のもの、上部を鉄道が通っていたことになるが、今は細い道路だ。その道路は線形から鉄道跡だと容易に推測がつく。

梅谷というあたりまでが遺構がはっきりと確認できるエリアだ。この先、梅美台という新興住宅地になり、奈良県に入れば遺構を探すことは困難になる。ちょうど、お弁当タイム、きっづ光科学館ふぉとんという施設でお昼休憩。京阪奈学研都市の一環なのだろう、点在する研究機関のひとつ関西光科学研究所の付属施設ということだろう。

住んでいる近くに原子力関連施設があるとは知らなかった。光科学館ふぉとんの主体は日本原子力開発機構ということ。入口に「入館無料」のサインが掲げられている。もともとは入館料300円を取っていたようだが、時節柄なのか、有料だと来館者が期待できないからなのか、フリーという措置になったのだろう。じじばばハイキングの一行でときならぬ大盛況となる。「安全で環境に優しいエネルギー」的な展示もあり、今となってみればそれが空疎に映るのは如何ともしがたい。裏手の立派な研究施設、大ホールまで併設されているが、休日なので人の気配は全くない。

午後になって気温も上がった。奈良駅までの後半のコースはあまり楽しいものではない。ブリューゲル描くところのバベルの塔を連想するような建物、ゴミ処理施設だと思っていたら、この地域の給水施設だった。丘陵の上だから、こういうものが必要になるのだろう。大仏鉄道にとっても山越えの難所だったらしい。今どきの電車なら難なく越えるだろう峠を大仏鉄道はループを描いていたのだ。周りの地形を眺めても俄には信じがたいが、100年以上前の軽便鉄道、機関車のパワーが足りず人力での後押しまでしたとのことだ。バベルの塔に続いて現れるのは最近の遺構、廃園となったドリームランド跡だ。何度か来たことがあるが草むしたアプローチ道路が侘びしい。かつては親子連れで賑わっていただけに遊園地跡は寂寥感がひとしおである。

大仏鉄道が開通したときは佐保川の手前まで、その後に奈良駅まで延伸したということだ。大佛鐵道記念公園は当時の終点あたりにある。佐保川を渡る橋梁の礎石の跡があるというので眺めてみたが、そのことを聞いていなければ間違いなく見過ごしてしまうだろう。

ハイキングのゴールはJR奈良駅となっているが、記念公園で遺構巡りは終了。後半は見るべき遺構もなく、街中を歩いただけの印象でちょっと物足りない。と、そんな感想で終わるところが、テッちゃんはしぶとい。車で来たのをもっけの幸い、加茂駅まで戻って割愛されたスポットを訪ねることにした。

本日二度目の大仏鉄道遺構巡り、歩いたコースにほぼ沿って車を走らせる。なにせ大人数のハイキングだから、隊列の混乱を避けるため順路でコースを設定しているので、どうしても漏れてしまう箇所ができる。捲土重来、カーナビに目星を付けて遺構探す。よくしたもので、随所には道標なども設けられている。梶ヶ谷隧道もそのひとつ。ゴルフ場入口の脇で車を降り、畦道を下る。トンネルの中に入ってみると丁寧な煉瓦積みが星霜を経て健在である。思ったよりも長い。これだけ堅固だと壊すのも大変だしその必要もないということか。

次に向かったのは山城・大和の国境を越えるループ区間だ。もらった地図に点線の記述はあるが、遺構に辿り着くアクセスが不明だ。またもカーナビに目星をつけて車を進める。しかし、ナビが示すのは対向不能の川沿いの農道というか、ほとんど畦道に近いもの。辛うじて脇にスペースがあるところで車を捨て、近くで農作業中のおじさんに尋ねる。
「すみません、ちょっとお尋ねしますが、大仏鉄道はこのあたりを通っていたんですかねえ」
「さあねえ、そんなこと聞く人が時々いてるけど、ようわからんなあ。この先しばらく行くと24号線のところには洞窟みたいなのがあるけど、それかなあ」

なんだかちょっとヘンだ。このおじさんにしても、大仏鉄道が走っていたのを見たわけじゃないから知らないのも道理、普通の人に100年以上前のことを聞くほうがおかしい。そもそも国道24号だったら大仏鉄道のルートから外れているはずだし辻褄が合わない。しかし、地図だとこのあたりを鉄道が走っていたことになるので何かあるはず。とりあえず行ってみるかと先に進む。車でも行けそうだが進退窮まっても困る。30分ほど歩いて国境食堂の裏手あたり、ここに奇妙なトンネルがあった。水路になっているが天井がとても高い。幅は狭く、ナローゲージの蒸気機関車が通過したと考えればサイズ的には符合する。これは遺構かも知れないぞ。

まあ物好きなこと、田圃が尽きたあたりで草むらをゴソゴソ、蛇が出てきそうな場所だ。振り返れば歩いてきた川沿いの畦道は鉄道軌道跡と考えてもおかしくない。曲がり具合や勾配からすると軽便鉄道が走っても不思議じゃない。ともあれ、この風変わりなトンネルを観て満足感が得られたし、これで今日の遺構巡りは終わりとしよう。最後のオマケも結構歩いたので、びっくり、歩数計は27000を超えていた。

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