葛野三山、雨あがりヒルウォーク
2012/7/7

5月から京都で仕事をするようになって、縁のなかった古都のことも知ろうと図書館で京都本を借りてきた。これで手許には、大阪、奈良、京都と三都の図書館カードが揃った。ありきたりの本ではつまらないので「京都人は日本一薄情か」という新書を読んでみる。タイトルが刺激的な割には隠れたスポットを紹介する観光案内とも言える内容で、「大和三山があるように、京都の街中にも三山がある」といったくだりに目が行った。葛野(かどの)三山というらしい。前に、耳成山、天香具山、畝傍山をレンタサイクルで回ったことがある。大和三山に登ったら、これは京都の三山にも登らなければならぬ。今度は市バス一日乗車券500円だ。

金曜日にはずいぶん雨が降った。週末は大峰山系に出かけようと思っていたけど、とてもそんな天気じゃない。回復に向かっているとは思うが傘は必携、散歩気分で行ける京都に変更したというのが実のところ。まずは京都駅から銀閣寺方面に向かう。

銀閣寺道から観光客とは反対方向、今出川通を西に進む。石畳の路地を抜け吉田山の登り口、少し明るくなってきて木漏れ日がさす。山登りと言ったってせいぜい高度差50m、あっと言う間に頂上の四阿に至る。大文字山の方向が切り開かれており、送り火のときにはここから眺める人が多いことだろう。蚊に喰われて大変だとは思うけど。

下りは吉田神社のほうに。頂上じゃなくて神社への道の途中に三等三角点がある。三角点は高度ではなくて位置の標識なので不思議でもないが、ちょっと下ったところのほうが測量時には西の市街地の見通しが良かったということなんだろう。

吉田山と言えば三校寮歌、すなわち麓は京都大学。私の出身大学には名の知れた池はあっても山はない。この大学だったら運動部のトレーニングに吉田山10往復ぐらいのメニューがあるかも知れないなあ。山登りのクラブには最適の環境とも言える。正門の前を通ると、昔と変わらない立て看、時節柄「大飯原発再稼働阻止」などの文字が躍っている。と思えばキャンパスで気楽に縄跳びをしているグループの姿も見え、学内の講堂が閉鎖されたまま学生時代を過ごしたあの頃とはずいぶん雰囲気が違う。

次は船岡山だ。北大路通を西に向かうバスに乗れば直通のところ、今出川通のバスだったので、千本今出川で乗り換える。千本北大路を右折してすぐ、その名も船岡山というバス停がある。建勲神社の参道が船岡山公園の入口を兼ねている。神社の方向とは逆に山頂を目指す。東の比叡山がここから見ると鋭鋒の姿だ。展望台となっている四阿では若い人たちがしゃがみ込んでペットボトルの中から虫を取りだしている。

「何してるんですか。虫の数を数えているんですか」と尋ねると、リーダーらしき年長の人が害虫の駆除ですよ」と答える。そういえば木の幹にペットボトルを連ねたものがぶら下がっていたのはこれだったのか。

頂上に着くと今度は西側の市街地の眺めが開ける。ここも三等三角点だ。その横には奇妙な煙突のようなものが。ここは近所の人の散歩コースになっているようで、お年寄りの姿を多く見かける。頂上で街並みを見下ろしていると、もう90歳近いとおぼしきおじいさんに声をかけられた。この方のしゃべりは入歯がフガフガしていてちょっと聞きづらかったが、こういうことだ。
「ここから、京都の街がよう見えますやろ。あそこの塔はなあ、戦時中の見張台でしたんや、敵機が来たら空襲警報出すんですわ」
「へえー、そうやったんですか。トイレか何かと思いましたわ。ありがとうございます」

太平洋戦争の戦禍を免れた京都でもこんな施設があったのか。京都人の嫌らしさを示す有名な言いぐさに「この前の戦争で家が焼けましてなあ」というのがある。そのオチは応仁の乱ということなのだが、これはどうも出来すぎで、余所者が京都人を揶揄するために言ったジョークだろう。そもそも、室町時代に遡るのは行きすぎで、鳥羽伏見の戦いならまだ判るし、あのあたりは京都の外れと言うなら、蛤御門の変だろう。京都は何度も焼けている。応仁の乱の後でも伏見の地震で大きな被害が出ているし。

古老との会話のあと建勲神社に回る。織田信長を祭っているらしい。最近、コミュニケーションスキルの研修を受けたことがあり、信長、秀吉、光秀、家康と四分類した性格診断で自分が該当したのが信長、これは賽銭をあげなくては。自分ではそんな風に思わなかったので意外、でも合理主義者で人の言うことを聞かないあたりは似ていなくもないか。

三山の最後は双ヶ岡だ。千本北大路のバス停に戻り59番のバスを待つ。色々な系統のバスが発着するので待つ人が多い。バス停に面した車のディーラーの縁石に腰掛けていたら、到着した別系統のバスから白髪の見知った人が。

「稔典先生」と声をかける間もなく、バスを降りた人は交差点を渡り北の方向へ。そうか、仏教大学はすぐそこなんだ。でも、土曜日も講義があるのかな。まさか先方もこんなところで知った人間に出くわすとは思ってもいないこと、気づかずに通り過ぎるのは当たり前か。先生なら一句捻り出すところだが、こちらはそんな才能がないので苦笑いだけ。

金閣寺、龍安寺と、京都観光ではメジャーな寺が並ぶきぬかけの路をバスは進む。外人のグループも何組か、バスは混み合っている。龍安寺でほとんどの観光客は降り、私はその先、御室仁和寺で下車する。春に御室桜を観にきたというか嵐電に乗りにきたところだ。御室駅の南側に双ヶ岡がある。

名のとおり二つのピーク(正確には三つ)があるので北西側から南へ縦走だ。思ったより山らしいのでびっくり。船岡山のように公園になっているわけでもなく、自然のままという感じ、木の根に覆われ苔むした山道は、麓の車の音さえ聞こえなければ街中とは思えぬほどだ。一の丘からは仁和寺の境内が俯瞰できる。二の丘は見通しが効かないが森閑とした風情がいい。小雨が降り出したが傘を広げるほどでもない。三つの丘を辿って降り立ったところからはJR花園駅が近い。お昼を少し過ぎた頃だ。ここからバスで京都駅までという選択もあるけど、時間がかかりすぎるので最後は鉄道になった。

今回のウォーキングに持参したのは京都市バスの路線図と25000分の1の地形図、地形図は昭和50年頃の古いものだ。京都の街区は大きな変化はないにしても、格子の大通りにはまだ市電の軌道が描かれている。これを残しておけばよかったのにと思うが、人口規模やビジターの数からすると限界があったのだろう。
 今は車中心の街になってしまって歩く人には優しくない。大通りの横断箇所の少なさは大阪に比べると大差がある。勢い安上がりな観光はバスということになるのだが、これも京都、市バス以外の路線も入り交じり同じ場所なのに停留所名が違うなんてことはザラだ。地元の人間さえ判っておれば余所者のことなど知らんということ。まあ、そういったバリアを張り巡らさないと古都の環境は守れないということが根っこにありそう。それが京都人の知恵でもあるんだろう。ここは一筋縄ではいかないところ。
 大阪都という話が実現しそうだけど、「都」という名称は使えないとか、きっと京都なら「うちとこは"都"なんて付けまへん。"市"ゆうのんやめますわ。"京都下京区"とか"京都右京区"とか、すっきりしますやろ」なんて言い出すことだろう。その京都のしたたかさには敬服するところもある。

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