高安山はどこだ
2012/10/21・27

前日に続き、仕事のカミサンを車で送った後、ちょっとウォーキング。生駒山麓の広域農道を走る。この道は西和広域農道というのだが、山腹には花作り農家が多いからか、いつの間にか信貴フラワーロードなんて名前が付いたようだ。交通量の極めて少ない高規格道路、管轄が国土交通省ではなく農林水産省、縦割り行政の見本のようなものだ。奈良県には国道より立派な農道が随所にある。渋滞回避の抜け道としても、山登りのアプローチとしても利用価値は高い。
 農林漁業用揮発油税財源身替農道整備事業というのがあり、税金を免除する代わりに農道を作ったのがいわゆる農免道路と呼ばれるもの。いろいろなパターンがあるので、西和広域農道がどれに該当するのか知らないが、山中にこんな道を造るぐらいなら、市街地の道路を改良するほうが経済合理性があるのは自明、しかしそうはいかないのが行政の宿痾だろう。わずか数年で事業廃止となった農道空港というのも過去にはあった。事業仕分けの種は尽きない。

この道をありがたく利用させてもらう度に行政への疑問が湧くというのも、農水官僚に気の毒な気もする。まあこれは非農業従事者の視点であり、地元農家にしてみたら毎日の農作業や生産物の輸送に役立っているのは間違いないところだけど。

それで、問題の道から高安山に一番近いところまで車で登れるのはどこだろうと地図で検討した結果、久安寺集落から信貴生駒ドライブウエイに向かって伸びる道だろうと目星をつけて分岐する。
 わっ、これを登るのかと少し進んで断念、傾斜がとてつもなく急で、かつ狭い。進退窮まってはいかん。しかし引き返すのも悔しいので、同じ分岐から別方向に伸びる比較的緩い傾斜の道を行けるところまで行ってみることにした。花畑のなかを縫い集落にさしかかると、今度は民家の前に車が停車中だ。立ち話していたおじさんが上に行くのか、どっちの方向かと身振りで尋ねる。上に行くのは事実だけど、どっちの方向かは知らん、まあ地図によれば左だからと、道を譲ってもらって進む。
 こんな調子でどこまで車で行けるのやらと心配しながら進んで、とうとうドライブウエイを跨ぐ橋の上まで来てしまった。道はまだ先に続いているが、駐めるスペースもあるし、ここらで充分だろう。5分も登れば稜線だ。こんなところに農家でもなさそうな人家、しかも邸宅といっていいぐらいの規模の住宅があるのが異様だ。生駒山腹には結構そういう家がある。車なら街まで近いし世捨て人ということでもないのだろう。眺めがよくて夏は涼しいにしても、不便なことは間違いないし虫や獣もいっぱいだし。

ドライブウエイと並行して稜線には登山道が続いている。と、なんだか人がいっぱい歩いているではないか。中には走っている人も。何だこりゃ。「チャレンジ登山大会」なる標識がある。大阪府山岳連盟の主催、枚方の私市から高安山まで30kmほどの道のりを行くイベントらしい。走るもの、歩くもの、どうやらランの部、ウォークの部があるようだ。そんな中に混じり、普通の格好でのんびりと尾根道を行く。高安山のてっぺん近く、一元の宮なる宗教施設が忽然と現れる。隣接の建物には宇宙念波研究所という表示がある。日本は八百万の神の国、偏狭な一神教がヘゲモニーを握るよりはずっとマシか。

気象庁の高安山レーダーの前がランの部のゴールになっている。一般ハイカーは悠然とゲートをくぐる。脇目も振らず走り通した人はご苦労さんというところ。観なかったが先日NHKで日本アルプスを走り抜けるイベントを取り上げていた。そこまで気違いじみてはいないにしても、同類には違いなかろう。ランニングをやり出すと中毒になる人が多いようで、そのフィールドが山に及んだということか。軽装備どころか無装備、危険がいっぱいだ。

ウォークの部のゴールは下り坂を10分ほど先に行ったケーブルの高安山駅前だ。こちらも人がいっぱい。紅葉には早いのに時ならぬ賑わい、展望台の周りには到着して休息を取る人、スタッフらしき人、私のような無関係の一般人とさまざま。

さて、復路では高安山の山頂と城跡に寄ってと、登り直す。一元の宮の先に高安城倉庫跡とかの標識が出ていたから、あの上あたりが山頂だろうと広い登山道から脇にそれる。灌木のなか笹を踏み分け最高所とおぼしきあたりを徘徊する。蜘蛛の巣が絡まって気持ちのいいものではない。ところが三角点はおろか山名表示も見あたらない。高安城跡もこのあたり一帯とは思うのだがそれらしき痕跡はない。蜘蛛の巣で往生して、もうこれぐらいと諦めて車に戻る。どうなっているんだろう、高安山はどこなんだ。

なんだか忘れ物をした感じなので、次の週末、再び高安山探訪へ。勝手がわかったので久安寺集落を抜けて稜線まで車で上がる。身支度を調えていたら上のほうから来る大柄な人。背丈より長い槍のようなものを手にしている。まるで「ニーベルンクの指輪」のヴォータンのよう。よく見ると槍の穂先は細長いスコップ状になっている。道脇の木のあたりでゴソゴソしているので、「何か取れるんですかねえ」と尋ねてみる。「自然薯ですよ、ほら、このハート型の葉っぱ、根本を1mほど掘るんですわ」と。筍掘りをして腰が痛くなったことのある私としては、「いやあ、そりゃ大変ですね。ごくろうさんです」としか言いようがない。

高安山を探すだけじゃ詰まらないので、先に信貴山に回ることにした。一元の宮の先、車道の行き止まりを左に向かいドライブウェイを横切ると信貴山方面だ。よく見ると高安城倉庫跡というのもこっちの方向だ。てっぺんにあると思った私の勘違いだった。少し下ると、あった、あった。六つの倉庫跡だそうで、うち二つは刈り払われていて礎石が確認できる。発見が昭和53年と言うから、私が麓の八尾市高安のあたりに住んでいた頃には草に埋もれていたはずだ。もっとも、その後これらは高安城の遺構ではないとされ、高安城はあったのかという疑問が提起されたり、石垣跡が新たに見つかったりと、未だ謎が多いようだ。

同じく古代の山城では信貴山も似たようなものだ。下って登る、歩くこと約20分で辿り着くピークが信貴山、ここが信貴山城跡、空鉢御法堂という建物がある。もうここは朝護孫子寺の境内である。毎年のように初詣に来ていたのに、ここまで登ったことはなかった。本堂のあるあたりからは相当な道のりだ。山登りで裏から参拝というのは、大神神社(三輪山)、談山神社(御破裂山)のときと同じだ。もっとも、こちらは入山料など取らないから、節約したわけではない。

本堂のところまで下りてきたら、脇に看板が出ている。「国宝信貴山縁起絵巻 原本特別展示公開 第二巻 延喜加持の巻」という表記、期間はこの日から二週間ほど。これは観なければ。400円を受付で払うとき、「第二巻ということですけど、全部で何巻あるんですか」と尋ねる。「三巻ですわ。三年続けて来てもろたら全部観て見てもらえます」

昔は山の西側、今は東側に住んでいるから、三年続けて来るぐらいのことは簡単なこと。「近くに住んでますから、来年も来まっさ」と応じて館内に。この日から奈良国立博物館では恒例の正倉院展が始まるが、あの混雑とは天地雲泥の差、たった一人でじっくりと国宝絵巻を観る。初日の午前中だとこんなものなのか。と、やっぱり、来た、来た、おばちゃんグループ、館内が急に賑やかになったので退散だ。

予定外の国宝拝観でもとの道を引き返す気がなくなった。高安山までバスで戻ることにする。そして宿題の高安山てっぺん探しだ。前回の失敗に懲りてよくよく地形図を眺めてみると480mの等高線で囲まれるピークが三つある。一週間前に登って何もなかったのは「山」の字の北側のピーク、他に「高」の字の左肩と、「安」の字の北に三角点のピークがある。

先ずは「高」の字のピーク、ここは高安山レーダーの裏手だ。東京方面から伊丹の空港に向かう進入路の真下にあたり、上空をひっきりなしに着陸態勢に入ったジェット機が飛ぶ。もちろん空からも山上のレーダーははっきり視認できる。最新の地形図からはレーダーの所在を示す記号が消えているのが解せない。まさか戦時中のような国防の観点からではないと思うが。

レーダーの横の空地は一週間前には登山大会のゴールのテントがあったところだ。そのときはテントの裏手、頂上に続く踏み跡は隠れていたのだ。さて山頂へ、と言っても標高差は10mもない。どこかのグループが取り付けた山名表示があった、標高485.9mとある。面白いのはもともと487.4mとなっていたものを誰かが塗りつぶして訂正している。確かに、ここは地図上にその標高が記載された三角点ではない。ここだと思って間違って取り付けたのだろう。

そしてもう一つのピークが三角点の所在地、ここも登山道から脇にそれる踏み跡を辿る。ちゃんと周りを石で保護された三角点が鎮座していた。こちらには山名表示が複数。三つのどのピークをとっても高さはほぼ同じ、まあ総称して高安山というところだろう。

かくして二週間がかりで高安山ハイキングが完結、信貴山縁起絵巻のご開帳にも遭遇したので、出直しの御利益もあったというもの。

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