三重の博物館、別行動
2012/12/2

「近鉄の優待乗車券、残ってる?」とカミサンに訊かれた。
 「12月までの分がまだあるけど…」
 三重県立美術館でやっている展覧会に行きたいそうだ。平櫛田中、彫刻家だそうな。それはあまり興味はないけど、津に行くなら、近くに行きたいところがある。

「電車じゃなく、車で行って、津と伊勢中川で別行動というのはどう?」ということで話がまとまった。私の目当ては松浦武四郎記念館、「松浦武四郎と江戸の百名山」(中村博男著)という新書を読んで、一度行ってみなければと思っていたところだ。近鉄の伊勢中川駅から歩くと40分はかかるだろう。これは車で行くしかない。

国道163号で伊賀上野まで、そこから名阪国道で関へ、伊勢自動車道には入らず県道10号で津を目指す。観光シーズンも終わったのか、我が家から2時間半で到着した。カミサンを降ろしてさらに国道23号を南下すること20分、雲出川を渡った松阪市小野江町に松浦武四郎記念館はある。

幕末、六次にわたり北海道を踏査し、北海道の名付け親として知られる人で、地図の空白域だった内陸部を克明に調査し多くの著作をものしたのが最大の業績だが、この人は仕事を離れても驚くほどたくさんの山に登っている。北海道に限らずその足跡は日本全土に及び、言うなれば幕末の深田久弥といったところか。歩くしかなかった時代だけに、その気力体力は驚くべきことだ。

地域のコミュニティセンターが併設された記念館の入口に立つと、右手の植え込みが北海道の形に刈り込まれている。中に入ると正面の床には北海道の地図だ。受付の女性が、「JAFの会員ですと、少しだけ割引がありますけど」と尋ねる。「たぶん、車にあると思うけど」と取りに戻ると、300円のところ200円なので33%引き、これは少しだけではない。まあ親切なことだ。

松浦武四郎は登山家、探検家、篆刻師、地理学者、言語学者、役人、作家、出版者…といくつもの顔を持つ幕末の巨人と言ってもいい人物のようだ。展示室で彼の多彩な活動を紹介するビデオを見ていたら、山本さんという学芸員の方が入口の地図を説明しますと現れた。北海道から来館した数名のグループのためのようだが、私も便乗して拝聴する。この床の地図は武四郎の手になる東西蝦夷山川地理取調図26葉をつないだレプリカで、しゃがみ込んで眺めるとびっしりとアイヌの地名が書き込まれている。沿岸部だけでなくケバ表示の山岳地帯に分け入る河川沿いにも地名が連なっている。記載されている地名の数は10000にも及ぶとのことだ。

北海道にはあちこちに松浦武四郎の記念碑があるようで、彼の地での知名度は非常に高いらしい。抑圧されたアイヌの窮状を訴えるヒューマニストととしての側面も持っていた人のようだ。三重の地元での認知度はどうなのか判らないが、隣県の奈良では知る人など少ないから、推して知るべしかも。同じく三重県でも、本居宣長や松尾芭蕉といったビッグネームとは大きな違いだ。学芸員の山本さんや、小野江町の人たちが、武四郎のことをもっと知らしめたいと力が入るのも無理はない。

記念館には山登り関係の展示はほとんどない。それだけでも相当のボリュームになることだろう。二ヶ月に一度入れ替えるらしいから、そんな企画も成り立ちそうだ。

ひととおり館内を観て、三重県のご当地情報誌「NAGI(凪)」のバックナンバー、武四郎特集号を購入する。680円、なかなかの充実度だ。そして、事務所の奥から雑誌を持ってきていただいた山本さんに「武四郎の生家は近くなんですか」と尋ねると、案内図をいただく。小さな村のこと、徒歩で10分もかからない場所だ。あたりは半世紀以上タイムスリップしたような家並みである。いったいいつの時代のものなんだろう。余所では見たこともないような琺瑯の看板が随所に残っている。武四郎生家の中は見ることが出来ないので外観だけ。昔の伊勢街道に面しているので、おかげまいりの往時はさぞ賑わったことだろう。そこで聞いた諸国の様子が少年を旅に誘ったと考えるに何の不思議もない。

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