️日張山・青蓮寺 ~ こっちも雲雀山
2013/1/13

一週間前に紀州の雲雀山に登ったとき、中将姫が配流された場所という説明が随所にあったが、Web上で別の場所とする記述に行き当たった。それが私の故郷の奈良県宇陀市というのだから、こっちも行かなくては。成人の日は雪も予想されるだけに連休中日に車を走らせる。家から一時間半で、もとの菟田野町、日張山青蓮寺の登り口に着く。訪れる人の影は全くない。

もうお昼は近いのに手水鉢の水はカチカチに凍っている。このあたりは寒い、標高500mぐらい。寺まで登る坂道には「なかなかに 山のおくこそ すみよけれ くさ木は人の さかを言わねは」という歌碑が建っている。これは中将姫の歌ということだろうか。ずいぶんストレートな表現で、技巧もへったくれもないような感じがするのだけど。

青蓮寺、どうも「せいれんじ」と読むらしいが、「しょうれんじ」ならお隣の三重県名張市にあり、こちらは青蓮寺川のダム湖や観光施設もあって名前が知られている。しかし、この菟田野町の青蓮寺は、今は同じ宇陀市となった榛原町出身の私も知らなかったぐらいだ。

境内は森閑としている。庫裡の障子の向こうからは人声らしきものも聞こえてくるが姿はない。阿弥陀堂、開山堂、鐘楼が並ぶ境内は何とも清逸、山道の後にぽっかりと辿り着くだけにその印象が強くなる。境内には中将姫お手植の紅梅もある。ご丁寧に開山堂の前のベンチは「ツムラ中将湯」のロゴ入りだ。もちろん由来の看板も設けられていて、ここが中将姫ゆかりの地であることを謳う。 津村順天堂の創業者は宇陀郡の出身という縁もあるのだろう。薬草栽培の盛んなところだ。

中将姫配流伝説は先週の和歌山県有田市、今週の奈良県宇陀市の他にも、和歌山県橋本市にもあるようだ。橋本は有田と宇陀のちょうど真ん中あたり、この3地点が中央構造線に沿っているというのも興味ぶかいものがある。

さて、青蓮寺から裏手の日張山に登山という段となって、登り口が判らない。境内のどこからもそれらしい道は付いていない。庫裏の脇の狭い通路が怪しいが、住居の中を通るような感じで気が引ける。玄関に立って中の人を呼んで訪ねるという手もあるが、そこまでするほどのことはなかろう。山勘で何とかなるだろうと、登って来た山道とは別の、車も辛うじて通れる道を少し下る。沢筋でこの道がカーブするところに、きっと登るルートがあるに違いない。

案の定、山仕事の道らしきものが沢沿いに登っている。最後は藪漕ぎになるにしても、寺からでもせいぜい高度差は100m、何と言うことはない。これは間伐をするための仕事道のような感じ、沢筋を詰めていくと、やはり最後は木につかまっての急斜面の登りだ。この季節なので下草は大したことがないから楽なものだ。踏み跡がなくなったのはせいぜい登りにして20mぐらいか、稜線に出ると踏み跡が復活し、すぐに山頂に到着。三等三角点がある。

地図に名前も載っていない山なのに、登る人もいるらしい。三角点の周りの木には手作りの山名標が多数ぶら下がっている。山の美化のために一つ二つを残し撤収しゴミ箱行きにしたいところだが、今回は小さなリュックなのでそれは止めた。新しいものは前々日の設置のようだ。ここが山頂の三角点だということは明白なのだから、何の役にも立たない自己満足としか思えない。なかには団体名だけではもの足りず、リーダー何々某、他何名という自己顕示タイプもあるので呆れる。私ならこういう輩とは絶対に一緒に登りたくない。

三角点はあっても木に囲まれていて眺望は得られない。少し東に行くと台高山脈の一角が少し見える。あちらはさすがに雪が着いている。この600m足らずの山、日張山と雲雀山の二とおりの表記があるのも面白い。どちらが本当か、両方の言い方があるのか、そもそも中将姫伝説についての見解なども寺の人に聞いてみたい気もするが、顔を合わせることもなかったので仕方ない。山を下りたときに姿を見たら尋ねてみよう。

私の古い25000分の1地形図「高見山」は単色刷、いちおう青蓮寺からの道は記載されているので、下りにひょっとするとこの尾根づたいの道が見つかるかも知れない。あまり期待せずに歩き出したが、すぐに無理だと判る。道は東から南へと続く尾根の道が比較的踏まれている。脇はマツタケ山のようで、あちこちに秋期入山禁止との札が掛かっている。有田の雲雀山はみかんで、こっちはマツタケか。拾って食べる分ぐらい大らかなみかんとマツタケでは商品価値が違うということだろう。単に私有地であるというだけで、栽培しているわけでもないのにとも思うが、この季節のこと咎められることもない。

尾根から沢筋に降りる箇所はこちらも木の幹を頼りの急降下、しかし登りのルートよりは多少踏まれているようで歩きやすい。沢筋にはしっかりとして踏み跡があり、徐々に沢身から離れて捲き道になってきたので、このまま青蓮寺に着くなと思ったら庫裏の裏手にぽっかりと出る。やはり、そうだったのか。まあ、回遊コースもまたよし。

登りはじめと同じく、境内の人影もないし寺の人の姿も見えない。中将湯のベンチに座り、本日のルートを再確認する。いまどきGPSを使えば正しく把握できるのだろうが、こちらは昔ながらの山勘と地図読み、でもこんなふうに等高線の曲がり具合が激しくて、小さな谷と尾根が錯綜する場所が一番難しい。

往路は名阪国道針インターから南下して榛原を経由したが、帰りは大宇陀から桜井を経由して中和幹線を走る。その前に道の駅宇陀路大宇陀で地産野菜の買い出しだ。何しろ最近の野菜の高値、ホウレンソウ、水菜、大根、カブラ、人参、日野菜…と緑色を中心に山のように購入、近隣のスーパーの半値ぐらいだろう。帰ったらカミサンに「でかした」と褒められるか、「また仕事を作ってくれて…」と言われるか、どちらだろう。その前に、あきのの湯で一風呂浴びてっと。

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