大野山 ~ 里山散歩?読図トレーニング?
2013/1/20

近くの里山で地図読みしながら2時間程度のウォーキング、適当な場所はないかとトイレの中で25000分の1の地形図「奈良」を見て検討、ここにしようと決めたのが加茂町の大野山。標高わずかに203m、木津川沿いにピョコッと立ち上がる里山だ。

大仏鐵道遺構巡りのときに山麓を車で走ったことがある。田圃が広がる向こうに丘というか山が連なっている。国土地理院の電子地図には尾根づたいの道が記されているが、手元の地形図にはない。半ば藪漕ぎになるだろうと厚手の手袋をリュックに入れる。もちろんコンパスは必携だ。南の観音寺峠から北上し、山頂から東の大野集落に下ることにする。この下りには道がないかも知れない。

大仏鐵道跡の道路を走り観音寺集落あたりで適当な駐車スペースを探す。村の道だからどこも狭い。さて、峠への取り付きはどこか。地形図を睨んで歩き出す。正確なものだ。集落のディテールは描かれていないにしても、村落の骨組となる道は微妙な屈曲も含めて図化されている。ここと見当をつけて人家の脇を緩く登って行くと、やはりこれが峠に向かう道、わずかの歩きで峠に至る。観音寺峠と地形図にはあっても、それを示す標識など何もない。

峠から尾根づたいの道はありそうだ。歩を進めると西側少し下に池が見えてくる。そっちに向かって踏み跡もついているので降りてみる。溜池のようだ。尾根に近いところにこういう溜池があるのは、このあたりの里山では珍しくない。NPO組織が里山保全の活動をしているらしく、そんな立て札があったりする。

池の周りを回って再び尾根に取り付くのは藪漕ぎとなる。まあ、大したことはない。登山道を示しているわけではないと思うが、尾根上はやたらにテープが巻かれている。落葉が積もっているから登りとなると木につかまらないと滑ってしまうぐらいだ。ピークを二つほど越えると三角点のある大野山に到着。三角点の脇には壊れた航空標識が転がっており測量の名残がある。今は替わりにケーブルテレビのアンテナが立っている。

木の間越しに西の木津川流域が少し見えたけど、尾根筋の見通しは良くない。山頂にしても測量のときに高い標識を立てたぐらいだから眺望はない。里山というのはこういうもの。南から辿った稜線はそれなりの道だったけど、頂上から先の尾根に続いているふうはない。これは予定どおり東の小さな尾根とも言えない斜面を駆け下りるしかない。

頂上の藪を漕いで下りにかかると、どうもケーブルが里に繋がっているようす。ケーブルを敷いているルートが私が採ろうとした下山路のようだ。明瞭ではないにせよ、いちおうの踏跡はある。麓の大野集落に近づくにつれて斜度が増し踏跡は不明瞭になってくる。人家が見えてきたが急降下の斜面だ。木に捉まりながら慎重に進むとそこは山崩れ防止の工事現場。コンクリートの法面の上端だ。予定のコースを正確に辿ったが、ここまでは計算していなかった。ちょっと回り込んで人家の裏手に降り立つと墜落注意の看板、そんなことは言われなくても判る。

ほぼ予定どおりのコースを踏破したことに満足感がある。人から見れば物好きとしか見えないだろうけど、ルートファインディングの訓練は里山が一番。大野集落から山麓の狭い車道を観音寺集落に戻る。

木津川左岸、国道163号は右岸を走っているので、普段はあまり走らない道だ。途中に「残念石」という標識があり、何のことかと車を駐める。木津川の河原に少し下ったところに10あまりの巨石が転がっている。加工の跡が見えるからこれは人工物だ。ここから木津川を船で運ぶ算段が潰えて放置されたもののよう。調べて見ると、西日本のあちこちに残念石があるらしい。徳川初期に大阪城の改修のために切り出されたものの、結局は使われなかったとのことだ。ということは、400年あまりのほったらかしか。アメリカ合衆国なら建国前だ。古いものなら山ほどある京都・奈良だと、遺物とは言え歯牙にもかからないのが可笑しい。

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