トンネルの真上の山ふたつ ~ 音羽山・逢坂山
2013/2/3

この一年、京都で勤めているので周りの山が気になって、ぼちぼちと登っている。今回は滋賀県との境、音羽山に登ってみる。高くはない山だが京と近江を振り分けに眺めはよさそうだ。

JRで山科まで行き、京阪京津線に乗り換える。浜大津方面に2駅、追分駅からスタート。歩き出すとすぐに名神高速道路高架が見える。京阪電車と国道1号もこの狭い谷を抜けるから交通の要衝ということなんだろう。もう少し先は逢坂関。高速道路の下をくぐったら鋭角に右ターン、いったんは山科のほうに戻る。市街地を抜け、やがて山科音羽川に沿って登っていく。牛尾観音の赤い幟と並んで「わらびの里」の案内看板、あの料亭はこんなところにあったのか。そんな上等な店には行ったことはないけど、名前だけは聞いたことがある。こんな京のはずれの山際だったんだ。

やがて道は川沿いに変わり、傾斜もきつくなってくる。桜や紅葉の季節は賑わいそうな谷だ。きっと地元の人だろう、何人か早足で降りてくる人にすれ違う。途中の休憩所で一服していたら、彼らはベンチの毛布をめくって下からバインダを取りだし何やら書き込んでいる。覗いてみると、ウォーキング参加のチェックリストだ。敬称略"順不動"というのが可笑しいが、20人以上の名前が並んでいる。牛尾観音までの往復を日課にしているんだろう。

名前が付いた滝がいくつかある。人里からすぐに山に入り、上流には観音さんしかないので思いのほか清流だ。車道を離れ700段ぐらいの階段を登って牛尾観音に着く。ここから先は山道になるだろう。

観音までの道のりはあったけど、山道を辿れば稜線までは大したことはない。さっさと歩いて行くと程なく音羽山のてっぺん、林を抜けたところが三角点のある頂上、子ども連れや年寄りでけっこう賑わっている。三角点の横に送電線の大きな鉄塔が立っているのは今ひとつであるが、そのおかげで切り開かれて眺めが良いということでもある。

北に向かうと右手に大津と琵琶湖、正面は逢坂山、その向こうは比叡山、さらに先に雪を被った比良山系、左手が山科から京都、愛宕山あたりの山並みが続いている。風が弱いのが助かる。ここで季節風に晒されたらたまらんだろう。

お湯を沸かしてカップ麺を食べて長いお昼休憩のあと、逢坂山のほうに向かう。北に向かってどんどん下る。大津の街が近くなってくる。前日、行くつもりだったびわ湖ホールも見えてきた。電話したら5分前に当日券が売り切れたというのでガックリしたことを思い出す。オペラのインドアから一転、今日はアウトドアで上から見下ろす。

逢坂関では国道1号を歩道橋で越す。切り通しの上を東海自然歩道が跨ぐという格好だ。ちょっと蝉丸神社に寄ってみる。何だか蒲焼きの匂いが漂っているようだと思ったら、国道の裏手に料理屋があった。こんな山の中で「日本一のうなぎ」というキャッチフレーズとは大胆不敵、「かねよ」という店だ。昨今の稚魚減少の折、高い値をつけていそうな店が更にという気がする。味のほうはどんなものか。

一度下ってしまうと次の登りがしんどい。蝉丸神社からすぐに京阪の大谷駅だから、ここで切り上げるということも出来る。しかし、先に進む。大谷団地の分岐まで北上し、そこから西に転じる。逢坂山まで小一時間、山頂からは大津側の眺めだけになるが、こちらも捨てがたい。

山頂を辞して大谷団地への分岐まで引き返す。地図には道は記されていないがしっかりした山道が大津方面に向かって下っている。これを辿れば次の目的地に近い場所に出るはずだ。正解、国道1号から161号が分かれるあたり、そこに旧逢坂山隧道東口の遺構がある。日本人の手による初めての鉄道トンネル、生野銀山から坑夫を呼んで掘ったという。明治13年の開通。頭上には三條実美の「楽成頼功」という揮毫がある。

今回の山登り、最後は鉄道トンネルで締めるというコースだが、実は音羽山は頂上の真下に東海道新幹線の音羽山トンネルが通っている。さらに逢坂山の頂上の真下は現在の東海道本線の逢坂山トンネルが通っている。まったく、てっちゃんの考えそうな山登り、人からみたらアホみたいだがひとり悦にいる。

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