京都府の端まで ~ KTR完乗
2013/3/24

京都での仕事が一年間の契約満了となるので二月からハローワークで仕事探し、5つ応募して1勝4敗というのは勝率が悪いと見るのか、仕事が見つかって良かったと見るのか。会社で定年を迎えた仲間に聞いてもハローワークで職探しをしたという人はあまりいない。どうしてなんだろう。職安というイメージがよろしくないのかなあ。果報は寝て待てという訳にはいかないのに。そして採用となったのはまたも京都。大阪と東京、あとはニューヨークでの勤務しかなかった定年前とは様変わり。大阪から近くても京都は別文化だから。

今度の仕事は京都府下全域がエリアとなるので、公用車で出かけることも多いらしい。それならと思い立ったのは青春18きっぷの余り活用、京都府ひと巡りコースだ。まるで仕事と趣味が連続しているような感じだけど。

日本海側まで出かけると青春18きっぷ利用には十分な距離だ。舞鶴軍港見学と城崎温泉を組み込んで一日コースのできあがり。それだけではない。北近畿タンゴ鉄道の1日フリーきっぷを買って完全乗車を目論む。大阪発7:23の丹波路快速福知山行に乗れば2時間ほどで福知山に到着。

高架になった福知山駅の端っこに北近畿タンゴ鉄道の1両だけの車両が停まっている。海に近いせいなのか外観には錆が浮いているが、内部は2-1のボックスシートで意外にきれいなのにびっくり。1日フリーきっぷを持ったテッちゃん数名が乗っている。

私の持っている古い20万分の1地形図「宮津」の図葉には、北丹鉄道として福知山から北へ、河守までの路線が描かれている。これが北近畿タンゴ鉄道宮福線となったのかと思ったら実はそうではなかった。河守と宮津を結ぶと宮津までの短絡線となるので国鉄側で建設が進められる一方で北丹鉄道は廃止、そうなると短絡線のつもりが北からの盲腸線となってしまうので、北丹鉄道の走っていた区間に線路を敷き直したらしい。つまり、北近畿タンゴ鉄道は北丹鉄道を継承したのではない。そんな複雑な経緯をもつ第3セクターである。福知山から宮津までは1時間足らず、大阪や京都方面へJRに乗り入れる特急も通るから時間待ちもある。

宮津駅での乗り換え、同乗していたテッちゃんたちは天橋立方面の列車に向かう。私は反対方向、西舞鶴行の列車を待つ。トイレを済ませて、赤い青春18きっぷに途中下車印を押してもらい、地図の裏に駅スタンプを押す。時間待ちの間にすることは多いのだ。

宮津線は海岸沿いに走るので春の色になった日本海が車窓に広がる。丹後由良駅を出てすぐ、由良川の鉄橋を渡る。ほとんど河口なので500m以上の長さがあり、トラスのないシンプルな構造がたまらなくいい。まさに列車が川を渡っているという感じ。そして西舞鶴駅、留置された特急車両が並んでいる。

駅前のバス乗り場から市内循環線のバスで自衛隊前まで乗車、西と東に分かれた舞鶴市街、軍港は中舞鶴だがエリアとしては東側だ。国道の脇にずらりと灰色の艦艇が並んでいる。こんなに丸見えでいいのかとも思うが、開かれた自衛隊なのか。週末だけ一般の見学が可能で、入口の受付テントで記帳すると見学証を渡される。あとは自由に歩き回るという寸法だ。この日は残念ながら艦内公開は行われていなかった。家族連れやカップルが多く、軍事オタクのような見学者はあまり見かけない。自分はどんなふうに見えるんだろう。テッちゃんが嵩じた乗り物好きのおっさんか。

艦上には旭日旗、砲門が並ぶ様はやはり軍艦だ。迎撃用なのか搭載されたミサイル発射装置は手が届きそうだ。棚上げから一転、摩擦が大きくなっている領土問題を思うと、ここは日本海の守りの最重要拠点であることは間違いない。その割には緊張感は漂ってこないし、暖かな休日、のんびりした雰囲気だ。

海上からの横須賀軍港巡りツアーに参加したことがあるが、あちらは米軍との同居、空母こそ出航中だったものの原子力潜水艦の姿も見えたから、スケールの点ではだいぶ差がある。

警備のためか、ところどころに自衛隊員が立っているが威圧感はない。遊園地のガードマンとそんなに変わらない。近づいて質問。
「ほかのと違って、あの船には番号も何も書かれていないですけど、どうしてなんですかね」
「あれは現役を退いたものなので、もう使わないので消してあるのですよ」
「ということは、スクラップになるんですか」
「違います。演習の際に標的にすることになります」

なんと、まさに海の藻屑と消えるのか。もったいない話だ。国家予算に占める割合は日本の場合は高くないとは言え、軍事費が巨額になるというのも解る。ひととおり並んだ艦艇を眺めて戻りのバスに乗る。

出口に立つ迷彩服の伍長に、「ありがとうございました」と声を掛けると、「Aye, aye, sir!」 の返事でびっくり。ああ、やっぱり海軍なんだ。時間がなくて割愛したが、近くにある自衛隊施設には海軍記念館も併設されている。

西舞鶴から再び北近畿タンゴ鉄道で豊岡に向かう。宮津・西舞鶴間は往復乗車になる。1日フリーきっぷがお値打ちだ。出札口には木津温泉駅より先まで乗車の場合は1日フリーきっぷのほうが安くなりますとの親切な案内がある。

宮津を過ぎ、天橋立を車窓右側に眺めて峰山に向かうと海岸線からは離れる。予定では豊岡で山陰線に乗り換え城崎温泉に行き、駅に併設された外湯に浸かって帰路に着くという段取りなのだが、出札口の貼り紙にあった木津温泉が気になる。城崎温泉は家族旅行で泊まったことがあるし、京都最北の鄙びた温泉に鞍替えというのも悪くない。

さっそく時刻表でダイヤを再構築し、スマホで木津温泉を検索、駅からすぐに温泉宿があり日帰り入浴も可能とのこと。興味ぶかいのは、その「ゑびすや」という宿は二か月にわたり松本清張が逗留し「Dの複合」を執筆したということ。昔に読んだことがある小説だし、どんなところなのか見てみたいという気になって途中下車。列車行き違えができる二つのホームがあるのに片側のレールは撤去されていて廃線寸前のような情緒、しかし使われている駅舎側のホームには足湯が設けられていて、この駅が温泉の玄関口であることが知れる。このあたりは丹後ちりめんの生産地なので、そんなPRもしている。

駅から徒歩5分といったところだろうか、ほんとに温泉宿があるのかなと田舎道を辿るとなかなか立派な旅館の前に出た。ここが清張ゆかりの宿なのか。16:00の大浴場再開までの時間をロビーで過ごす。宿の従業員はとても愛想がよい。京都らしからぬ感じ。もっともここは京ではなく丹後だけど。しかし峰山にしてもあの野村監督のぼやきイメージと結びつくから意外ではある。清張の宿というようなことは書かれていても、色紙ひとつあるわけではない。そういうところ、やはり京都かな。

「Dの複合」というのは昭和40年頃に発表された推理小説、東経135°北緯35°の経緯線に沿った地点とそこに伝わる浦島伝説・羽衣伝説に絡んだ古い殺人事件とその復讐譚である。作家得意の考古学・民俗学の蘊蓄が随所に出てくるが、後年の作品のような脇道の過重さがもたらす晦渋さはない。油の乗りきった時期の勢いが感じられる筆致だけど、ストーリーの組立や地理的関連づけにはやや強引さを感じるところもある。ともあれ、物語の発端が木津温泉であり、ここで発見された白骨死体から展開していく筋立てになっている。しかし、パソコンもインターネットもない時代、二か月温泉宿にこもって執筆するにしても参考文献などを大量に持ち込んだのだろうかとヘンなところが気になる。

温泉でゆっくりしたあと、列車の時間までの間、海岸まで出てみることにする。宿の人によれば15分ぐらいとのことだが、普通の歩き方だと無理だろう。せっせと歩いても20分はかかる。せっかくお風呂に入ったのに少し汗ばむぐらいのペースで往復、日本海に沈む夕日の絶景ということだが、どんよりと曇った空、黄砂の影響もあるのだろう。散歩する人の影も疎ら、サーファーが何人か海に入っているだけ。

豊岡に出て、山陰線の普通列車を乗り継ぎ京都には22:00過ぎに着いた。山城から丹後まで、南北に長い京都府を1日で駆け巡ったことになる。

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