知らなかった八尾
2013/5/12

いまさら目出度くも何ともない誕生日、暑くなりそうでカミサンには振られ一人でウォーキングに出かける。今回は、近鉄・阪神・南海TRYあんぐるウオーク第1回というイベントで「八尾市の古代歴史を語る史跡を訪ねて」と銘打ったもの。八尾市内に長く住んだが知らない場所も多いし、興味津々で参加。スタートの近鉄八尾駅はずいぶんな賑わいだ。

昔の近鉄八尾駅は今より西にあって、当時は高架ではなく地べたの駅だった。もちろん西武デパートなど影も形もなかった。隣の河内山本駅から大阪市内に通学していた頃のこと、現在の駅から300mほど離れたところ、古い商店街の入口がその場所だったと思う。ウォーキングのコースはこの商店街を行く。アーケードに入ってすぐ、右手の路地の先が常光寺、狭い参道から突然開けた境内となる。なるほど、ここが河内音頭発祥の地、夏ともなればここで盛大な盆踊りとなるのだろう。

コースマップに従い次に向かったのは板倉家住宅、これは萱葺屋根の古い民家、国の登録有形文化財だそうな。それよりも、ここが與兵衛桃林堂なのか。お菓子はあまり食べないが和菓子の戴き物をよく眼にしたことがある。こんな古い建物がそのお店だったとは。

桃林堂から狭い旧市街の道を辿り、市役所の敷地内を抜けたところにも古い建物、案内によれば環山楼、娼楼かと思えば正反対、私塾だったという。享保12年、儒学者伊藤東涯が請われて八尾を訪れ、ここで講義をしたのが始まりという。市役所の脇にこんなところがあるなんて知らなかった。

ここからしばらくは溝川沿いの道となる。まさにガキの頃にザリガニ釣りをしたようなところだが、遊歩道として整備されていてそれらしい愛称まで付けられている。「成法せせらぎの小径」というのがそれで、八尾第220号水路というのが本来の呼称のよう。暗渠にするよりも良いかも知れないが、これからの季節、蚊の発生で悩まされそう。八尾市制施行60周年記念事業の由。

JR関西線を越えると安中新田会所跡・旧植田家住宅、今は博物館になっている。大和川付替関連の常設展示があり覗いてみたい気がしたが、何しろ1600人もの参加、混雑しているのと入場料が要ることもあってパス。私の通っていた小学校はここから東北の方角で、その近くに2mぐらいの段差があり坂の上にはお地蔵さんが祭られていた。そこが昔の大和川の跡だと聞いたことがある。江戸時代には大和川は河内平野を北に向かい淀川と合流していた。今でこそ住宅が建ち並んでいるが、小学校の周り坂の下は田圃が多く、河川付替によって誕生した新田のひとつだったのだろう。

国道25号に出会うところが太子堂のバス停、父親が入院していた八尾市立病院があったところだ。病院は新築移転したので今は広い更地になっている。今回のコースのスポットの一つ、大聖勝軍寺はその病院とは国道を挟んだ場所にある。別名、下の太子、聖徳太子の建立になるという著名な寺だが足を踏み入れたことはなかった。病院の見舞いや、近くの友だちの家には何度も遊びに来たのに、地元の人間なんてそんなものだろう。

ここから南に向かうと八尾空港エリア、子どもの頃の行動範囲外となる。空港といっても定期旅客航路があるわけでもない。報道、測量、防災などの拠点として使われている。隣接して大阪府中部広域防災拠点の建物がある。ロケーションとしては首都圏なら調布飛行場、いやもっとローカルな桶川飛行場あたりの感じだろうか。

それで、今回のウォーキングの目玉は陸上自衛隊八尾駐屯地の見学。八尾空港にはヘリコプター部隊が配置されている。受付で手荷物検査を済ませた先には軍用ヘリが駐機している。UH-1Hベル205という機種のようで、見学では機内に乗り込むこともOK、操縦席には順番待ちの列ができている。乗員数は13ということだが、兵士を想定しているから左右に配されたベンチの乗心地は悪そうだ。

格納庫のほうに向かい、警備に立つ上官とおぼしき自衛官に質問。
「むかし八尾に住んでいたんですけど、子どもの頃に、あの東の山裾に飛行機を格納するような大きさのシェルターがいくつもあったんですが、あれは本当に飛行機を隠すためのものだったんですか」
「そうです。ここははじめは大正飛行場と言いまして、戦時中は今よりも広かったんです。」

そうなのか、やはり空襲に備えたものだったのか、葡萄畑が多い山裾に奇妙な開口ドームが並んでいたのはやはりそれか。便利な世の中、「大正飛行場」・「シェルター」で検索してみると、八尾には今でも一つ残っていることが判明、名称は掩体壕と言うらしい。まさに悪ガキどもの秘密基地だ。探検してみたくなる。

駐屯地宿舎に隣接する広報展示室の見学も長蛇の列だ。信じられないほどの厚みのコンクリート造り、間違いなくこれは要塞である。やはり、説明文によれば旧陸軍航空隊の戦闘指揮所だった由、京阪神の防空拠点だった往時を偲ばせる。

駐屯地内の厚生棟も立入可、迷彩服仕様のペコちゃんラッピングのお菓子が並んでいるかと思えば、売店の隣には養老の瀧八尾駐屯地店、居酒屋の支店まであるぞ。そりゃそうだ、非番のときには一杯やりたくもなるだろう。

八尾空港からゴールの近鉄恩智駅に向かう。途中にあるのは弓削神社、弓削という地名は、土地の豪族であった弓削氏に由来するもので、弓削道鏡はその一族の出である。もっともこの神社が道鏡を祭っている訳ではない。皇位簒奪を図ったとして悪役イメージの強い人物だが真偽のほどは定かでないようだ。政治的陰謀に巻き込まれたという見方もあるらしい。以前、仕事で自治医科大の関係者と打合せしたとき、「大学のある下野薬師寺というのは、道鏡が左遷された先では」と尋ねたら、「ええ、そうなんですよ」とひとしきり盛り上がったことがあった。かと思えば、現在の職場の近くに護王神社という道鏡からしてみれば政敵、和気清麻呂を祀ったところがあったりして、色々なところで繋がっていて面白い。

小学校時代から八尾市内に住んでいたのに、長じてから生活の大半は大阪や東京だったから、育った地域との関わりは薄い。それでも歩いて回ると、あちこちに色々と昔の記憶を蘇らせるようなものがある。その後の人生で知ったこととの絡みも随所にあって、たぶん余所から休日のウォーキングイベントに参加した人とは違う想いを持ちながらの12kmの道のりだったはず。

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