大杉谷を辿る ~ 大台ヶ原再々訪
2014/9/13-14

7月に大台ヶ原に出かけたとき、ビジターセンターで大杉谷の登山ルートが開通と書かれていたのが目にとまった。災禍から癒えず長く閉鎖になっている登山道、去年だったか林道を迂回するルートが通行可能になったと聞いていたから、そのことと思ったところ、どうも谷筋が全通したらしい。10年ぶりだとか。これは行かねば。

9月の三連休は好天に恵まれそうだ。ただでさえ雨の多いところ、週間予報をチェックして決めた。JR紀勢線の三瀬谷駅近くの道の駅から出発する登山バスは3日前までの予約、桃の木山の家の宿泊も予約し週末に備える。

近鉄を乗り継いで松阪、そこからJR、乗り換えだけでも大和西大寺、大和八木、松阪、多気と4回、三重県側からの入山だからこうなる。大杉谷を遡行し奈良県側に下りるからマイカー登山という訳にもいかない。
 10:30に道の駅を出る登山バスは1時間半かけて大杉谷登山口に到達する。宮川ダムを過ぎると対向困難な道幅の箇所が続く。自分で車を走らせる山登りだとふつうのことだが、乗っているのはマイクロバス、通行できるのが不思議なぐらい、そのうえ乗客満載で吊橋まで渡ってしまうのだから恐れ入る。

宮川第3発電所のところが登山口、このあたりだと急流という感じはないが、両側の斜面は切り立っている。岩盤を穿った歩道、吊橋、鎖場と、峡谷の歩道の趣きが満ちあふれる。
 2台のマイクロバスから下りた登山者が、正味この日に大杉谷を登る人たちということになる。抜いたり抜かれたりで先を急ぐ。何となく顔を覚えてしまう。ほぼ全員が桃の木山の家泊まりだろう。大台ヶ原から下って来る人がいても、せいぜいバスの乗客の倍の数が山小屋の宿泊者数ということか。混雑は避けられそう。

登山口には大杉谷の遭難マップがあった。詳細な地図に事故発生地点がプロットされており、負傷や死亡で色分けがされている。ほぼ谷の全域にそのマークが続いている。確かに落ちるところには困らない道だ。どんな山登りにも危険箇所はあるが、大杉谷では半分ぐらいが危険箇所かも知れない。好天の登りだと何ということもないが、雨の中を下るとスリップが命取りとなる箇所に事欠かない。昔から大杉谷といえば大台ヶ原から下って松阪に抜けるコースが一般的だったが、とても危険なことである。大阪・奈良起点だと松阪側から登りアクセスが不便なこと、それに近鉄系列の奈良交通バスで大台ヶ原起点の観光PRが行き届いていたという事情もあろう。

左岸の斜面をトラバース気味に付けられた登山道は、概ね谷から10~20mぐらいの高さだろう。落ちて谷底の岩に叩きつけられたら重傷か死亡、ちょうど水があれば流されて軽傷というところか。慎重に歩を進めるに限る。鎖が張られているとストックが邪魔な場面もある。そんな道を歩いていて、あっと声を上げるのは千尋滝、登山道から見上げると右岸の尾根の上、ずいぶん高いところから落ちているように見える。

落ちると具合が悪い箇所が連続する先に猪淵がある。その奥にはニコニコ滝がのぞいている。深山幽谷そのものか、あっさり四字熟語で片付けると月並み表現そのものだが、とは言えこれが大杉谷で一二を争う眺めだろう。

巨大な平等嵓が見えてきて長い吊橋を渡る。修験道の行場などにも「平等岩」という名前が多いが、「自由平等」というイメージがこびり付いているので、何となく違和感がある。これは平らな一枚岩といった意味合いだろうか。もっとも普通の国語辞典にはそんな意味は載っていない。

平等嵓からはあとしばらくの登り、今宵の宿、桃の木山の家は近い。正午頃のスタートで4時間半ほどの行程で到着。吊橋を渡ったところに山小屋がある。谷間に広い平地があるはずもなく、斜面にへばりつくように建っている。300人も収容できる山小屋をこんな場所によく建てたものだ。案内された大部屋は私が最初の客、団体はまとめて別の部屋のよう。大部屋はこれから到着する登山者を考慮してもせいぜい半分程度だろう。混まないうちにお風呂をとのことで、汗を流してから夕食。豚カツとカレーライスというメニュー。盛り切りかと思ったらカレーはおかわりOKのもよう、胃がもたれてもなんなのでここは自重。

食後、まだ明るいし寝るには早い。小屋の外、吊橋の袂で煙草を吸っていたら、登りで抜きつ抜かれつだった二人組、ベンチに並んで雑談となる。
「どちらからですか」
「私は奈良から」
「そしたら遠回りですよね。大台ヶ原から下る人が多いでしょう」
「谷は下るより上るほうが安全だしね。昔この小屋の近くの吊り橋が落ちて人死にが出たのを知ってる」
「マジっすか」
「あなた方の生まれる前かな。昭和50年代だったはず。警告を無視していっぺんに大勢が渡って落ちたらしい。それでしばらく道が閉鎖されたし、ここ10年は水害で閉鎖でしょ。なので大杉谷には縁がなくてねえ」

そう、大台ヶ原には何度か来ているのに大杉谷は初めての私なのだ。

週間予報どおりとはいえ大台ヶ原で晴天が続くことは珍しい。午後8時からたっぷり8時間以上の睡眠、朝食一番乗りで6時前には小屋を出る。奈良まで戻るためには早立ちに限るのだ。朝のピリッとした空気の中をしばらく行くと七ツ釜滝が現れる。昨日に見た滝は支流から流れ落ちるものだったが、これは宮川本流の滝だ。この先、光滝、隠滝と本流の滝が続く。光滝の手前にあるのが10年にわたり通行を阻んでいた崩壊地だ。これは土砂崩れ跡と言うよりも、崖が丸ごと落っこちてきたという感じだ。最近の紀伊半島水害のように山腹がV字型に抉れているわけではない。巨岩の累積は比高100mを越える。速やかに通過することと注意書のあるルートは、大岩の間に岩屑を詰めて歩けるようにしたもの。この新名所の名称を募集中とか、私が命名するなら「宮川崩れ」かな。さて、どんな名前が付くのやら。

崩壊地の向こうの光滝付近は砂礫で広い河原になっている。"速やかに"通過した登山者はみんなここで一休みだ。光滝は角度のきつい滑滝という感じ。続く隠滝は吊橋の上から眺める。そして大杉谷を離れ尾根に取り付く手前が堂倉滝、東に向いた大杉谷では朝の逆光になってカメラアングルに苦労する。ちょっと登山道を離れて滝壺のほうの日陰に回り込むとなかなか良い構図となる。後から来る登山者にアドバイスすると、みんなそちらのほうに。ここが大杉谷最後のスポット、気持ちのいい場所だ。おっと、昨日、紀勢線で隣に座っていた若者二人は堂倉滝で休憩も取らず通過だ。ここが沢筋との別れなのに、彼らはさっさと登りにかかる。元気なものだ。

あとはひたすら登るだけ、2ピッチじゃ無理か。途中、登山道から少し脇にそれたところにあるのが粟谷小屋、近くに延命水という水場がある。本堂を堂倉避難小屋に向けて登る人たちは知らないのだろうか。ここで美味しい水をたっぷり補給する。自宅に持ち帰り、明日はこれでコーヒーを入れるのだ。

山頂に近づくにつれて足許に苔が増えてくる。大台ヶ原の山上も昔は苔に覆われていたが、今は見る影も無い。山上の名ばかりの苔探勝路よりも、こちらのほうがその名にふさわしい。そもそも歩く人の数が桁違い、観光客の領域と登山者の領域、これだけ明瞭に分かれているのも面白い。上高地と岳沢のようなものか。

日出ヶ岳のてっぺんは7月に来たばかり。あのときは大した展望は得られなかったが、今回は違う。富士山は無理だが、熊野灘もはっきり見えるし、北のほう、台高山脈の山の重なりが見事だ。池木屋山には一度登りたいと思っているが、日帰りではしんどい。たいていの近畿の山は車を飛ばせば日帰り圏内だが、ちょっと無理なのはこの大杉谷と池木屋山、有数の深山ということになる。

西のほうはお馴染みの大峰山脈、こっちのほうなら山座同定は大体できる。山頂の展望台でゆったりと過ごす。と、下のほうから漂うのはカレーの匂い、展望台の下でカップ入りカレーうどんを啜っているのはあの若者二人だ。
「やあ、また会ったね。君らは高校生?」
「あれっ、そんな風に見えます?いちおう社会人なんです」
「あらら、失礼しました。昨日の晩もカレーで、今日の昼もカレーですか」
「僕たちは昨日は自炊しました。へへっ、でもカレーでした」
「そうか、カレー好きということか、で、どこまで帰るの?」
「岡山なんです。大阪に出てゆっくり帰ります」
「それじゃ、いいもの、あげよう。これを使えば近鉄はタダ、二人だと半額になるよ」
 何故か予備に1枚持っていた株主優待乗車券をプレゼントする。大和上市から阿部野橋までの運賃がいくらか知らないが、カレー代ぐらいは軽く浮くだろう。

大台ヶ原から大和上市へのバスは15:30の発車、ところが休日には14:30の増便があるらしい。これもようやく圏内となったスマートフォンで検索して確認できた。そういうことなら前の便に限る。途中の川上村の杉の湯で下車して次のバスを捕まえたら、さっぱりして帰宅だ。出発前にこれを計画していたら奈良交通バスの途中下車可で日帰り入浴割引付のきっぷを買っておいたのに。まあ、それを言っても仕方ない。そのきっぷにしたって。好天に恵まれ快調に大台ヶ原に辿り着いてこそ使用可能になることだから。

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