さららの道を芋峠越え
2015/5/31

3月に二度目の定年を迎え、5月から職業訓練に通っている。学生時代に戻った感じで、息子たちより若い人たちに混じり、勉強が楽しいという毎日を過ごしている。若い頃には思いもしなかったことだ。少し下の世代からなくなる特別支給の老齢厚生年金も、雇用保険の基本手当も金額に大差はないので、後者いわゆる失業手当を選択、半年間Webクリエイティブ科で技術を磨き、ダメモトで週の半分ぐらいの仕事を探すつもりでいる。みっちり学んで学費ゼロの職業訓練のありがたさ、制度が想定している層とはずれるものの、これまでずいぶん税金を納めてきたし罰はあたらないだろう。

そんなことで、勉強の成果はホームページのリニューアルにも活かすつもりでいるが、さしあたっては学習、なかなかそこまで手が回らない。音楽を聴いたり、山登りをしたりの趣味もちょっとご無沙汰気味になってしまった。運動不足になってもいかんし、久しぶりに休日のウォーキングに出かける。

近鉄のハイキング情報のページで「さららの道、持統天皇吉野行幸の道」、集合は石舞台バス停9:40というのを見つけた。酒蔵ハイキングのときだとラッシュ並みの混み具合なのに、飛鳥駅に降り立っても人影は少ない。9:13に出る史跡を回って橿原神宮前駅に向かうバスもガラガラだ。これは、ひょっとして。そう、案の定、事前申込制のハイキングだった 。バス停のある大駐車場には100人ほど集合しているだけ。受付で尋ねると、キャンセルで欠番となったところに組み込んでもらうことが出来た。もっとも、ダメなら一人で勝手に歩けばいいと25000分の1の地図も持参しているので困ることはない。

吉野方面と奈良盆地を結ぶルートは何本かある。一般的なものは橿原から下市口に出る国道169号で、抜け道として私がよく使うのは桜井から多武峰を経て妹背山に出る県道37号、今回のコースはその間にある県道15号沿いのコースになる。両側の道のように分水嶺の下をトンネルで抜け大和川水系と紀ノ川水系を結ぶのではなく、こちらの車道は峠を越える。暗くなってから走ったことがあるが、狭くて薄気味の悪い峠越えだった。この芋峠、そこに祀られている地蔵さんは疱瘡除けの意味合いとのこと、古来、天然痘(疱瘡)のことを「芋」と称していた由、その外観からの連想だろう。感染症がもはや死因の上位から消えた現在では実感できないことだ。

前夜は雨だったが歩くうち天候も回復、最近の夏日とは違って暑すぎることもなく、古道歩きには良い日和になってきた。私は第4班ということで、地元観光協会の女性ボランティアガイドの後に従う。石舞台から棚田が有名な稲淵集落を通り栢森集落の先から古道歩きとなる。集合地の石舞台は外からは姿が見えないのでパスしてしまったが、不思議な石像物の多い飛鳥のこと、いきなりマラ石に遭遇、亀石とか酒船石はお馴染みだけど、これは初めてだなあ。なんだか気恥ずかしいものである。稲淵集落の下と上の結界なのだろう、雄綱、女綱が飛鳥川に張り渡されている。

栢森集落の加夜奈留美命神社で昼食、その後がちょっといけない。古道に入ると登りもけっこうな傾斜、昼食前から足許が覚束ない感じだった同班のお年寄りの遅れが目立ち、ガイドを含む一団との間隔が大きく開く。86歳のこの方は早晩山道の登り下りが困難になることが予見できたので、私ともう一人の4班参加者が自発的に二人の後ろに付き、役行者坐像のある県道出合まで進む。連れの甥御さんは伯父さんの体を支え、いったん下りになる所からは私がリュックを持って進む。この間、後続の班は我々4人を追い抜いて行き、県道出合に到着したときには我々はウォーキングメンバーの最後尾となる。

ここでは脱落者収容のために主催者が車を待機させているとのことだったが、その姿はない。この先、さらに標高差100mほどの登りとなり、峠まで登ったからには長い下りが待っている。ちょっと無理だから県道を走る車を掴まえて便乗させてもらい下山するほうがよいと強く勧めたので、二人は車道を歩いて行くことに。

その後、イベントの最後尾に追いつき、脱落者の状況を説明した結果、観光協会の車が二人を無事収容することとなり事故にはならなかったが、主催者はあまり褒められたものではない。山屋の眼からすると危なっかしいことばかりだ。帰宅してから、ことの経緯と次に山歩きを含むコース実施の際に留意すべきことなど、細かに書いて主催者にメールを送った。すぐにお詫びのメールが返ってきたので、きっと次回には活かされるはずと思いたい。地元の観光を支えるボランティアの方々の志を多とするだけに、主催者の責任を問われるような事態は予防してほしいものだ。

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